ハーフェズと主、怪しい店子に遭遇する

「ただいま、メフラーブ」

「ただいま帰りました、メフラーブさま。ただいま母さん、マリートおばさん」

「帰ったかラズワルドにハーフェズ。意外と早かったな」


 ラズワルドのことなので、城門が閉まるぎりぎりまで帰ってこないだろうと思っていたメフラーブは、半分に切れたハルボゼメロンを抱え昼前に帰ってきたラズワルドとハーフェズを見て驚いた。


「門が閉まるぎりぎりまで遊ぶ予定だったけど、ジャバードが来てさあ。あ、マリート、これ切り分けて」

「畏まりました、ラズワルド公」


 残りのハルボゼメロンをマリートは切り分け皿に並べ、ラズワルドとメフラーブの間に布を敷き乗せる。それを食べながら、なぜ自分たちがこんなにも早くに帰ってきたのかを語った。


「朝シアーマクにハルボゼメロン切ってもらって食べたんだ」


 朝食は予定通りにハルボゼメロンと、彼らが朝食用に持参していたバクラヴァと、昨晩焼いた鳥肉を再び炙り、充分な食事を取った。


「シアーマク公だけじゃなくて、ファリド公とも一緒だったのか」

「ファリドいるって言ってないのに、なんで分かったのメフラーブ」

「そりゃ、お前がジャバード卿が来たって言ったからだ。ジャバード卿がシアーマク公を迎えに行くはずないだろ」


 食べ終えた二人は街道には戻らず、街道脇を更に進みたいと希望し、ファリドとシアーマクの馬に一人ずつ乗せてもらい、まばらに生えている木と、生えそろっている下草と、所々に見える花の中を速歩で抜けた。

 まだ日は高くなく、風は朝の冷たさを少し残しており、非常に心地良いものであった。シアーマクがもう少し先に小川があるので、そこまで行くかと言う話になったのだが、後ろから馬蹄が聞こえた。昨日ラズワルドたちが聞いた速歩ではなく、迫力ある襲歩で迫ってきた馬蹄。騎手はジャバードで、ファリドを迎えにきたのだと告げた。


「あ、そっかー。うん、そう。ジャバードがファリドを迎えに来てさ。ファリドが”アルダヴァーンに任せているから、急いで帰る必要はない。なにも心配事はないから、先に帰っていなさい”言ったら、ジャバードが情けない顔してさ」

「あの立派な体格で、精悍な顔だちの男がか」

「うん。いい大人なのに、ハーフェズが泣き出す時みたいな顔になったんだ。あ、そうだナスリーン。ハーフェズは今回の旅では泣かなかったぞ。立派に成長してるぞ!」


 ラズワルドはハーフェズの矜持を守るために、少しだけ嘘をついた。


「あら、立派になって。お母さんも嬉しいわ」


 ラズワルドの思わぬ嘘と、母親に褒められた嬉しさからハーフェズは顔を赤くして俯く。


「ハーフェズがついていてくれるから、安心できるな」


 メフラーブにも頼りにされたハーフェズは、嬉しさと気恥ずかしさのあまり、膝を崩して頭を抱え絨毯の上で丸くなってしまった。


「どうした、ハーフェズ。眠いのか?」

「違います……お話を続けてください、ラズワルドしゃま……」

「分かった。情けない顔のジャバードを見ていたら、精霊王が耳元で”こいつ、ファリドがいないから寝ていないぞ”囁いたから”ファリドがいないと寝られないのか! まるで子どもだな! お前が寝てないのは、精霊王から聞いた! あいつ闇王だからバレバレだぞ!”って言ったら、シアーマクは腹を抱えて馬から落ちそうになるほど大笑い、ファリドは赤面して両手で顔を隠して”一軍の将ともなった男だが”って。大変だったよな、ハーフェズ」

「はい……シアーマク公と一緒に馬から落ちそうになりました」

「ジャバード卿はまあ……あの御仁はファリド公が……なあ」


 ジャバードがファリドに思慕の情を抱いていることは、メフラーブも知っている ―― もちろん、世の中の腫れた惚れたな噂話に疎いメフラーブ、そんな彼にジャバードが一方的な情愛を持っているのを教えたのは奴隷商のゴフラーブだった。

