ハーフェズと怪しい店子の関係

 大陸行路が交差し、多くの人や物が行き交い、王都は政治に文化、経済に交通の中心地とされているペルセア王国。

 直線距離にして東西1900km、南北2300kmの国土を、大陸の中心にて保有し、東西は多くの国と国境を接している。

 サータヴァーハナ王国は、ペルセア王国の東側国境に接する国の一つで、何度も戦火を交えたことがある力のある国でもある。


 ラズワルドの家で錬金汁を飲み、舌を真青に染めてから真神殿へと戻ると見せかけ、青塗りの馬車内で黒い長上衣と同色のクーフィーヤを纏い、ジャラウカを呼び出した店へと向かった。

 彼ら神の子専用の入り口から入店し、既に来ていたジャラウカと対面する ――


「ファリド、話があります」


 ジャラウカとそのお付きラーダグプタとの対面を終えたシアーマクは、真神殿に帰ると自分の宮ではなく、その足でファリドのもとを訪れた。


「ええ、構いませんよ」


 青と白と金のタイルで細やかなアラベスク模様が施された広い室内、天井からメルカルト神の意匠が施された布が幾重にも垂れている部屋の中心で瞑想していたファリドは、シアーマクが訪れると同時に目蓋を開いた。


「遅かったですね、シアーマク。ラズワルドと遊んできたのですか」

「噂のメフラーブ殿お手製錬金汁をごちそうになってきた」

「それは羨ましい。お前たちは下がりなさい」


 ファリドはヴェールに囲まれたまま、召使いたちに下がるよう指示を出す。召使いたちの足音が遠ざかったのを確認してから、シアーマクはファリドがいるヴェールを一枚ずつ持ち上げ、ゆっくりと中へと入り、ファリドを囲むように置かれているクッションの一つに腰を降ろした。


「それで、どうしたのですか? シアーマク」


 正面に座ったシアーマクに、ファリドがわざわざやって来た理由を尋ねた。


「ラズワルドに寄進された家が下宿として貸し出されたのです」

「ほお。下宿とは楽しそうですね」

「ええ。その家を借りたのは、王都に来たばかりのサータヴァーハナ王国からやってきた旅芸人一座の一人……正確には二人ですが。異国人ということで、少し警戒して耳を澄ませたところ、成人した男性が若者のことを”シュールパラカさま”と呼んでいましてね」

「シュールパラカ? わたしの記憶が正しければ、サータヴァーハナ王国の地名の一つですよね」

「ファリドの記憶に間違いはありません。それが何を意味するか、分かりますよね」

「ええ。サータヴァーハナ王国の王子は、太守を勤める土地の名を就ける決まりがありましたね……たしかサータヴァーハナ国王マツーラの息子の名がシュールパラカだったような」

「本人に確認したところ、シュールパラカ王子本人だそうです。旅芸人一座もシュールパラカからの一団でしてね。彼らに混ざってペルセア王国にやってきたのだそうです」

「なるほど。ですが、なぜ王子が旅の一座に混じってペルセアに? 年は十七ともなれば、使節団の団長として国を代表してペルセア王国を訪れることもできるでしょう」

「そこなのですが、シュールパラカは母が奴隷なので身分が低く、王子ではあるのですが、多くの貴族から王子として認められていない……とお付きラーダグプタが語ったのです。兄であるダンジョールは出自のよい正妃が産んだ子なので、王子として認められているそうです」


 仕えている主に対し、いままで行われた数々の不当で腹立たしい出来事を思い出したラーダグプタ、怒りを堪えながら語ったのだが、聞いていたシアーマクは表情にこそ出さなかったが、話が理解できずに困惑していた。


「……かの国はそうでしたね」


 ペルセア王国はから、それなりの家柄の娘を正妃に立てるが、玉座は生まれた順のみで決定されるため、奴隷の子であろうが正妃の子より先に生まれていればペルセア王国の王位である諸王の王シャーハーン・シャーの座に就くことができる。

