ハーフェズの主、ハーフェズをお供にする

 かつて大陸には魔王がいて、暴虐の限りを尽くしていた。それを憂いた初代ペルセア王が主神の愛し子メルカルトの子の力を借り、宝剣を用いて魔王を封印することに成功し、ペルセア王国を興した ―― ペルセア王国の子どもたちは、この物語を聞いて育つ。

 

 子ども向けの物語は簡素化されており、必要な部分が省かれていることもあれば、要点はしっかりと押さえてもいる。

 要点は初代ペルセア王がメルカルト神の力を借りて、魔王を封印したということ。

 人の力のみではどうすることもできなかったこと。またのではなく封印するにとどまった、この二つが正しく書かれている。

 実際魔王はペルセア王国の中央からやや北東に位置する山に、場所に封印されている。昔はその山にも名はあったがそれらは既に失われ、今は専ら「魔の山」と呼ばれており、その呼び名に相応しく、封印されてもあふれ出す魔王の力により、周囲には魔物が跋扈している。


 省かれている部分は、魔王が大陸に現れた経緯と、初代ペルセア王の当時の立ち位置。

 魔王は元は精霊王であった。精霊王であった頃も邪で嗜虐性が強かったため、他の精霊たちが反旗を翻し、現在の精霊王に討たれた。

 精霊王は魔王の力を五つの石に封印し、一つずつ砕く。理由は魔王の力が強かったため、一撃のもとに葬ると強大な力が放出され力の弱い精霊たちが、消失してしまうために取った措置であった。

 魔王の力を封じ込めた石は、一つであってもその力は強大。そこれこそ、一つあれば人間の住む世界ならば簡単に支配できるほど。

 精霊王は時間をかけて四つの石を砕き、最後の石を砕こうとした時、魔王の眷属たちがもたらす金銀財宝、魔王の力による不老長寿に目がくらみ、人間が魔王を人間の世界に招いた。

 精霊王は警告したが、魔王の力に酔った彼らは聞き入れず、精霊王は呆れ ―― 人間と精霊王の関係は途切れた。


 魔王を地上に招いた人間四名は、魔王の側近五名と共に側近として仕えることになり、地上の富と栄華と不老長寿を手にする。

 魔王はかつて精霊王の地位を追われた時と同様の暴虐を、当然ながら地上でも行った。

 人間たちは魔王の気まぐれで殺され、搾取され、恐れ縮こまり息をひそめ、人として生まれたが、人として生きているのか死んでいるのかも分からないままの生活を送り、そして殺された。この頃は天寿をまっとうできた人間は、誰もいなかった。

 それは主神であり冥府をも司っていたメルカルト神も知ってはいたが、人間が望んだ結果による災禍なので沈黙を保った。


 魔王が地上に招かれてから約五百年。招いた四人のの一人が、己の盲を恥じ、地上を取り戻すために立ち上がった。それが初代ペルセア王である。

 彼は主神より宝剣を授かり、メルカルトの子の助けを借り、魔王の支配に抵抗する者を率いて戦い封印することに成功し、大陸の平和を取り戻すために国を作り初代王に就き、魔王を封印するのに協力してくれたメルカルト神とその子を祀り、以来三百年、ペルセア王国は偶に魔物の襲来はあるものの繁栄し、いまでは大陸の中心と呼ばれる程の国になった。



 もちろん、これが全てではないが ――


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「バフマン爺さん、もっと!」


 ペルセア王国歴三一七年の春、ラズワルドとハーフェズはになっていた ―― この当時は生まれた時点で「一歳」で、固有の誕生日などはなく、年が明けると皆が一斉に年を一つ取っていたいたので、ペルセア王国歴三一七年の春ということは、現在に当てはめて考えると、十一月生まれの二人は四歳ということになるが、この時代では六歳として扱われていた。


 バフマン爺さんとは、隣に住んで居る老人で、若い頃は旅人として各地を放浪し、大陸の花と呼ばれるペルセアの王都ナュスファハーンに住み着いた。

 若い頃各地を巡った老人の物語は、ラズワルドとハーフェズのみならず、ヤーシャールやアルサランにも好評で、自宅前に置かれた木箱に腰を降ろして、老人の話を聞いては楽しんでいた。