 商売相手である花街から色々と情報を仕入れているゴフラーブが、わざわざ教えたのだ。

 そんなことを教える必要などなさそうだが ―― 多くの男娼がいるナュスファハーンだが、どれほど美しい男娼であっても、ファリドの足下にも及ばない。

 元からそうなのか? ファリドへの気持ちを自覚してからそうなったのかは、誰も分からないが、ジャバードが花街で求めるのは金髪の男性。

 幅は広く子どもから成人までだが、とにかく金髪。黒髪で顔だち美しい少年と、金髪の普通顔の少年ならば金髪を選ぶのはこと花街では有名。

 メフラーブの家には褐色の肌だが、金髪の美少年ハーフェズがいる ―― その絡みでゴフラーブはジャバードの性癖と、思慕の相手を教えてきたのだ。

 聞かされたメフラーブは「どうしろと?」思ったが、ハーフェズは形良くはっきりとした目鼻立ちに、母親譲りの人好きする笑顔で、近所でも群を抜いた美少年に育っていた。

 ハーフェズはラズワルドの奴隷なので、ジャバードも手を出したりはしないだろうが、心配されるくらいに、また心配する必要があるくらいに美しい顔だちの少年であった。


「ジャバードがあんまりにも情けないから、ファリド帰ったほうがいいんじゃないかなーって思った。わたしとハーフェズとシアーマクだけ遊んでも良かったんだけど、それだとファリドが可哀想だなって思って、今度また遊びに行く約束をして帰ってきたんだ」

「そうか。ファリド公を連れてゆく時は、ジャバード卿も連れて行けばいいんじゃないか?」

「そうだね。それでさ、メフラーブ。墓地でさ!」


 マリートがさっと出してくれた、茹でた豆とみじん切りにしてターメリックと共に炒めた玉葱、そして羊の挽肉と芯を残した状態で炊きあげた米を、刻んだフェンネルやミントにタラゴンなどのハーブと共に混ぜ、塩で茹でた葡萄の葉で包んだドルメを摘まみながら、墓地であった出来事を事細かに語った。

 恥ずかしがっていたハーフェズも、ドルメの香りに誘われて起き上がり食べ始め、何時しか気恥ずかしさはどこかへと行ってしまった。

 墓地へと行って帰ってきただけなのだが、子ども二人だけの旅は楽しかったらしく、メフラーブに事細かに語っていた。

 皿に盛られたドルメがなくなったところで、メフラーブは”そう言えば”と、新しい隣人について語る。


「そうそう、隣を下宿として貸し出した」

「へー」


 メフラーブはラズワルドに寄進されたバフマン老人の家を、下宿として貸し出すことにし、いつも通り木版に要項を書き記し貼り出した。

 貼った場所はいつものバザール近くではなく、異国人の往来が激しい城門の直ぐ脇にある掲示板を選んだ。その木札は直ぐに人の目にとまり話もつき、その日から店子がはいった。


「早々に借り手がついた」

「そうなんだ。じゃあ店子の顔を見に行ってくる! 行くぞ、ハーフェズ」

「はい、ラズワルドさま」


 二人は勢いよく階段を駆け下り、勝手知ったる隣家の扉を開けて ――


「メフラーブ。隣に怪しいサータヴァーハナ人が」

「そいつが下宿人だ」


 すぐに家へと戻ってきた。


が下宿人なのか」

「そうだ。が下宿人だ」

「そうか……じゃあ、もう一回行ってくる! 行くぞ、ハーフェズ」

「はい、ラズワルドさま」


 二人は先ほどとは打って変わって、足音を消すように階段をそろりそろりと降り、開けっ放しにしてきた隣家の扉に隠れるようにして中を覗く。


「うあ……なんでこんなところに、ペルセアの生き神が居るんだ……ラーダグプタ」

「存じませぬ……」


 ラズワルドたちは驚いたが、下宿人のほうは驚きどころではなかった。ペルセア王国の国境で旅人は必ず「神の子」に関する注意事項を聞かされ、ペルセア王国と戦争をした際、間違って彼らを捕らえた場合は、異教ではあるが丁重にもてなして帰国させよ、王は惨殺しても良いが彼らは傷つけてはならぬと、ペルセアと国境を接している国の異教を奉じる神官が、兵士に厳しく指導する存在が、古びた木戸から自分たちをうかがっている ――


「ジャラウカだ……が、よろしくお願いいたします……で、いいのか? 公柱」

「ラズワルドだ、よろしく」


 もとバフマン老人の家、現在はラズワルドの家にいた下宿人はどジャラウカと若い男性と、彼の叔父とラーダグプタ。

 褐色の肌に臙脂色のターバンの隙間から僅かにのぞく黒髪は、メフラーブの私塾に通っているサータヴァーハナ人と同じでラズワルドにも見慣れたものなのだが、ジャラウカは今までラズワルドが見たことのあるどのサータヴァーハナ人よりも胡散臭かった。

