ハーフェズと主、夜更かしをする
墓地には多数の人間がいる。墓を守ったり、湧いてでた屍食鬼を倒したりするために、武装神官が数名常駐している。
墓地に埋葬にやってきた人たちから金を取り、最後の祈りを捧げる神官も必要で、墓穴を掘るなどの使役夫も常駐している必要がある。
また墓地までの道のりは驢馬車で半日。朝の城壁開門と同時に王都を出ても、墓地に到着するのは昼過ぎなので、午前中に埋葬しなくてはならないという宗教の決まり事により、最低でも一泊する必要があるため、宿に食堂、公衆浴場も完備されており、そこで働く者たちもいる。
宿があれば、街道を旅する者が泊まり、客が増えれば露天が並ぶ。その露天商は野宿も多いが、墓地の宿に泊まることもある ―― 中々に自由民の墓地は賑やかな場所である。
ただ賑やかで、必要な場所ではあるが、左遷場所の一つでもあった。失態をおかして墓地に飛ばされた者は、死ぬまで墓地勤めとなる。
それを知っている同僚は、左遷された者に対して「魔物だけじゃなくて賊とか、外国人に狙われる辺境周りとか、俺たちの力じゃ手も足もでない魔物がいるかもしれない、魔の山周辺の警戒とかじゃなくて良かったじゃないか」と慰めるが、なんの慰めにもなっていないことが多い。
王都近くの墓地は左遷地としては温いが、王都が近い分、左遷されたという事実が重くのし掛かる。
「無事到着!」
「おじさん、ありがとうございます」
墓地の驢馬車の停車場に到着した二人は、元気よく棺から飛び降り、ずるずると自分たちの荷物が入っている鞄と水筒を引きずり降ろす。
驢馬者の運び手の仕事は、入り口にある停車場まで。棺を降ろし一晩過ごす礼拝堂まで運んでもらうには、墓地にいる使役夫に金を支払い運んで貰うことになる。
「これは特別代金だよ」
料金は前払いなので既に支払っているが、旅の快適さに心付けを渡すのはよく行われる ―― 人間同士であれば良いのだが、相手が半分以上神の場合は、
「いえ、いただくわけには……あ、そうだ。棺運びやしょう……でございます」
人は恐縮するだけである。
「要らない。王都に帰る人を乗せるんだろ。使役夫! 使役夫!」
驢馬車の運び手に銅貨を三枚握らせ、ラズワルドが大声を上げると、白い長上衣に青の短衣をはおり、柄に薄れてはいるがメルカルト神の意匠が施された剣を佩いた男たちが駆け寄ってきた。
「武装神官呼んでない。呼んだのは使役夫」
腰に結びつけていた紐を解き布を適当に畳んでいるラズワルドに、武装神官たちは膝をつき、一人だけ面を上げて受け答えをする。
「使役夫が足りていないので、我々も使役夫の真似ごとをすることがあるのです、ラズワルド公」
「わたしの名前、知ってるんだ」
「それはもちろん、武装神官ですので」
「そっか。まあいいや、じゃあ運んで」
武装神官五名の手によって、バフマン老人の棺は礼拝堂へと運ばれた。
「はい使役代」
革の小袋から銅貨を取り出し、賃金を渡そうとしたのだが固辞された。
「武装神官ですので」
「小遣い稼ぎしてたんじゃなかったのか」
「違います、ラズワルド公」
「そっか。埋葬の使役夫に先払いしたいから、紹介してくれ」
礼拝堂に運ぶのにも、埋葬地に運ぶのにも金がかかる。もちろん、ここで明日の朝最後の祈りを捧げる前にも、決まった料金を支払わなくてはならない。
「我々が運びますので」
「使役夫の仕事取るな」
「申し訳ございません。ただいま呼んで参りますので」
「早く頼むー」
棺が並ぶ広い礼拝堂の一角で、ラズワルドとハーフェズはバフマン老人の棺に、先ほど畳んだ布を開いて二人で被せる。
「これで結界は張れた筈。失敗してても、なんとかなるはず」
「良いんですか? それで」
「きっと大丈夫」
大仕事をし終えた気分のラズワルドの元に、わりと身なりの良い使役夫が三名、先ほどの武装神官に連れられてやってきた。
ラズワルドは彼らに棺の埋葬を依頼し、前金を支払う。
恭しく銅貨を受け取った彼らに、重ねて丁寧に埋葬するように頼み、