 現ペルセア国王シャーハーン・シャーファルナケス二世も、王太子ゴシュターブスも弟のエスファンデルも母親は後宮ハレムの奴隷であるが、ペルセアの民にとって彼らは王であり王の子である。


「どの国でも後宮ハレムにいる女は奴隷ですよね」


 この時代はどの国にも後宮ハレムが存在している。


「そうですよ。実家クテシフォン後宮ハレムも女奴隷しかいませんでした。当然のことですが、近づいたことはありませんので、見たことはありませんが」


 クテシフォン諸侯王の息子であるファリド。彼の人間仮初めの父親である諸侯王や、兄は各々五十人規模の後宮ハレム持っていた。

 シアーマクも王都の南に位置するペルセポリスの名家の息子ではあるが、父親は五人の妻を持つ程度で、さすがに後宮ハレムはもっていなかった。

 ちなみにシアーマクの母親は第四夫人だったが、神の子シアーマクを産んだことで跡取りを産んでいた第一夫人がその地位を譲り、現在は第一夫人の座に就いている。


「王の子なのに、王の子と認められないとは、不思議ですよね。なんの為の後宮ハレムだか分かったものではありません」


 彼らは人の常識についてある程度は知っているが、世の中の柵に関し興味が無ければ全く知ろうとせず、また神性を失う行為にあたる人の営みに関することとは無縁で、ほとんどの者が興味を持たないため、この話題に関し、おぼろげな話しかすることができない。


「習慣や文化の違いでしょうが、たしかに不思議ですね」

「王女というのならば分かるのですが、男児を王子と認めないのは衝撃でしたよ」


 この時代、女性の地位は低い。それは国王の血を引いている娘でも同じことで、男児と違い女児は正妃が産んだ子以外は王女とは認められず、後宮ハレムの女奴隷が産んだ女児は全て奴隷という扱いであった。

 ペルセア王国に現在いる王女は、国王ファルナケス二世の年の離れた叔母で、サマルカンド諸侯王に嫁いだのみ。


「そうですね」

「ファリド」

「なんですか、シアーマク」

「シュールパラカ、いやジャラウカは嘘はついていませんが、彼が真実だと思っていることが嘘ということもあります」

「あり得ることですね」


 人は嘘をついていなくとも、嘘をつかれて、嘘を真実だと思い込んでいることもままある。


「そこで、別の人から話を聞いてみたいのですが」

「第三者ですか」

「第三者というほどではありません。下手な人に尋ねて、ジャラウカを危険な目に遭わせるのは、わたしとしても本意ではありませんしね。ペルセア軍の方に、サータヴァーハナの情勢に関して聞いてみようと思うのですが、どうでしょう」


 異国の情報を手に入れるのは国軍の仕事。故に他国の情報を知りたいと思えば、軍に話を通すのが最短であった。


「そうですね。ラズワルドに危害を加えることはないでしょうが、政治的背景からハーフェズに危害が及ぶ可能性も捨てきれませんしね。大将軍に命じ説明できる人物を寄越させましょう……ところでシアーマク、錬金汁はどうでした?」

「ラズワルドが言った通り、酷い味だったが、楽しかった」

「わたしも飲みたかった……おや、アルダヴァーンが来ましたね」


 白い長上衣に深紫色のサッシュベルトを巻き、クーフィーヤも被らずにやってきたアルダヴァーンが二人に声をかける。


「内緒話に混ぜてもらえるかな、ファリド、シアーマク」

「どうぞ、アルダヴァーン」

「あなたには話すつもりですよ、アルダヴァーン」


 シアーマクと同じようにファリドを覆い隠しているヴェールを一枚ずつめくりながら近づき、二人の間に位置する場所に腰を降ろす。

 二人からジャラウカのことを聞いたアルダヴァーンは、髪を手で梳き頷きながら頷いた。


「ダンジョール王子は、宰相ヤシュパルの娘を正妃に迎えていたな」


 生まれながらダンジョール王子の政敵であるジャラウカシュールパラカ王子に、シアーマクが「何を企んでいるのだ」と暴力込みで詰問した理由はであった。

 宰相ヤシュパルには親子ほど年の離れているチャンドラという弟がいた。この弟、現在は故国を出てネジド公国でサラミスと名乗っている ―― ハーフェズの伯父はサータヴァーハナの宰相であり、次期国王と目されているダンジョール王子の舅であり、ジャラウカを疎ましく感じ、排除しようとしている黒幕なのだ。


