第134話 仮面の下

 剥がれ落ちた仮面は、粉々になって地面に落ちる。


 やっぱり――というクラリスの声を聴き、俺は静かに振り返る。


 クラリスは僅かに眉を潜ませ、じっと俺の目を見る。


「ノア……なのね」


 クラリスの瞳には複雑な感情が入り乱れる。

 ここまできて隠しとおすのは無理がある。


 俺は残った仮面の破片を外すと、地面に投げ捨てる。

 仮面の魔術は解け、声は元に戻っていた。


 露わになったその顔を見て、クラリスは息を飲む。


「っ……!」


 隠し通すつもりだった。

 クラリスの夢を壊してしまったかもしれない。それだけヴァンのことを崇拝していたから。


 思い出すのは、あの冒険者ギルドの路地でクラリスに呼び止められた記憶や、弟子と偽った訓練場での記憶。


 ヴァンの話題の度にクラリスの顔はパッと輝き、真っすぐに思いが伝わってきた。


「黙ってて悪かったな、クラリス」

「…………」


 きっとクラリスにとってノアは目の上のたんこぶだ。

 それが崇拝するヴァンと同一人物とわかってしまった以上、その混乱は想像に難くない。


「……何となくそうなんじゃないかって、思ってた」

「!」


 クラリスは俺の方を見れないのか、下を向きながらぽつりとつぶやく。


 クラリスは感づいていたのか……。

 思い返すと、この依頼を受けてからのクラリスの態度はどこか違和感があったようにも思える。あれはそう言う事だったのか。


 クラリスの抱く感情は俺にはわからない。

 いずれにしても、もう以前までの様に接することはできないだろう。


 騙していたと罵られたり、幻滅したとあきれられても仕方がない。期待を裏切ったことには違いないんだから。


 しかし、次に口を開いたときのクラリスの言葉は、予想外の物だった。


「それでも今は……助けてくれてありがとう、ノア」

「クラリス……」


 そして、クラリスはパチンと自分の両頬を叩く。


「それより今は、魔女よ……!」

「! あぁ……その通りだ、クラリス!」


 俺に話したい事、聞きたいこと、考えを整理する時間、いろいろと欲しいだろう。

 だが、その前にクラリスだって一人の冒険者なんだ。


 俺は少しクラリスを甘く見ていたかもしれないな。


 俺たちは魔女の方に向き直る。


「奥の手はつぶれたぜ、災厄の魔女」


 目の前では、唖然とした表情をした魔女が、顔を手で覆い目を血走らせている。


「お……のれ……!」

「余裕がなくなってきたな」


 とっておきが不発に終わり、その顔は焦燥に満ちていた。


 魔女はわなわなと震えながら叫ぶ。


「うるさいわねえ……!! ガキどもが……!!」


 魔女は睨むようにしてクラリスを見る。


「いいわ、結局は同じなのだから……! 雷帝、あなたを殺せなくったって魔神は復活できるわ!」


 言いながら魔女は笑みを浮かべる。


「ダミーが消えて、もうじきここに私の配置した魔術師と、あなたたちが集めた実力者たちが集合する。彼らをまとめて飲み込んでしまえば同じことよ!」

「そりゃずいぶんな賭けにでたな。それをしなかったのは不確実だったからだろ?」

「……」


 ここにきてもう魔女の計算は狂っている。

 俺を仕留めきれなかった時点で、俺から魔力を吸い上げるという目論見は終わってしまった。


 そこで、魔女は一か八かに賭けようとしていると言う訳だ。

 だが、それで魔力が足りるとは到底思えない。


「だいぶ焦ってるみたいだな、魔女」


 終わりは近いか。


「うるさいうるさい!! お前たちのような下等な種族に私たちの感情が揺さぶられるとでも!? この星の魔力を食いつぶすだけのごみの分際で!」


 ふーふーと魔女は息を荒げ、俺たちをにらみつける。

