第2話 君は、頑張ってない
今日も神崎さんは部室にやってきていて、隣の椅子に座った。
「あの、こんにちは」
「始めて」
「……はい」
試験官の先生のようなことを言われてしまった。
それきり微動だにしなかったので、その言葉に従って視線を画面に移した。
指が止まってしまったので、一息ついた。そろそろ放送が流れそうな時間だ。
「神崎さん、そろそろ……」
「……」
「神崎さん?」
神崎さんは立ち上がることなく、鞄をあさり始めた。
「これ、退部届」
「はい」
いきなりであったが、それほど驚きはなかった。
ある程度予想できていたのかもしれない。
この部活に入ってから神崎さんは何もせずにつまらなそうに座っていただけだった。
これなら、他の部活に入った方が有意義だろう。
「また」
「はい」
もう「また」はないのだろうなと考えながら、しばらくして、僕も部室から出た。
***
土日を挟んで月曜日。
今日の二十一時が締め切りである。
物語自体は土曜に書き終えることができていて、昨日は誤字や文字数、書式などの最終確認をした。
部活の時間を使ってもう一度最初から読み、送る予定だった。でも……
「あの、神崎さん?」
「なに」
なぜか部室には今日も神崎さんが来ていた。
椅子に座り、こちらをじっと見ていた。
「あの、どうされたんですか?」
「なにが」
「金曜日に、退部届を…」
そういえば、僕に退部届を預けたまま帰ってしまったので、この机の中に入りっぱなしだった。
退部届を取り出し、神崎さんの前に差し出すけど、視界にすら入っていないといった様子で、俺の目を見ていた。
「考えた」
「はい?」
「君は、頑張ってない」
唐突過ぎてよくわからない。
「はあ」
よくわからず適当に相槌をうってしまったけれど、もしかして、怒るべきなのだろうか?
何時間もかけて書いているのに、その間何も書いていなかった神崎さんに何がわかるのか、と。
でも、神崎さんの目は僕を馬鹿にするようなものじゃなくて、真剣に言っているのが伝わってきた。
頑張ってない?
何か特別な意味があるのだろうか。
「でも」
神崎さんは、僕の目から一切目を逸らさない。
こんなに誰かと目を合わせたのはいつぶりだろう……
「不公平」
「……はい?」
「私は頑張れない」
先程から神崎さんの話している意味がよくわからず首をかしげていると、神崎さんの声がさらに真剣みを帯びたものになる。
「私が間違っていた。頑張れない私が、君に、頑張ることを求めるのは、不公平」
神崎さんの声が力強いものへと変わっていく。
「私は……私も、頑張る」
胸の前で小さく握り拳を作っている。
「だから」
その拳を俺の胸につけた。
ぽすっ、と全く力は入っていなかった。
先程から何を言っているのかよくわかっていない。
でも、何かを伝えようとしているのはわかった。
「君も頑張ってほしい」
その目に、僕は何も答えることができなかった。
「今から酷いことを言う」
「え……」
そんな風に予告されると身構えてしまう。
「嫌なら止める」
「えっと…」
当然、酷いことを言われたくはないけれど、神崎さんが何か大切なことを伝えようとしているのは雰囲気から伝わってくる。
思わずつばを飲み込んでしまう。
でも、聞くべきだろう。
「ど、どうぞ」
「じゃあ」
神崎さんは、一つ深呼吸をした。
「これは、私の感想。君の書く、物語を、良くするだとか、そういうアドバイスじゃない。ただの、感想」
無言で肯く。
神崎さんの真剣な眼差しが僕の体の動きを止める。
「君には、
神崎さんの言う『熱』は熱量のことを言っているのだろうか。それなら。
「君は、とっくに、創作に飽きている」
その可愛らしい口から紡がれた言葉は、創作を続けていた僕に深く、深く突き刺さった。
「君は、止め時を失った。なんの成果も残せなかったから。初めはあったのかもしれない。でも、今は義務感のようなものを勝手に感じている。夢を見ていても、実際は駄目だと諦めている」
痛みが薄れて体が熱くなってくる。
これは、なんだろうか。
なんだか。見透かされている気がして、恥ずかしいのかもしれない。
でも、僕は神崎さんの言葉に納得してしまっていた。
神崎さんの言っていた
単純に、僕が物語を書くことを楽しめなくなっていたのかもしれない。
自分で気づくべきだったそれを、神崎さんが教えてくれた。
「おわり」
「……えっと」
「どう」
「ありがとうございます……?」
感謝の言葉でいいのだろうか?