「爺さんの声が枯れちまうだろう。ほいよ、爺さん」


 メフラーブから水が入った木杯を受け取り、髭で隠れている口元へと運ぶ。


「そっかー。でもバフマン爺さんの話、楽しいし」

「また今度にしろ、ラズワルド」

「はーい。じゃあバフマン爺さん、また明日。ヤーシャールの馬、見に行ってくる」


 神の子にねだられたら、話さないわけにいかないので、メフラーブがよく止めに入っていた。


「毎日毎日、語らせて悪いな、爺さん」

「いやいや。公に楽しんでいただけて嬉しい限りだよ」


 老人はぱさつき、まばらになっている白い顎髭を撫でながら、ハーフェズと手をつなぎ歩いているラズワルドの後ろ姿を感慨深げに見送った。


 余談ではあるが、ハーフェズの命名に、この老人は大きく関与している。名付けに口だしをしたというのではなく、ハーフェズがメフラーブのところにやってきたのが十一月バフマンだったので、隣にバフマンという名の老人が住んでいなければ、雑なメフラーブは名を考えず、生まれ月バフマンそのものを命名したという意味で。

 この名付けに関する出来事は、ラズワルドも知っている。


 ラズワルドが五歳になった際に「便宜上ハーフェズと俺が名付けたが、正式な主はお前だから、好きな名前に変えていいんだぞ」とメフラーブから説明を受け、養父の雑な性格を知っていたラズワルドが「なんで守護者ハーフェズにしたの?」と尋ねて返ってきたのが「隣に十一月バフマンがいたから、違うのをと考えて守護者ハーフェズにした」なる答え。

 ラズワルドは妙に納得し、そしてハーフェズの名前はハーフェズで良いとした。 ―― 守護者ハーフェズは、彼の将来を見据えた良い名であった。現状は「泣き虫」と呼ばれるハーフェズだが良い名である。

 ハーフェズの父親であるネジド公国のサラミスに、息子の名とナスリーンの現状を認めた手紙を送ったところ、父親から『良い名前をありがとうございます』との金貨五十枚と一緒に返事があったほど。ただ『ハーフェズがお仕えするラズワルド公柱とは、男児なのでしょうか、女児なのでしょうか。失礼とは思いますが、間違ったまま覚えておくのは、より非礼と考えまして、恥を忍んでお尋ねを――』なる文も記されていた。

 ペルセアでは瑠璃ラズワルドと名付けられるものはほとんどいないので、男なのか女なのか判断に困ったのだ。

 字が読めるようになってから手紙の内容を知ったラズワルドは、自分の名前がハーフェズと違い、一般的ではないことを理解したが ―― 養父譲りの雑さで気にしなかった。


「バフマン爺さん、元気になれよ……っても駄目か」

「申し訳ございません、ラズワルド公」


 高齢だったバフマンは、三一七年の春の終わりに体調を崩し寝付いてしまった。独り者で身寄りのない彼の面倒を、周り近所の者がみる ―― 隣に住んでいる神の子ラズワルドは、特に熱心にバフマンの元へと通った。

 日々精気が抜けてゆき、老衰してゆく老人から話を聞くことは、ほとんどできないのだが、


「こうして、わたしは、デルベンド王国をあとにしたのでした……どうだ!」

「そうでしたな」


 老人が話してくれた内容を巻子に記し、本として残して読み上げていた。


「次はバフマン爺さんが、サマルカンドに行った時の話を纏めよう! あの話好きだなあ」


 ごく有り触れた自由民の簡素で、財産らしい財産のない部屋で、透かし細工の美しい銀の冠を被った神の子が枕元で死まで付き合ってくれるなど、老人は考えてもみなかった。

 王侯が金銀財宝を積んでも叶わぬ死出の旅路への準備に、老人の心は穏やかで、そして最後までラズワルドを満足させたいと、乾いた唇でまだ語っていないことを途切れ途切れに伝えた。


「ラズワルド公。サマルカンドの北東には最果てエスカテの城塞があるのですよ。その先には遊牧騎馬民族が支配するマッサゲタイという国があるのですよ」

「へえ」

「街にも居るでしょう。ちょっと背が低くて目が鋭くて、ペルセア語があまり上手くないやつら」

「……ああ! わたしの顔を見ると”びくっ!”とするやつらな! その後直ぐに頭下げるけどな!」

「ペルセアも騎馬民族ですが、マッサゲタイはそれ以上で、馬上で熟睡できるそうですよ」

「それは凄いが、馬だって人を降ろして休みたいだろうに」

「たしかにそうですな。そうそうマッサゲタイにはかつて女王がおりましてな、これが自分より強い男以外とは結婚しないと言い放ち、結局自身が強すぎて結婚できず、また軟弱な男共に見切りをつけ、王位を降りてマッサゲタイを去ったと言われております」