「ええ。チャンドラ自身は軍人奴隷となり故郷を出ているので、ハーフェズは無関係ですが、無関係と思ってくれているかどうか」

「シアーマクの心配はもっともだ。わたしも詳しいことははっきりとは分からぬが、たしか……情報を貰うとしよう。明日わたしが大将軍に命じてくる」

「厄介事を持ち込んだわたしが行きますよ」


 神の子は年齢や性別、人としての生まれた家での序列はないが、本能的に能力により階級が決まり、それに従うようになっている。

 この場にいる三人の場合、ファリドが一番で二番手はアルダヴァーン、三番目がシアーマクという順になり、人を呼ぶような雑事を行うのはシアーマクが担当するのが普通なのだ。


「いやの仕事が幾つかあるのでな」

「あなたが王宮に用事があるなど、珍しいことですね、アルダヴァーン」


 神の子は王家には興味を持たないのだが、育ててくれた相手に対して恩義を感じることもある。

 特に育ててくれた相手が、同じ神の子であった場合、その相手の物の考え方を受け継ぐ ―― 神の子は王家寄りが数名と、それ以外に分かれている。

 王家寄りなのは最年長者のマーカーン、オルキデフ、彼らより十歳ほど若いメフルザード、そしてメフルザードの五歳年下のベフナーム。この四名は王家から出た神の子フラーテスに幼いころから教育されたため、王家寄りであった。

 ベフナームの二歳年下のアルダヴァーン。彼は神聖都市の大神官長の息子で十歳まで故郷で過ごしてから王都にやってきた為、まったく王家寄りではなかった。

 アルダヴァーン以降に生まれた神の子たちは、彼によって教育されているため、彼同様で王家寄りではない。

 もっともアルダヴァーンは上記の四名が王家寄りであることに関して、不快感などは覚えてはいない。


「はは。わたしは少々先が見える性質なので、そろそろ国王崩御後の下準備をしてやろうとな」


 ある程度王家を守ってやる必要があることも、彼は知っていた。ペルセア王家は神の子がいなければ

 神の子は人間社会に関してはなんら関わり合いを持たない ―― だが彼らが地上に現れる理由はペルセア王家の存続に他ならない。

 ペルセア王家は魔王を滅ぼすまで、神の子たちの力を借りて存在しなくてはならないのだ。それが一度は堕ちたペルセア初代王に対して、メルカルト神が課した罰であり、魔王を滅ぼさずに絶えることは許されていない。

 これらの事情を知っている者はごく僅かで、国王が信頼を寄せている者、数名しか知らず、神の子たちでもアルダヴァーン以下の生まれの者は教えられてはいない。


「ファルナケスが死ぬのですか」


 アルダヴァーンが十年前に崩御した先代国王の死を、その五年前に予見していたことをファリドは思い出し ―― 死ぬのだなと確信した。


「五年後には確実に存在しないな」


 ファルナケス二世の崩御後、ペルセア王家の因襲と罰をファリドやシアーマク、ヤーシャールには教えることが、年長者の話し合いで決まっている。

 そしていずれ「一柱きりで」長きを生きるであろうラズワルドにも ――


「魔物に対する備えが必要になりますね」

「十年前は戦わせてもらえなかったから、今から楽しみです。ねえファリド。告死魔は大きくて強いですから」

「そうですね、シアーマク」



 ペルセア王シャーハーン・シャーの崩御一年前、王都は必ず巨大な魔物に襲われる、その魔物は告死魔と呼ばれている。


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