オープニング3:破獄と誘拐

 ハイドが規定通りに自室へと向かう最中、突如としてつんざくような警報がビル内に鳴り響く。

 それとほぼ同時、君の個人端末に管理者オーソリティ──セルリーダーから連絡が入る。


管理者:「ファントムヘイズ。これより任務を言い渡す」

ハイド:「休む間も無しかよ……内容は?」

管理者:「現在、中央ビル内部に侵入者がいる。数は二人。

 ……ファントムヘイズ、お前の任務は──”自室にて待機”だ。

 侵入者との不要な接触を避け、急ぎ自室へ戻れ。以上。確実に任務を遂行せよ」


 矢継ぎ早に任務を言い渡し一方的に通信は切断された。物言わぬ通信機を片耳にハイドは、不敵に笑いながら呟く。

 あの管理者が、わざわざ待機命令を出してきた。それはつまり──


ハイド:「俺が動くと奴の目論見が外れるって事だ。折角向こうから刺激がやって来たんだ。乗らない手はないよなぁ?」


 通信機を床に落とし、”ついうっかり”踏みつけて破壊する。


ハイド:「──行くか。退屈を蹴り飛ばしに」


 少年は走り出す。通路には”毒殺”されたらしきエージェントが転がっている。それに紛れて”物理的に殺された”残骸が混ざっており、それを辿れば侵入者と接触することは明白だ。


ハイド:「さーて、一体何が待っているのかなっと」


 ……管理者の目論見を外させる。待ち受けるその期待感から、彼は少しばかり油断している。エフェクトを発動させることも無く、ただひたすらに痕跡を辿っているのがその証左だ。

 右に折れる通路を、速度を落とすことなく曲がると──”何か”と衝突した。

 それが大男の身体だと気付くのに数瞬の時間を要し……体格差か、それともエフェクトを用いていたのか。大男の拳を受けたハイドの身体は軽々と吹き飛び、壁へと叩き付けられてしまう。


ハイド:「ッ、ガハ……ッ!」


 叩きつけられた衝撃で肺から空気が絞り出される。

 即座にエフェクトを展開し、隠密状態へ移行を始めるが──彼はここでも判断を誤った。

 隠密化には一瞬のタイムラグがある。それを相手に注視されている状態で行なおうとすれば当然、先手を打たれてしまう。


巨漢:「ヌンッ──!」


 その大きさに見合わぬ獣の如き疾さでハイドの顔を掴み、後頭部を壁へと打ち付ける。

 衝撃で、先程もらった”戦利品”は近くの床へと落ちた。


ハイド:「っ……」


 後頭部に生温い血の感触を覚えつつ、打ち所が悪かったか意識が朦朧もうろうとしている──侵入者からすれば仕留める好機だ。


巨漢:「お前──すまない、な」


 しかし壁にもたれ掛ったままのハイドは捨て置かれ、霞む視界の先に走り去る大男の背中が映る。……情けを掛けられたと気付くのに、少し時間を要した。


…………

……


 傷のリザレクトにより、朦朧もうろうとしていた意識が戻り始める頃。

 ハイドの耳に機械的な合成音声が届く。少し幼さを感じさせるその声に、少年は理由の分からない懐かしさを覚えた。


システム音声:『コード:”バレンウォート”入力完了──ホワイトルーム、開放』


 彼から見て左側の壁が……いや、壁に偽装されていた扉が、ゆっくりと、開かれていく。


…………

……


 アイリスは白く狭い部屋──ホワイトルームの内側から先程の合成音声を耳にした。それは自身を模したような声に聞こえただろう。

 部屋からも壁にしか見えなかった扉が、ゆっくりと、外への口を開いていく。


アイリス:「──……」


 部屋から出た少女の目に飛び込んできたのは、壁にもたれ掛り血を流す少年。

 扉が開いた事実と合わせ、ノイマンに匹敵する頭脳を持ってしても、全てを理解するのに数瞬の時間を要した。


ハイド:「……──」


 突然の邂逅に、短くも、長い時間。視線が交差した──。

 少女は顎に手を当て、少し考え事をした後に少年に声を掛ける。


アイリス:「──問おうか。君が、私の求めていた人間かい?」

ハイド:「……誰だ、お前」

アイリス:「コードネーム”記録保持者アークレコーダー”、個体名はアイリス。統制機関にて生み出された、記録特化のレネゲイドビーイング……あぁ、これが自己紹介というものか。うん、心が躍るな」


 どこか興奮したような様子で、会話をしているのか独り言をしているのか。何とも掴み処の無い様子で再びハイドへ話しかける。


アイリス:「確か、自己紹介とは互いの個体情報を交換し合うのだろう? 私は名乗った。君の個体情報を聞いてみたいな」

ハイド:「……”ファントムヘイズ”。名前はハイド。ハイド・バレンウォートだ」

アイリス:「ハイド・バレンウォート……うん。確かに私の記録ドライブに刻み込んだ。初めましてだね」


 リザレクトが完了し、視界が鮮明になった少年は、改めて長い紫の髪をした彼女を目にし──



ハイド:「……アイリス。お前、どこかで──」

アイリス:「……? 私とハイドは正真正銘、初対面の筈だ。私の記録ドライブには君との邂逅の記録は無、い──」


 少年が立ち上がろうと手を突いた先には、彗星の小冊子が落ちていた。少女もまた、手を差し伸べようと腰をかがめるが、小冊子に視線が奪われる。


アイリス:「──話の途中で済まない。その、紙媒体で出来た冊子は一体なんだろうか。何か、キラキラした物が印刷されているようだけど?」

ハイド:「っぇな……何って、広告会社の作った冊子だろ? で、印刷されてるのは星と彗星だ。近い内に地球に最接近して、日本でも観測可能になるんだとよ。初めて観測されるくらいデカい……冊子にはそう書いてあったな」