「宿を取りに行こうか、ハーフェズ」
「はい、ラズワルドさま」
今晩泊まる部屋を借りるために、墓地内の宿屋を目指すことにした ―― 目指すといっても、墓地の施設の一つなので場所も明らかならば直ぐにたどり着ける距離なので、決意を新たにするほどのことではないのだが、崇高な使命だと言わんばかりにラズワルドは言い切り、ハーフェズはぽやぽやと付いて行く。
「貴賓室があります」
自由民にも豪商など大金持ちがいるので、彼ら用に豪華な部屋も幾つか用意されている。勿論値は張るのだが、神の子は使ったとしても無料である ―― 神の子は公共料金や税は全て免除されている。なによりこの場所も神殿の管理下なので、神の子から金を取ることはない。
「きひ、んしつとやらが、何かは知らんが要らん。宿に泊まるんだ」
だがラズワルドにとって大事なのは、自分で宿をとり泊まること。空になりかかっている水筒を振り回しながら、ハーフェズの手を握って宿を目指す。
その後ろを武装神官たちが、どうしたものかといった体で付いて歩く。
宿の受付にたどり着いたラズワルドは、壁に掛けられている料金表をじっくりと眺めた。
「一番安い個室は銅貨三枚か」
「でも部屋だけなんですよねーラズワルドさま。バフマン爺さん言ってましたよね」
「うん、そうだな、ハーフェズ」
この時代の宿は大部屋で雑魚寝が主流。
大部屋は銅貨一枚で借りることができる。屋根と床と天井があるだけで、寝具などはないが、夜風と露が凌げ薄いながら魔払香が焚かれているだけで、人々は安心できる。
銅貨三枚からの個室だが、こちらも寝具などは備え付けにはなっていない。
寝具やランプ、香炉は貸し出し制で、紛失などを考慮して多目に金を取り、返却すれば半額戻ってくる仕組みになっている。
買い取りはランプの油や、魔払薬など。
部屋に明かりがないのはもちろん、廊下などにも明かりはない。人が居ない場所で火を灯すと火事になる恐れがあるためだ。
自由民は懐事情から個室よりも大部屋に泊まる者のほうが多い。
バフマン老人から話を聞いていたラズワルは、当然大部屋に泊まるつもりだったのだが、この二人旅すら止めなかったメフラーブに「大部屋雑魚寝のはずが、大きい部屋にお前とハーフェズの二人きりになっちまうから、それは止めておけ」と止められたので諦めることにした。
「ちょっと豪華に銅貨五枚の個室にするか。寝具は一組でいいよな」
「いいですよ。掛け布団に敷き布団に枕で、銅貨六枚ですよ。でも半額は返ってくるんですね。良かったですね、ラズワルドさま」
「メフラーブの一日の稼ぎが、そろそろ吹っ飛ぶな!」
「貧乏になっちゃうんですか……」
奴隷としては主が貧乏になると売られてしまうので、主の懐具合は非常に気になる所であり、心細くなるのである。
「大丈夫、大丈夫。心配ないぞ、ハーフェズ。だから泣くな。さて寝具を運ぶとする……」
子ども二人で大人用の寝具一式を、三階の角部屋まで運ぶのは中々に骨の折れる仕事であった。
三回に分けて部屋に運び終えた二人は、やり遂げたという顔をしていた ―― 途中、脇に居た武装神官が「運びます」と言ったが、二人とも必死で全く聞こえなかった。多分聞こえたとしても、コレが楽しいのだと、顔を真っ赤にしながら言い返したことだろう。
「次はなにするんでしたっけ、ラズワルドさま」
枕に頭を預けて、飾り気が一つもない漆喰の壁を眺める。部屋に入って開けた窓から、風が吹き込んできた。その涼気を神の紋章で覆われている額で感じてから、元気よく起き上がり、水筒の残りの水を一気に飲みきる。
「次はついに別行動だ。泣くなよ、ハーフェズ」
「泣きませんよ! 泣きませんから!」
空になった水筒と鞄を持ち、二人は元気よく部屋を後にし ――
「らじゅわるよさま……らじゅ……ぐしゅ……」
待ち合わせ場所である食堂前で、ハーフェズはしゃがみ込んで泣いていた。食堂へとやってきた余裕のある大人が、心配して声をかけようとするのだが、隣に立っている武装神官が首を振るので、そのまま通り過ぎ食堂へと入る。
