僕らの青春
皮以祝
第1話 また
放課後、僕、
「……やっぱり、駄目だったか」
似たメールはもう数え切れないほど見たが、決して慣れるものではなくて。
「……続き、書くか」
一つ深呼吸をする。
早く切り替えよう、休んでいたって時間の無駄、そう思っても、指はなかなか動かなくて。
いつもの古臭い紙と木の匂い。いつも囲まれている環境で、気にしていなかったことばかりが気になってしまう。
『部活中の生徒は下校してください』
ノイズのかかった、いつ録音したかもわからない放送が、さっさと帰れと告げる。
部室に鍵をかける。
廊下側についたネジ締り錠なので、わざわざ職員室に鍵を返しに行く必要もない。
帰ろうと鞄を持ち直したところで、足音が聞こえてきた。
古い旧校舎の床が軋み、壊れてしまいそうなほど大きな音が近づいてくる。
運動部がこの旧校舎の廊下を練習に使っているらしい。
指定のジャージを着る女生徒たちがこちらに走ってくる。
老化の端に避けたが、髪が頬を鞭のように打った。わざわざこの狭い廊下を走らなくてもいいとは思うけれど、必死に取り組んでいる練習を中断させてまで文句を言いたいわけでもない。
一階に下りて、下駄箱に向かう途中、それまですれ違った女生徒と比べて、とてもゆっくりと走ってくる人がいる。
不思議に思ったけれど、顔が見え、納得した。
あれは、完璧超人などと言われている
友達のいない僕でも耳にしたことがあるほどの有名人で、文武両道を掲げるこの高校の体現者のような人らしい。
「こらー! サボるな!!」
叫び声が廊下中に響く。
少し驚いてそちらを見れば、部室を出てすぐに通り過ぎていった人が顔を赤くしていた。
「……」
いきなり神崎さんはスピードを上げ、僕の隣を通り過ぎていった。
でも、今までの人のように廊下のど真ん中ではなく、端に寄って走り去っていった。
「……今の」
夕ご飯も食べ終わって、自分の部屋に戻ると、鞄から紙の束を取り出した。引き出しに仕舞おうとして、引っかかってしまう。たしか前も、無理矢理入れたのだった。手を無理やり入れて、横に隙間を作り、折れ曲がるのも無視してねじ込んだ。
そしてノートパソコンを開き、次の物語を執筆し始める。
今回書いているのは異世界ファンタジーで、主人公最強系とハーレムのやつ。最近は一時期より書く人は減った気がするけれど、それでもまだまだ一番人気と言っても過言ではない人気ジャンルで、僕がはじめて書いた物語もそのジャンルだった。
物語を書き始めてから、三年程経っている。
書き終えるまではわからないけれど、少しは成長できたのだろうか。
***
授業を終えて、今日も部室にやってくる。
ノートパソコンを起動して、書きはじめようとしたところで、また足音が響いてくる。
今日は集団で走っているのか、昨日よりもさらに多く、大きな音がしている。
音が響いてくるので、集中するために部室前を通り過ぎるまで待つことにしたのだが、いつまでも通り過ぎない。
先程までの足音が消えたのを不思議に思って、部室から扉から顔を出すと、女子の集団がしゃべりながら歩いていた。
扉を閉めて、先に課題を終わらせることにする。
教科書の文を写すだけなのでうるさくても問題ない。
十分ほど待ったのだが、いつまでも話し声が聞こえてくる。
「うわっ!」
扉を開けると、一人の女生徒が近くに寄りかかっていたようで、慌てて扉から離れた。
「なに、びっくりした」
周りの女子もこちらを見ている。
「あの、ここで話さないでもらってもいいですか」
「は? ウチらがうるさいってこと?」
「こっちは休憩してるだけなんだけど」
別の場所でしてもらいたい。
そういえばいいのに、複数の視線がこちらを向いていて、声が小さくなってしまう。
「……移動していただいてもいいですか」
「邪魔ならあんたがどっか行けば?」
「てか、何でここにいんの? 勝手に使ってるわけ?」
「ここは一応文芸部の部室で」
「…そんなのあったっけ?」
「知らね。あるんじゃない?」
「どうせ隠キャの集まりでしょ?」
「絶対そうだわ。文芸部とか今時ないっしょ」
「部外者は帰ってくださーい」