 ラズワルドはまだ胡散臭いという言葉は知らないのだが、白い歯を見せて笑うジャラウカの表情に、嫌いではないのだが、何とも言えないものを感じていた。


「ほお! サータヴァーハナの肌色に金髪とは、中々映えるものだな。よろしくな、小僧」

「ハーフェズです」


 やたらと声の大きいジャラウカに腰が引けるのだが、引いた分向こうがぐいぐいと迫ってくる。相手の領域など知ったことかという勢いで迫ってくるジャラウカ。

 ラズワルドたちが墓に向かった日に王都に入った、サータヴァーハナの旅芸人一座の一員だと二人は名乗った。


「三ヶ月ほどの滞在だ。よろしく! ……じゃなくて、よろしくお願いいたします」


 張り付いたような笑顔と、息をしているのかと心配になる程、話し続けているジャラウカ。

 なぜコイツはこんなにも喋り続けているのだろうと、疑問に思ったが、聞く程のことでもないと考えてラズワルドは黙った。


「旅芸人の一座で、お前は何をしているんだ? ジャラウカ」

「俺の仕事は経理だ。経理ってのはな」

「知ってるー。メフラーブ、頼まれて経理の仕事することあるから」

「そ、そうか。さすがは神の子公柱」

「でも普通は、団員と一緒に寝泊まりするもんだろ」


 片田舎ならば旅芸人一座は珍しく、一座から離れて下宿に寝泊まりしていても、不審がられないかもしれないが、ここは大陸行路の中心地とも言えるナュスファハーン。その王都で六年も生活をしていれば、旅芸人一座など二十や三十を超えるほど見かけ、彼らがどんな生活をしているのか、子どもでも知っている。

 そして子どもは疑問を率直にぶつけてくる。


「俺、繊細なもんで、同部屋のやつのいびきが煩いと寝られないので、下宿を借りる許可を貰ってきたの……ですよ」

「ふーん。まあいいや。三ヶ月間よろしくな」

「こちらこそ、ラズワルド公」


 メフラーブはなんとなく事情を察したが黙っていた。彼はそういうことにはあまり拘らない。そしてラズワルドも養父に似て、それ以上は突っ込まなかった。奴隷であるハーフェズやナスリーンは主人の意見に異議を唱えるはずもなく ――


「シュールパラカさま。今すぐここを出たほうがよろしいかと」


 ラズワルドとハーフェズが去るとのラーダグプタがに、早々に立ち去るように促す。

 ジャラウカは自国の貴人から身を隠す必要が生じ、伝手を頼って旅芸人一座にまぎれ、異国人がまったく目立たない、大陸行路の中心ナュスファハーンにやってきたのだ。

 ただ目立たないと同時に、手に入らぬものはない花の都にして学問の都ナュスファハーンは、異国の貴族も多く逗留している。その中には当然サータヴァーハナ王国の貴族もいるので、彼らが近寄らない下町に滞在することにした。宿を借りなかったのは、人の出入りが激しくないほうが安全だろうと考えてのこと。


「まさかこんな下町に生き神がいるなんて、思いもしなかった……。だがな、ラーダグプタ、聞いただろうこの家は、公柱の持ち物だと。そこから慌てて逃げ出し、別の家を借りたら余計に目立つ」


 などと色々考えて、貴族は足を運ぶことはない下町のど真ん中の、古びた安い下宿を借りたのだが、その家はことごとく予想に反した家であった。


「です……」


 ラーダグプタの話は、入り口の扉が力任せに開かれたことで止まり、


「その剣は抜かないほうがいい」


 賊に対して刃物を向けようとしたのだが、あっという間に人質に取られたジャラウカの首に、賊が刃を押し当てていることに気付き、言われた通りに動きを止める。

 勢いよく開かれた扉は外に待機している武装神官によって閉じられ、室内には武装神官四名が侵入していた。


「おっと……これは、これは、公柱。俺はラズワルド公になにか失礼なことでもいたしましたかな」


 ジャラウカの問いに、彼の首を締めながら首筋に刃物を押し当てている神の子が答えた。


「わたしはシアーマクという。覚えてくれなくてもいいが」

「いえいえ、しっかり……と覚えさせていただき……ます」

「そうか、では”シュールパラカさま”とやらにお尋ねしよう。なんの目的で、この家を借りた?」


 首を締める腕と押しつけている刃物に力を込めながら、ラーダグプタが口にしたサータヴァーハナの地名シュールパラカに「さま」をつけて尋ねた。

 