「らじゅ……らじゅわ……」
墓地に到着したときから、ラズワルドとハーフェズにまとわりついている武装神官たちは、王都から左遷された一隊であった。
左遷理由は「メフラーブの誤認逮捕未遂」
ラズワルドが現れたあの日、メフラーブを捕縛しようとしていた彼らは、年明けに王都からこの自由民墓地へと飛ばされ、以来五年間ここで燻っている ―― 燻ってはいるが、王都に戻りたいかと言われると複雑であった。
もちろん大陸の花と歌われ、手に入らぬものはないとされる王都ナュスファハーンに帰りたい気持ちはあるが、しでかした失態の大きさから、神の子たちに会わせる顔がないという気持ちを常に持っているので ―― どの面下げて、復帰嘆願書を出せばいいのか分からない状況だった。
そこにいきなり彼らの左遷の遠因たるラズワルドが現れた。むろん、ラズワルドに対して害意はない。むしろ神の子がお越しになったと、気分は高揚しているのだが、謝罪できない自分たちの身を嘆いてもいた。彼らに下された処分は「謝罪を許可しない」というもの。
謝罪できる距離にいながら、謝罪させてもらえない ―― この時代のごく普通に神を信じている人々とは、後代において敬虔な信徒と呼ばれる者に匹敵する。それほど神が尊ばれ信じられていた。武装神官はその中でも、神に近いところにいることもあり、信心深い。
「あー。ハーフェズやっぱり泣いてる!」
敬虔深いゆえに失態をおかした武装神官のことなど、当然覚えていないラズワルドは通り過ぎ、泣いているハーフェズの肩を掴んで揺する。
「らじゅわゆど……しゃま……」
「遅かったもんな。泣き止むまで付き合うから、なっ!」
風呂上がりでまだ髪が湿っているラズワルドは、すっかりと乾いているハーフェズの金髪をぐりぐりとかき混ぜながら泣き止むのを待つ ―― ハーフェズが泣くとラズワルドはいつもこうしていた。
二人の別行動の理由は公衆浴場。ここは男女別々で、さらに浴場がかなり離れている。子ども二人旅なので、金を盗まれてはならないと、まずはハーフェズを男性の公衆浴場へと連れて行き、ラズワルドが料金を支払い、そこから女性の公衆浴場へと向かった。そして普通の人よりも丹念に洗い上げられた結果、ハーフェズが心細くなるほど待たせることになってしまったのだ。
「ラズワルドさま、ごめんなさい。泣かないって言ったのに」
ハーフェズの涙が止まった頃には、日は地平線から僅かに顔を出しているだけで、辺りはかなり薄暗くなっていた。
「気にすんな。さあ晩ご飯食べよう。ハーフェズたくさん泣いたから、水も買わないとな。豪勢に桶一杯分くらい買っちゃおうか! 泣いた分、飲めよ」
ラズワルドはハーフェズの手を握り、二人で食堂へと入った。
「隅に空きがあるぞ」
二人は絨毯の上に座って食事をしている人たちの間をすり抜け、部屋の隅で腰を降ろした。
「薄暗いですよ、ラズワルドさま」
「そうか」
食堂も明かりを灯して室内を明るくするということはない。調理場近くの席は、明かりが漏れて手元を照らすので、人気の席となっている。
それ以外の席に日が暮れてから座る場合は、自前の明かりが必要になる。
明かりは集まったほうが、より見えやすいので、食事をする者たちは、真ん中に集まる。隣が壁しかない隅は、手元が見えづらいためあまり人気がない。
「今日はどんな料理があるんだ」
注文を取りに来た給仕に献立を尋ね、
「あとは水を桶一杯。合計で幾らになる」
乾燥地帯であるペルセアでは、一番値の張る水を太っ腹と言われる量を注文した。
「済みません、公柱。あっしは合計ってのができないんで、一品ずつでもよろしいでしょうか」
「もちろん。
「御意にございやす、公柱」
注文を取り終えた給仕の、変わった御意など気にせずに、二人は鞄を開き食卓用の布を広げ、匙と器を取り出した。
「お水高いですね」
「仕方ない。まだ酒で喉を潤せる年でもないし。麦酒で同じ量注文したら、値段は半分以下だろうけど、まだまだ飲んじゃだめだってメフラーブ言うし。果汁も良いけど、やっぱり水が一番美味しい」