「こっちは楽しく練習やってんのにね。マジで空気読めてないわ」
「それ! ほんと……」
「そこ! なに歩いてんだ!」
「やば、伊藤じゃん。行こ‼」
「だね」
顧問なのか、男性の怒鳴り声に反応して、走り去っていった。
「……」
他の人達は逃げるように廊下の向こうへ走っていったのに、神崎さんだけはその場にとどまって、見透かすような目で僕を見ていた。
「……他の人、行きましたよ」
「また」
その一言を残して、廊下の向こうへ走っていった。
ふと、周りが暗くなっているのに気づいて、顔を上げる。
時計は六時半を指していた。
大体五千文字程書き進めることができた。
次に応募する新人賞の応募要項は十万文字以上二十万字未満であるので、昨日までに書き終えた分を考えれば、一日に一万五千字書いたとして、あと四、五日でそれを満たすことができる。
僕の書くペースを考えると、締め切りまでに一週間あるので、十分間に合う。
ノートパソコンを仕舞って、鞄を肩にかけた。
「……」
「っ! びっくりした!」
神崎さんが無言で扉の前に佇んでいた。
驚いてしまったけど、文芸部の部員は現状僕一人なので、用があるとしたら僕にだろう。
「あの、なにかご用ですか?」
「これ」
困惑しながらも受け取った紙には『入部届』の文字。
神崎さんの顔とその紙の間を何度も確認してしまう。
「あの……陸上部はどうされたんですか?」
口を出たのはそんな言葉だった。
「やめた」
端的な回答が返ってきた。
他にも聞きたいこともあったけれど、部活に入るのは自由なので、部長の欄に名前を書いた。
「今日はもう下校時間なので、また明日来てください」
「わかった」
***
翌日の放課後、部室に行くと、扉の前で再び佇んでいる神崎さんを見つける。
「あの、入らないんですか?」
「待ってた」
「……そうですか」
部室に入った後も神崎さんは立ったままだった。
「……あの、お好きなところに座ってください」
「あなたは?」
「ぼ、僕はここです」
無言で隣の椅子に座った。
「しない?」
「え、なにをですか?」
「昨日、パソコン」
「見てたんですか?」
「見えた」
昨日扉の前に立ってましたもんね。
「神崎さんに文芸部の説明とか……」
「いらない」
「そ、そうですか」
いつも通り書き始める。しかし、数十文字書いたところで指が止まってしまう。
「あの……」
「何」
「そんなにじっと見られると緊張するんですが……」
神崎さんは、じっと僕の顔を見ていた。
「集中して」
「あっ、はい……」
何かついていたのかと思い、顔をこすってみても、隣からの視線は僕の横顔に突き刺さっている。
気になるけれど、折角の執筆できる時間を浪費するわけにもいかないので、深呼吸をした後、指を動かし始めた。
次に顔をあげた時には、夕焼けが綺麗に見えていた。
「……おわり?」
「え⁉ ……あっ、はい」
正直少し忘れてしまっていたというか、とっくに帰ったものだと思っていたけれど、ずっとこちらを見ていたのだろうか。僕の顔を見ているので、自然と目が合ってしまい、気まずくなって口を開く。
「あの、退屈じゃなかった、ですか?」
「別に」
「そ、そうですか」
放送が流れる。僕が執筆している間、神崎さんは何をしていたのだろうか。気にはなるけれど、もう下校時間なのでいつまでもここで話しているわけにもいかない。
「あの、そろそろ……」
「そう」
その一言で神崎さんは鞄を持ち、立ち上がる。鞄も部室に入ってから開いた様子がない。
「あの」
「なに?」
神崎さんが入部する理由はわからないけど、誰も気にも留めないような僕一人で活動している文芸部に入部して、物語を書くことにも興味を持ってくれた。だから、部長として少し勇気を出してみる。
「あの、前に使っていたノートパソコンがあるので……明日持ってくるので、書いてみませんか?」
「いい」
無表情で断られる。
「そ、そうですか。なら、えっと、本を読みますか?この部室にたくさんありますし、他のものがよかったら家からおすすめのものとか持ってくるので」
「いらない」
神崎さんはなにを目的に入部したんだろう?