 少女の表情は少年の話を聞く内に好奇心の一色に染まっていく。目を輝かせるその様は、どこか満天の星々を彷彿とさせ──少年の目を一瞬、奪った。


アイリス:「”星”に”彗星”? 私の持たない知識だ。こんなにも綺麗な物が外の世界では観測できるのかい!?」

ハイド:「……なんだ、外を知らねぇのか。ここから出た事無いクチか……なるほど。

 俺は後で管理者オーソリティから説教食らうだろうからな。持っててもどうせ没収されるだろうし、その冊子で良ければお前に──」

アイリス:「良いのかい!? それじゃあ遠慮なく頂くよっ!」


 食い気味に彗星の冊子を読み始めたアイリスはページをめくり続ける。時間にして僅か7秒、ただ捲っただけのように見えたが、記録特化のレネゲイドビーイングである彼女には、これだけの時間があれば十分に熟読が可能なのだ。


アイリス:「……あぁ、そうか。私の知らぬ世界、知らぬ景色、知らぬ知識。まだまだ世界には未知がこんなにも広がっているのか!!」


 こんなにも心が踊ったのはいつ以来だろうか。そう、初めて戦闘シミュレーションでトップの成績を獲った時、いやそれ以上だ。それ程の感動が少女の心を満たしている。


アイリス:「……なぁ、ハイド。君は外の世界に足を踏み出した事があるのかい?」

ハイド:「ん? ああ、あるぜ。ついさっき、任務で久々に外の空気を吸って来た所だ。

 ったく、毎日こんな狭っ苦しい所に押し込められて……お互い苦労するな?」

アイリス:「まったくさ。来る日も来る日もデータを蓄積するばかりで、好奇心を刺激する物など皆無だったからね。……うん、君には礼を言わないとだ」


 自嘲気味に笑った少年に、少女は屈託のない笑顔で答えた。


アイリス:「ありがとうハイド。私はまだ見知らぬ景色を学ぶ事が出来る」


 数瞬の間を置いて、彼女の目は周囲に向く。警報が鳴り響く中、開かずの間であるここを通り過ぎる者は皆無。しかも、あちこちでエージェントが走り回り、建物内が混乱状態なのは明白だった。


アイリス:「……これは、単純な興味なのだが。ハイド、君はこの彗星を観た事はあるのかい?」

ハイド:「はっ。ねぇよ、んなもん。俺だってここに押し込められてんだ」


 ハイドは声を一段低くし、どこか遠い目で──


ハイド:「そりゃまあ──いつかはここを出て行く。そのつもりだったけどな」


 ──口にする。今まで誰にも明かした事の無い、欲望にも満たない願望を。


アイリス:「そうかそうか。それなら都合が良い。ちょうど、私も刺激を欲していた所だ。

 しかも、目下私の興味はこの彗星に向いている。そして、君はここを出て行きたい。

 私と君の”願い”はその一点で合致している訳だ──」


 たっぷり数秒は黙り込んだだろうか。彼女の脳内であらゆる物事の演算が行なわれる。メリットとデメリット。全てを天秤にかけて判断を下そうとする。

 しかし、いくら思考を奔らせようともアンサーは決まっていた。

 独りでは土地勘のないアイリスはすぐにでも拘束されてしまうだろう。しかし、二人だったら?

 しかも、自分よりもずっと土地勘のあるハイドとならば……あるいは。


アイリス:「…………なぁ、もし君が良ければだが──」


 少女は笑いかけ、改めて手を差し伸べる。


アイリス:「広い世界まで、私をさらってはくれないだろうか」


 ハイドは驚きに、思わず目を見開く。余りにリスクが大きい。外に出た事すら無い素人を抱えて逃げるなど、愚の骨頂だ。そもそも可能なのかすら怪しい。

 『盗んじまえよ』──遺産と融合した、ハイドの内なる声が響く。

 管理者がひた隠しにしてきた存在をさらって、ここを出る……そいつは魅力的だ。

 何より、眼前の少女が浮かべる自信たっぷりの不敵な顔。こいつとなら、本当に──


ハイド:「──良いぜ。お前を誘拐する。望み通り、広い世界まで」


 本当に、出来る。そう思わされてしまった。

 だから少年は、少女の手をしっかりと握り返し……その正面に立ち上がった。


アイリス:「ふふっ。契約成立、だな。改めてよろしく頼むよ、ハイド。

 さて、そうと決まれば長居は無用だ。この混乱に乗じてさっさと抜け出してしまおうか」

ハイド:「おう、善は急げだ。行こうぜ、可愛い共犯者さん?」

アイリス:「共犯者……ううん、それはどうにも響きが良くない。そこはお姫様と言ってくれれば満点だったな」

ハイド:「はいはい、考えとくよ」


 彼女は屈託なく、彼は呆れながら笑い。二人は駆け出した。

 己の中に生まれた、些細な欲望を叶えるために。

 少年少女の逃避行は、ここから始まったのだ。


 ──誘拐。

 この選択が正しかったのかは、今はまだ分からない。

 確かな物など、何ひとつとして無い。

 それでも二人は、変わり映えの無い腐った”日常”を捨て去るべく、走り出す。

 まだ知らない、明日を求めて──。

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