 さっきまでの余裕はどこへやら、完全に混乱していた。


 これなら、隙をついていくらでも倒せる。

 クラリスのお手柄だな。


 すると、魔女は不意に目を細め、体を曲げて笑い出す。


「ふふ……ふふふ! いいことを思いついたわ……!」


 魔女は恍惚とした表情を浮かべる。


「終焉を迎えるための魔神……魔力が足りないのなら、不完全でも顕現させれば良い!! 三日で世界を滅ぼしたとされる魔神よ、たとえ不完全でも力は十分……! 今、ここで! 神を降ろすわ!!」

「なに!?」


 正気か!?

 不完全な状態での復活……魔女の制御下から外れ、誰にも止められない災害になるぞ……!


 なにより、そんな不完全な形で降ろしたときに、一体何が起こるか誰も予想がつかない……! 


「”黒き霧”を自決させ、魔力を拡散させる! そして、このアーティファクトへすべてを注ぎ込むわ!!」


 そういって、魔女はアーティファクトを掲げ、魔本を開く。


「やめろ、それが本当にお前の目的か!? リスクが高すぎるだろ!」

「当然でしょう? リスクこそ人生! 投げられた賽がどうなるか分からないからこそ人生は楽しいのよ」


 正気かこいつ!? 


 まずい……止めないと……!!


「させるかよ!」


 俺は手をかざし、魔力を一気に練り上げる。


「さあ、”黒き霧”! 私の計画の為に命をささげるときよ! 今こそ――」


 瞬間、頭上を黒い影が通り過ぎる。

 それは、太古の魔物が跳躍した合図だった。


 まずい、今邪魔されると魔女を止めきれない……!!


「ッ! このタイミングで……!」


 ”黒き霧”の攻撃を受け止めてから間に合うか!?

 くそ、一か八か――――しかし、それは俺たちには目もくれず、頭上を飛び越える。


「グルアアアアア!!!」

「――は?」


 ”黒き霧”は、魔本を持った魔女に突撃し、そして――――魔本ごと腕を嚙みちぎった。


「――ああああああああああああああああ!!!!」


 甲高い魔女の断末魔の叫びが響く。

 血の噴き出した腕を抑え、魔女はうずくまる。


「どおおじで……!!! 魔本の制御があるのに……!!」

「グルル……」


 ”黒き霧”の目はじっと魔女を見下ろす。

 まるで、貴様ごときに操られると思うなよと言っているかの様に。


 そして大きく口を開ける。


「ま、待ちなさい……! 私は円卓の魔女の一角!! この世界を終わらすものよ! こ、こんなところで……私が……何もなさず森の中で死んでいい訳が――」

「グオアアアアア!!」


 瞬間、慈悲もなく、冷酷に、”黒き霧”の牙は魔女に向かって振り下ろされ、そしてその腹に深々とその牙が突き刺さる。


「ぐっ……うぁあああ!!」


 ”黒き霧”は外殻をパージすると、黒い霧を発生させ魔女を包み込む。

 瞬間、膨大な魔力反応が発生する。


「おいおい、まじかよ……!」

「ど、どういうこと!? 魔女は……」

「魔女の魔力……! まさかここまで……! ここからが本番かよ……!」


『グオオオオオアアアアアアアア!!!!!』


 とどろく咆哮。

 黒い竜巻が発生し、辺りの木々をなぎ倒していく。

 

 それは、まさに”黒き霧”の進化。


 魔女というドス黒い魔力を吸い上げ、自身の糧とした。


 とうとう到達したのだ。

 本来の計画ならこうはならなかったはずだった。


 今目の前にいるのは、完全な成体となった災厄級の魔物。


 ”白き竜”と並ぶ、もう一体の破滅。


「成体――”黒き竜”か……!」


 全身が黒く染め上げられたそれは、自身の翼をはばたかせ、自分が大空の覇者だと言わんばかりに舞い上がった。 

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