「私は……」
心を読まれたのかと思った。そんな非現実的なことは無いとは思っているけれど、そう思わせる雰囲気をまとっていた。
「君に興味があるだけ」
「……」
「また、明日」
ガラガラと、立て付けの悪い扉を開け、神崎さんは去って行った。
陽が落ち始め、暗くなった部室にただ一人取り残される。
家に帰った後もその言葉を反芻してしまい、なかなか執筆に集中できなかった。
***
授業を終え、部室にやってきたが、鍵がかかったままで、神崎さんはまだ来ていないみたいだった。
もしかしたら今日は来ないのかもしれない。連絡先は知らないし、確認もできない。
やはり部室に来てしまうと、昨日のことが思い出されるが、それどころじゃない。
予定になかった昨日の遅れを取り戻すためにも、早速書き始めた。
気づいた時には、また部活動の終了時刻間際になっていた。
腕を上に上げ、背筋を伸ばす。体を動かしていなかったからか、ぽきぽきと関節がなる。
「ねえ」
「ぐぅっ⁉」
隣から聞こえてきた声に驚いて変な声が出てしまった。
すこし咳き込んでしまうと、背中をさすられた。
「す、すみません……神崎さん来てたんですね」
「来てた」
「……そうですか」
もしかしてかなり長い時間、隣にいたのだろうか?
隣に座ったことにすら気づかない自身の鈍感さに呆れてしまう。
「えっと、どうでしたか?」
「何が」
「見てたんですよね。この話面白そうですか?」
「さあ」
「え」
「読んでない」
じゃあ何を見て?
「君に興味がある」
「き、昨日も言ってましたけど、それってどういう意味なんですか? 少し話しただけですよね?」
「私は頑張っている人に興味がある」
頑張っている人?
「それなら他にもいるんじゃないですか?」
「いる」
「じゃあ、どうして文芸部に来たんですか?」
「たまたま」
「そうなんですか」
大した理由が無いことには悲しむべきかもしれないけど、神崎さんは色々な部活を回っていると以前、聞いたことがある。そして、たくさんの大会で好成績を残していることも。
「……私は天才だから」
「はい?」
「頑張れない」
「そんなことないと思いますけど」
「だから」
目が合った。
表情は変わっていないのに、何故か笑っている様な気がした。
「頑張っている人が好き」
「……そうなんですか」
「頑張っている人を観察したい」
興味があると言ったり、好きだと言ったり、観察したいと言ったり。
神崎さんは何を求めているのだろう。
「ところで」
「はい」
「今まで何をしていた?」
「……はい?」
え、どういうことですか?
「パソコン使っていた」
「……えっと、小説を書いてました」
今までそれすらわかっていなかったらしい。もしくは、こんなものは小説ではないと言われているのだろうか。
「小説家?」
「僕がですか? まさか、違いますよ。書いた小説を選考に送ってるだけの素人です」
「選考?」
「えっと、これなんですけど」
次に僕が応募する選考のホームページを開いて。神崎さんの方へ向ける。
神崎さんはそのページを上から下までゆっくりと見ていた。
「わかった」
わかったって何だろうか。
「ずっとしてる?」
「応募をってことですか? 他の出版社も含めて何回も送ってます」
「結果は」
「ほぼ毎回一次審査落ちです……」
口に出すとなおさら恥ずかしい。
「そう」
もしかしてがっかりされてしまっただろうか。神崎さんは僕が本当に小説家だと思って入部してくれたのかもしれない。
「また」
神崎さんはそう言うと、すぐに部室から去っていってしまう。部長がこれだけ不甲斐ないと仕方ないのかもしれない。
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