でも、神崎さんが僕のことを考えてくれたことがわかったから。
好意とかではなく、僕ですら放っておいた僕の心を、出会って数日であるにも関わらず、真剣に考えてくれたことがわかったから。
「なんでお礼?」
「神崎さんは……」
「何」
無表情のまま首をかしげる様子に少し笑ってしまう。
「不器用っていわれませんか?」
「さあ」
多くの人が神崎さんに憧れる理由がわかった気がした。
「神崎さん」
頭を下げて、感謝と、お願いを口にする。
「僕は、ライトノベル作家になりたいです。協力してくれませんか?」
素直に、言葉にする。
神崎さんからすれば唐突に何を言い出しているのかと思われるかもしれないけど、これは僕への自己暗示というか、宣言というか。
こんな風に、誰かにライトノベル作家になりたいと言うことは初めてで、恥ずかしかったけれど、言うべきだと自然と思った。
「私は、素人」
「お願いします」
「わかった」
すんなり受け入れてくれて、僕は驚き、顔を上げる。
見ると、神崎さんは少し困ったように眉を下げていた。
また、僕は少し笑ってしまった。
「何?」
「ごめんなさい、何でもないです」
勝手に無表情だと思っていてごめんなさい。
***
勢いとその場の流れの力を借りて、神崎さんに頼み事をした昨日。
その後、解散となったが、ひとつだけ言われたことがあった。
「これで全部?」
「いや、流石に全部ではないです」
殆どの選考はネット上で終えるため、印刷の必要はないのだが、何となく印刷して貯めていた。
神崎さんにはっきり言われて、冷静になった今だからわかることなのかもしれないけど、『努力の証』として無意識に貯めていたのではないかと思う。
『僕はこれだけの物語を書いたのだぞ』と。
恥ずかしい。
「わかる?」
「え?」
「どこに送ったか」
何処の出版社の選考に送ったかということだろう。
「えっと、だいたいは?」
「全部思い出して」
ノートパソコンを開く。どこに送ったかは全部記録されている。
「内容は?」
「USBメモリでは残してありますけど……」
「それ全部持ってきて」
「……わかりました」
今日も紙で持ってきたのは失敗だったかもしれないと思ったけど、神崎さんを見ると、手元の原稿に目を通していた。
「どうですか……?」
「今読んでる」
「あっ、ごめんなさい」
目の前で誰かに読まれた経験なんてなくて焦ってしまった。
邪魔をしないようにしようと思いながら、僕も次の物語を描き始めた。
「終わった?」
「は、はい」
視線を上げた瞬間、声がかけられた。
もしかして、無視しちゃっただろうか。
「これ、読んだ」
「えっ、全部ですか?」
今日持ってきたのは四作分、文字数で言えば四十万字以上になる。
それを二時間と少しで読み終えてしまっていた。
「感想」
「はい」
昨日のことが思い出されて、身構えてしまう。
「主人公は君じゃない」
「……はい?」
「えっと、どういうことですか?」
「……」
「あの?」
「…ふぅ」
溜息をつかれてしまう。
そんなにひどい出来、ですよね。
一次選考も落選ばかりですし。
「全部、主人公が一緒」
今回は、舞台も異世界だったり学園だったりと、出来るだけジャンルの違う四つを選んで持ってきたつもりだ。
全て別の作品なので、当然、主人公は違う。
「ごめんなさい、よくわからないです」
「言い方を変える。同じに見える」
「えっと……?」
名前も勿論、性格もそのうちの一つに至っては性別すら違う。
でも、同じに見える?
「全部、君の思考に見える」
「まぁ、考えているのは、僕ですけど……」
「自分ならどう考えるか。そう書いてない?」
『自分ならどう考えるか』ってそういうものじゃ?
「……はっきり言う」
「はい」
今までも結構言っていたと思うけど、背筋が自然と伸びる。
「男の登場人物の設定が雑。女の方が細かく設定されている。多分、女の登場人物の設定は楽しく考えて、男の登場人物の設定が疎かになってる。主人公の性格は確かに違う。冷静な天才も直情型の熱血漢もいる。でも、持ってる知識量が同じ。わかる?」
一つ一つの言葉を理解すると同時に羞恥心が湧き上がってくる。
ヒロインの方が設定を凝っていると言われるのはなんというか、こう、思春期だねって言われたみたいで。
それに、一度読んだ人が気づけるようなことを何年も気づけなかった自分が恥ずかしい。
「…ごめんなさい」
「なぜ謝る」
「いえ、そんな変な、えっと、出来損ないのものを見せてしまって」
「殴る」
「えっ」
肩を叩かれた。
女の子にイメージするような弱々しいものではなく、内側に響くようなパンチだった。
「出来損ないじゃない」
「いや、ちょっと、結構痛い……」
「君が悪い」
神崎さんはトントンと、紙の高さを揃え、机の上に置いた。
「これが君の全力」
「え」
「手を抜いたもので選ばれようとした?」
「それはないです」
それだけはない。
書き始めた時と今では書き方などは変わってしまったけれど、昔は手を抜いていたとかそういうことではない。
「なら、出来損ないとか言うな」
「ご、ごめんなさい……」
なんだか淡々とした物言いと無表情が相まって、多少恐怖を感じるけど、実際に言っていることはそういうことではない。
「昨日調べた」
「はい」
「自作の小説を投稿するサイト」
「? はい、ありますね」
「代わりにやる」
「え、神崎さんがですか?」
「そう」
実は小説を書き始めた当時、書き方を調べていくうちにそのようなサイトがいくつか存在していることを知った。
ただ、出版社によっては既に世に出された作品を選考に送ることが禁止されていたことや、そもそも、そのようなサイトにかかる時間がもったいないと思い、利用したことはなかった。
「そういうのをやるべきですか?」
「……君は天才じゃない」
「はい」
今までのことから身にしみてわかっている。
「言い忘れ」
「言い忘れですか?」
神崎さんが原稿の一つをこちらに向け、指をさす。
「これ、人間?」
「はい? えっと……そうですけど」
そこに書かれた物語は、学園を舞台にした純愛のもの。
そこまで奇をてらったものではなく、宇宙人や異世界人も出てこない。
「あと、これ」
今度は別の原稿を指さした。
人差し指の先には、その物語に登場するヒロインの名前。
「その子も人間です。主人公とは生きてる世界が違うんですけど、その世界での人間です」
「人間に見えない」
「えっと、それは」
その物語は、魔法が普及している世界での物語なのだけど、そういう物語などに触れたことのない人からすれば人間には見えないかもしれない。
「その子は、えっと狼に変身する力を持っていますけど、狼男みたいに妖怪とかではなくて、ただ狼に変身する力を持った人間です」
「違う」
「……えっと」
違う?
「空想の設定に言ってない」
「はい」
「この子には過去がない」
「過去、ですか?」
過去がない……
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