「ほおー! 武人か! 武人だな! 王というよりは武人だな」

「はい」

「会ってみたいものだな」

「もう随分と昔の話ですので、今はもうこの世にはいないのではないでしょう」

「そうか」


 新たな話をすると黄金を散らした神の子の瞳が、好奇心に満ち更に輝きを増し、それを見る都度、老人は自分の命が途切れてしまうのを悔いた。


 その年の夏の初めに、バフマン老人は息を引き取った。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 人間がその魂は神の国へと行くわけだが、容れ物であった骸は残る。これを適切に葬らねば、骸に邪なものが宿り、墓場から抜け出し屍食鬼となり人を襲うようになる。

 これは大陸のどの国でも同じことで、死者はしっかりと葬る必要があった。

 ペルセア王国の墓地いくつか種類がある。

 一つは王族が埋葬される祖廟。これは王都ナュスファハーンから馬車で三日半ほどの距離にある、大きく壮麗な廟で、ペルセア国内には一つしかない。

 次に諸侯王の一族が埋葬される廟。こちらは諸侯王の数と同じく五つで、どの廟も諸侯王宮の中にある。

 三つ目は貴族が埋葬される墓地。四つ目は自由民が埋葬される墓地。五つ目は奴隷専用の墓地。これらは国内の至る所にある。

 ただ奴隷や自由民も貴族の墓地に埋葬されることもあった ―― あの世で生活に困らぬようにと、使用人を付けてやる場合、所謂殉死である。

 六つ目の墓地は犯罪者が葬られる場所。埋葬費用がない者は、この犯罪者が葬られる場所に死体を放り投げて立ち去る。

 王都ナュスファハーンに住んでいる自由民は、王都ナュスファハーンから東に驢馬車で一日ほどの距離にある埋葬地に葬られる。


「二人旅!」

「ふたりたび!」


 ラズワルドたちの隣に住んでいたバフマン老人が老衰でこの世を去った。当人は自身の寿命が尽きるのを感じ取っていたので、出来るうちに後始末をし、最後は眠るように息を引き取った。

 バフマン老人の財産は全てラズワルドに ―― 一人暮らしの老人が人生の明かりが消える間際に、神の子ラズワルドその奴隷ハーフェズと交流を持ち満足し、その養父に後始末を依頼してこの世から旅立ったので、財産の贈与は当たり前のことだと誰もが納得し、そして憧れた。

 財産の寄進は死後神の国へ行くためには、したほうが良いとされている。

 自由民は財産などほとんどないので、滅多に寄進などはできない。財産があったとしても、寄進先は神殿で神の子に直接財産を渡せる栄誉に預かることは不可能である。

 バフマン老人の財産は、小さな家とベッドに枕、すっかりと擦れてしまった毛皮二枚。クッション三つ。鍋が一つに器が二つに杯が一つに匙が一つで着替えは三着。バフマン老人の家にあったのはこれだけだが、自由民の財産としては一般的なものでもあった。

 それら全てをラズワルドに寄進した ―― 寄進されたほうが困るような財産だが、ラズワルドはそれらを全て受け取った。


「二泊三日だからな」

「分かってる!」

「わかりました、メフラーブさま!」


 財産を寄進されたのはラズワルドで、メフラーブにはなんら関係ないのだが、そこは隣に住んでいる者のよしみということで、バフマン老人の葬儀の手配をメフラーブが整えた。

 まずは棺を手配して、買ってきた青緑の布に没香を焚きしめ、届いた棺にその青緑の布を敷き、近所の者たちと一緒に棺にバフマン老人を収めた。

 あとは神殿から使徒を呼び、祈りを捧げて貰うのだが、


「わたしでよろしければ」

「いや、願ったりというか、そんな金ないぞ」

「金など取りませんよ先生」


 バフマン老人の死を知って、仕事の合間を縫い、正装で訪れたヤーシャールが祈りを捧げることになった。

 祈りの姿勢は膝をつき両手のひらを天空へと向け目を閉じる。


「ほあ! すごい」


 そうして祈ると、空から光の粒が舞い降りてくる。これは神の子だけの特権ではなく、真摯に神に仕える者も起こすことのできる神の恩寵の一つ。

 見える祈りということで分かりやすいこともあり、非常に人気が高い。


「これで、バフマンが屍食鬼になることはない……ラズワルドがいるから、その心配は無用ですけれども」


 自宅で執り行う儀式はこれで終わり。

 あとは埋葬地へと連れてゆかなくてはならない。

 王都ナュスファハーンから自由民の埋葬地までは驢馬車でゆく ―― 貴族や王族は埋葬地まで馬車で疾走しての日数だが、自由民や奴隷、犯罪者は歩くのとさほど変わらない驢馬車で半日。自由民や奴隷は埋葬のために使える日数が少ない。休めばその分稼ぎが減るので、あまり遠い場所を埋葬地にするわけにはいかないのだ。