「俺の名はジャラウカと」

「いま王都にいるのは、シュールパラカから来た一座だったな。間諜であったと全員殺害しても良いのだぞ、ジャラウカ。わたしには理解できぬが、そうなったらダンジョール王子は喜ぶのであろう」

「……」


 シアーマクの問いかけにジャラウカは、知らぬと答えようとしたのだが、答えに詰まった。それは喉を絞められているからなどではなく、嘘をつくことができなかったのだ。唯一できた抵抗は無言。だが無言で事態の好転は望めぬと判断し口を開く。


「数少ないそなたの味方なのであろう? まあ、そなたの味方だ、そなたが口を割らずに殺されても文句は言わぬであろうが」

「そこまで分かっておいでならば、俺が言う必要もないかと」

「だから聞いているのは、なぜそなたが、ラズワルドの住処の隣にいるのだと」

「正直に答えますので、首を絞めるのを」


 首を拘束していた腕が離れると同時に、腰を蹴られて前のめりに転んだジャラウカの頬の脇に剣が落とされ、彼の頬に髪一筋ほどの傷が付く。


「そのままの体勢でよい。それで、理由は」


 無防備になっていた背中にシアーマクの片足が乗せられ、力を込めてくる。先ほど首を絞められていた時とあまり変わらぬ苦しさの元、ジャラウカは彼としては珍しく正直に答えた。


「隣に公柱が住んでいるとは知りませんでした」

「そうか」


 その答えを聞いたシアーマクは足を避け、ジャラウカの二の腕を掴み立たせる。


「えっと……信用してくださるのですか」


 十七年間の人生において、人に信用してもらえないことが多かったジャラウカは、あまりにもあっさりと信用されて非常に戸惑った。


「これでも僅かながらとはいえ神の力を持つのでな、嘘をついているかどうかくらいは分かる」

「それは怖ろしいお力で」


 嘘を付けなかったジャラウカの背筋に冷たいものが走る。


「そうでもないが……とりあえず、あとで話を聞かせてもらおう。これからわたしは、ラズワルドの所に寄らなくてはならないのでな」


 シアーマクが手を離すと、入り口の扉が叩かれ ―― 返事も聞かずにラズワルドが扉を開いて入ってきた。


「干し棗椰子のおすそわ……シアーマク、どうした?」


 小ぶりな籠に干し棗椰子を詰め、ハーフェズを連れてやってきたラズワルドは、居る筈のないシアーマクの姿を見て驚く。


「ラズワルドと一緒に遊んだことをメフラーブ殿に伝えるのを忘れたことを思い出したのでな」

「別に要らんと思うが」

「まあまあ、挨拶させてくれ」

「どうして、下宿にいたの?」

「下宿にするとは聞いていたので、借りようかと考えて、家を見に来たところ、人がいたので、物取りかと思って」

「だから護衛と一緒に? あーうん、たしかにあやしい男だけど、悪い奴じゃないよ」

「そのようですね」

「それにシアーマクなら、東の貴族街に家を構えられるじゃないか。ヤーシャールみたいに買って貰えば」

「下町に泊まりたい気分になった時のため用に、知り合いの下宿を借りようかと思ったのですよ。わたしは人見知りなので、まったく知らない人が相手ですと、緊張するので」

「人見知り……お前がなに言ってるのか、まったく意味が分からないぞ、シアーマク。人見知りってヤーサマン神の娘みたいな奴のことを言うんだろ? お前ヤーサマン神の娘と正反対じゃないか。あ、ジャラウカ、これラーダグプタと一緒に食べるといいよ。シアーマクがお邪魔したな、連れていくから。さあ行くぞ、シアーマク」

「はい、ラズワルド。それではジャラウカ、ナュスファハーンを楽しんでください。そうそう、東には旨い料理店がある。お前たち、店の場所を教えてあげなさい」


 シアーマクに続き護衛の兵士たちが次々と出て行き、最後の一人が胸元から刻印が施された、大人の手のひらに収まる長方形の金の板を差し出し、店の場所と刻限を告げ ――


「来るも来ないもご自由ですが、ペルセアで神の子の命に背くとどうなるか」


 金の板を受け取ったジャラウカだが返事は返さなかった。


「いかがなさいますか? シュールパラカさま」

「いかがもなにも、公柱のご指示に従うさ」


 最後の一人が出て行った後、純金製の板と刻印を眺めながらジャラウカはそう答えた。彼が先ほど返事を返さなかったのは、反抗心などではない。命じられたら参るのが当然のことゆえ「参ります」などと返事を返すほうが不敬にあたるのだ。


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