オープニング1:刺激に充ちる街
統制機関から夜を徹して
高原地帯に位置するこの街には、昼食時という事もあり様々な服装の人間が行き交い、子供は機嫌良く父の手を握り、またある人は大量の風船を片手にビラ配りをしていたり。
大勢の一般人が溢れかえるこの街は、統制機関の外、“非日常”を強く感じさせてくれるだろう。
アイリス:「おぉぉお!」
ハイド:「…………」
油断なく、行き交う人波に鋭い視線を走らせるハイド。その隣で周囲に興味の視線を移すアイリスの両手には、ティッシュに風船、ビラとより取り見取りだ。
これでもかと街を楽しむアイリスを、周囲の人は時に奇異の視線で、時に温かな目で見やって来る。彼女の容姿も相まってこれ以上無い程に目立っているのだ。
ハイド:日本に来たばかりの外人さんがはしゃいでるとか認識されてんのかな、アイリス。
アイリス:そうかもしれないね。容姿は日本人とは程遠いだろうし、ハイドも金髪だし。
しかしそんな“非日常”の街にあっても“日常”の光景はある。中心街の一角に位置するカフェでは非常線が張られ、警察が物々しく捜査していた。
ふと、二人は空腹感を覚える。統制機関から脱出するためとはいえ、昨日から何も口にしていないのだ。食料を調達する必要があるだろう。
ハイド:「……まずは腹ごしらえか。適当に盗むしかないが……警察が邪魔だな。まあ、上手くやるしかないか」
アイリス:「ふむ、窃盗を働くのに異論は無いが、ハイドには手持ち金があるのではないか? 私とは違い、君は正式なFHエージェントだったんだ。ならば給金というものを当てにする事は難しいのかな」
ハイド:「身軽な方が好みでな。普段からあまり大金は持ち歩いてねぇ。それに各エージェントの給料……紙幣のナンバーを控えられていたら、一発で足が付く。
眉間に皺を寄せながら苦々しい声で肩を竦めると、アイリスに食事のリクエストを問いかけた。
ハイド:「アイリス、何か食いたいモンあるか」
アイリス:「ふむ、そうだね……」
視線を巡らせたアイリスは、ふと出店に目が留まる。そこにはサンドイッチがいくつも並べられていた。
アイリス:「携帯性、カロリー、栄養面からあの食品が最適と見たがどうだろう。確か……サンドイッチ、だったか? パンに具材を挟み、それで栄養面のバランスを調整できるという優れた食料だ。そして何より……美味しそうだ」
その目からは興味津々だという思考が透けて見える。
ハイド:「悪く無いな。OK、ちょっとそこの路地裏で待ってろ」
人目を避けて隠密化したハイドが店員と周囲の動きを観察したところ、最も窃盗に適した瞬間は“店員が商品を渡す”時だと判断できる。
袋詰めして渡すとはいえ、もしも何かが起きて商品を落としたなら、店員は新しい商品を用意する羽目になるだろう。
そう判断したハイドは隠密状態を維持したまま、商品を手に持つ店員の後ろに回り込む。
ハイド:「……」
店員が商品を手渡そうと握力を緩める瞬間を狙い、棚に置いてあった調味料の瓶を落とす。音に驚いた店員は、目論見通り商品を袋ごと落としてしまった。
店員:「も、申し訳ございません! すぐに新しい物を――」
ハイド:「(そんじゃ、失敬するぜ)」
慌てて作り直し始めた店員を尻目に、人目を盗んで商品を拾い上げたハイドはそのまま、アイリスの待つ路地裏へと戻ってきた。
ハイド:「ほらよ。袋はともかく、中身は無事だ」
アイリス:「流石と言うべきかな。手慣れているね」
差し出された袋からサンドイッチを取り出すと、そのまま一口かぶり付く。
アイリス:「うん、美味しい! これは何だ? 肉の薄切りのようだが、中身が半生だ……うん、これは悪く無い!」
ローストビーフのサンドイッチに
アイリス:「ほら、君も何か食べておくべきだろう。先にひとつ選んでしまったのは謝罪する」
ハイド:「別に気にしねぇよ。売り物だ、どれだってそれなりに食えるだろうしな」
ポテトサラダのサンドイッチを選び、適当で簡素な食事を済ませたハイドは、次の方針を難しい顔で考え込む。
その間にも、アイリスの目には新たな刺激が飛び込んでくる。
どこか大人びた雰囲気の店先に、見る角度によって様々な色を映す宝石のネックレスが展示してあったのだ。フルール・ド・リスと呼ばれるそれは、
アイリス:「――っ!」
目を輝かせながら路地裏を飛び出し、ショーウィンドウから眼前のネックレスを観察し始めるアイリス。
その隣に立ったハイドは、横目でアクセサリーを観察する彼女の表情を見やる。
ハイド:「(意外と普通の女の子っぽい物にも興味を示すんだな……)」