 バフマン老人を埋葬地に運ぶため、メフラーブは驢馬車を一台予約していた。

 自宅での儀式が終わった翌朝、驢馬車がやって来きて、また近所の者たちが協力して棺を驢馬車の荷台に乗せる。


「バフマン爺さんのこと頼んだぞ。ラズワルド、ハーフェズ」


 私塾があるメフラーブは王都に残り、子供二人だけでバフマン爺さんの棺の埋葬に立ち会う。


「よろしゅうお願い致します、公柱」


 下町の独居老人を、自由民墓地へと運ぶ仕事だと聞いていた驢馬車の運び手は、青い正装で現れた神の子に驚き、跪拝し挨拶をした。


「ラズワルドっていうんだ、よろしくな」

「へ、へい……うちのぼろい驢馬車でよろしいんですか?」


 神の子ならば、最上級の馬車を十台や二十台即座に用意できるのだが、


「問題はない」


 ラズワルドの頭に、そんなことは微塵も思い浮かばなかった。

 数え六つの子ども二人旅。それは普通は危険度の高いものだが、ラズワルドがメルカルトの娘であることで、ペルセア国内では安全な旅が保証される。


「こういう感じよね」


 ラズワルドはマリートとナスリーンと共に作った、長方形の青緑の布の短い一片を少し折り返し紐を通した。

 その紐を腰に結び、クッションを敷いた棺の端に座り、他の部分を布で覆い隠す。


「王侯貴族は、たしかにこんな感じだな」


 残った骸に邪悪なものが入り込むことを、人々は恐れる。邪悪なものが骸に宿ると、その肉体から離れた魂が引き戻され、永遠に地上を彷徨うことになるためである。

 ただ邪悪なものも、骸を自在にできるのには制約がある。その最たるものが、死後七日間居以内の骸ではなくてはならないというもの。故に金持ちや王侯貴族は、自宅に神官を招き、七日以上死体が収められた棺に祈りを捧げて貰う ―― ただこれを実行するのには、当然ながら金がかかる。

 メルカルトの子が祈りを捧げ、彼らに棺の側で七日間過ごしてもらえば、これ以上ない安心だが、彼らの場合は金を積んでも意味がなく、余程でなければ引き受けてもらうことは難しい。

 王国で唯一それを確実に引き受けてもらえるのは、ペルセア王のみである。

 それ以外の者たちは、死した自分の体が動き出すという恐怖に付きまとわれ、それを解消するために棺を結界で覆い、埋葬地まで向かうのだ。

 その結界というのが布。

 本来であれば、能力を持った人物が頭に被った大きな布で覆うのだが、


「麦わら帽子な」

「ありがとう、メフラーブ。ハーフェズも似合う」

「ラズワルドさまも似合ってる」


 驢馬車には幌がないため、頭部を日差しから保護する帽子が必要なので、驢馬車を操る運び手と同じく麦わら帽子を被り、棺を覆う布を腰に結びつけたのだ。


「バフマン爺さん、シャーのようだな」

「ラズワルド公、次は陛下の棺に乗るだろうに」

「こら、縁起でもないことを言うな」


 近所の人々に見送られ、バフマン老人はラズワルドとハーフェズと共に最後の旅に出る。驢馬者が動き出すと、道に出ていた者たちが跪拝する。

 その跪拝を見て、なにがあるのかと目をこらす者の視界に飛び込んでくる、顔の半分が青い子ども。

 正装をした神の子がやってくることに気付くと、彼らもまた驢馬者が通り過ぎるまで跪拝する。


「たーび。たーび、ふたりたびー!」

「たのしみですね、ラズワルドさま」

「夜、ナスリーンがいなくても、泣くなよ! ハーフェズ」

「泣きませんよ! 酷いな、ラズワルドさま!」


 驢馬者の荷台、その棺に座っている二人は、初めてのことに興奮して、周囲の跪拝にまったく気付かなかった。唯一気付いているのは驢馬者を操る運び手で、彼は非常に居心地が悪く緊張しっぱなしであった。

 そんな運び手の気持ちなど知らないラズワルドは、ハーフェズと街道に出ている商店を眺めては、楽しげな声を上げ、水筒で喉を潤してはまた話し ―― 退屈する暇もなく正午ちかくに墓地へと到着した。

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