「そうですね」
「水筒の残りは全部飲め。桶の水がきたら、水筒を一杯にするから」
「分かりました、ラズワルドさま」
ハーフェズが残り僅かだった水筒の水を飲み干し「ふー」と息を吐き出して、辺りを見回すと、自分たちが居る場所だけ暗いことに気付いた。
「ラズワルドさま」
「なんだ、ハーフェズ」
「料理や水を運んで来る人が大変だから、明るくしてください」
「もうそんなに暗いのか、分かった」
神の子にして精霊の守りが強いラズワルドは、普通の人間と違うところが多々ある。その一つに暗闇でも、視界に困らないというものがある。
そのため、暗さなどものともしない。ハーフェズも夜目は利くものの、それも常識的な範囲のため、ある程度明るさは必要となる。
ラズワルドは器をひっくり返して手に乗せて念じ、そろそろと器を持ち上げる。すると手のひらには光る球体が一つ現れる。
「もうちょい上、もう少し。そこら辺でいいぞ」
球体は指示通りにゆっくりと上昇し、二人を照らす位置で停止した。
周囲の驚愕の声に、
「これは精霊の力だからな」
神の力と勘違いされないよう説明をしたが ―― 精霊の力を一定に保ち続け別のことをするというのは、並外れた技量が必要である。
精霊王の未来の正妃は、そういったことには無頓着で、
「水がきたぞ! おお、冷たいな! よし、これが水代。そしてこれが駄賃だ。さあ水を水筒に入れるぞ」
「はい、ラズワルドさま」
給仕に心付けを含め銅貨を渡して、水筒に水を入れる作業に取りかかった。水筒が満ちたところで、器に水を汲み口へと運ぶ。そうしているうちに料理が運ばれてきた。
「残っちゃいましたね」
二品を食べ終え満腹になった二人の脇には、まだ水が半分ちかく残っている桶。
「部屋まで運ぶか」
水を入れた器で匙をすすぎ布で拭き、鞄にしまい、残った水を一気に飲み干したラズワルドは、桶の縄取っ手を両手で掴み持ち上げる。床から少しは離れるが、運べるほど持ち上がらない。力が足りないというよりは、取っ手の縄が大人用のため長すぎ、ラズワルドの体格では無理があった。
「失礼いたします。こぼすと大変なので、運ばせていただきます」
「割と暇なのか、武装神官」
雑役夫を呼ぶつもりだったラズワルドの前に、到着以来ずっとまとわりついている武装神官の一人がやってきて、軽々と桶を持ち上げた。
「それはまあ、暇でございますよ、ラズワルド公。なにせ公柱がいらっしゃると、魔物も屍食鬼も現れませんので、こうして安心して建物内で過ごすことができますので」
本当は旅人を襲う野党を警戒したり、建物内の巡回などもする必要があるのだが、武装神官としてそれよりも神の子の手を患わせないほうが重要だった。
「仕事とって悪かったな」
「いいえ。たまにこういう日もいいなと。そのお返しでございます」
「そうか。じゃあ部屋まで運んでもらおうか。行くぞ、ハーフェズ、精霊。あ、そうだ、精霊もう少し増えて、明かりをもっと」
かなり適当なラズワルドの指示に精霊は優秀に従い、光球は五つに増えて前に後ろに頭上を照らし、ラズワルドとハーフェズと武装神官を部屋へと導いた。
部屋に戻った二人は、窓を開けて精霊に姿を消してもらい、布団に入って夜空を眺めた。
「夜更かしできるな!」
「夜更かしですね! ラズワルドさま」
「朝日が昇るまで起きてようかな」
「夜更かしの醍醐味というやつですね!」
「おう! 今夜は月がないから、星がよく見えるな」
「ほんとうだ」
「……」
「……」
「……」
「……」
夜更かしを切望していた子ども二人の寝息が、一組の寝具から聞こえてきたのは、直ぐのことだった。空いたままの窓からしばらくの間、星の光が差し込み二人を照らしていたが、ハーフェズが小さなくしゃみをすると、窓が何者かによりそっと閉められた。
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