アイリス:「これは……綺麗だな。うん、彗星のインパクトには劣るが、これはこれで興味深い! 恐らくは宝石のプリズムを用いた光色の屈折現象によるものかな。だが……」
隣に立つハイドに、アイリスは疑問を投げかける。
アイリス:「これを身に着けるメリットは見当たらないな。目を引くばかりで、防護用には程遠い。なぁハイド。どうして人間はこんな非効率的な物を身に着けるんだ。
先程から道を歩いていく人もそうだ。誰も彼もが効率的じゃない。だがそれを気にも留めていない。とても不思議だ……何故だろう?」
ハイド:「難しいな……例えばお前が見てるようなアクセサリーなら、大切な相手からの贈り物だからとか、そんなとこか?」
アイリス:「ふむ、そんなものなのか」
そう返答してみせたハイドも、明確な答えなど持ってはいなかった。FH、それも統制機関のエージェントとして育てられた彼もまた、アクセサリーを身に着ける意味を理解してはいない。
ハイド:「……ま、どうあれ俺達には無縁の話だ。そもそも、こんな場所で立ち止まってる場合じゃねぇだろ。ほら、行くぞ」
周囲に視線を走らせて店先を離れて行くハイド。その背中を目で追いながら、ふと彼が編んでくれた三つ編みの髪に触れて。
アイリス:「……分かった」
何処か腑に落ちたような、そうでないような表情を浮かべながらハイドの後ろを付いていく。
アイリス:「しかし妙だな。君は先程から気が急いているようだが、何か用事でも差し迫っているのか? 私としては、もう少しゆっくりと周囲を観察したいのだが……」
ハイド:「用事があるわけじゃねぇ。けど俺達は逃亡者だ。一箇所に留まれば、それだけ危険なんだよ」
ぶっきらぼうに答えた彼の言葉に、アイリスは心の何処かがチクリとした。何故そう感じるのだろうか?
アイリス:「(分からない。外の世界もそうだが、彼の事も。そして私の事も)」
あのホワイトルームに留まっていたなら、こんな心境にはならなかっただろう。それだけでも彼女の逃避行は一定の成功を収めたと言ってもいい。だが……
アイリス:「(もっと……私は物事を観察したい。これはきっと、得難く尊いものばかりなのだから。もっと、もっとと
分からない。心の機微は……難しい)」
まだ、分からない事ばかりだ。
世界も、人も、心も。
だがそんな思考を打ち消すように――乾いた炸裂音が響いた!
ハイド:「ッ!?」
殺気立った様子で、即座にアイリスを路地裏に引っ張り込んだハイドが周囲を確認するも、どうやら先程ビラを配っていた人の風船が破裂しただけのようだった。
差し迫った危険は去っている筈だ。しかしハイドは表通りだけではなく、路地裏にも目を向ける。薄暗いそこは、統制機関の街とあまり変わらない。
彼は右手に銃を握り締め、トリガーに指まで掛かっていた。
アイリス:「……ハイド、流石に気を張り過ぎではないか? 風船が割れただけだろう。私も周囲を索敵しているが、それらしき影は見当たらない。
加えて先程のは気圧の変動によるものだ。風船が割れた瞬間、気圧が減少傾向にあった。中の空気が膨張し、ゴムの伸縮性が限界に達したに過ぎない」
ハイド:「…………」
アイリス:「……まあ、もちろん私という個は君ほどの索敵能力は有してはいないけどね」
聞いているのかいないのか、それでもなお警戒を続けるハイド。
たっぷり1分は周囲を監視していただろうか。それでも何も起こらないという事実を認識し、
ハイド:「ッ……ハァ……!」
張り詰めていた殺気を、呼気と共にゆっくりと解いた。
アイリス:「心拍数の上昇、並びに精神性のストレスによる発汗を確認。そして目の下の
ハイド:「……そうだな。ここから移動した後で……少しだけ、休む事にする」
表通りにもう一度視線を向け、絞り出すように応えるハイド。
アイリス:「(……分からない。何故、彼がこうも周囲に気を張っているのか。追手を警戒するのは分かる。加えてここは未知の土地だ。他のFHセルやUGNが居ないとも限らない。だが、彼のそれは
路地裏の奥へと歩き出したハイドに、違和感を感じる。まるで――
アイリス:「(目に見えないナニかに怯えてるようだ)」
そんな所感を、アイリスは持たずには居られない。
二人は多少なりとも気の休まる場所を目指し……見付けたのは放棄された廃ビルだった。
逃亡者の潜伏先としては上等過ぎる、ありきたりな場所だ――。
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