第79話 レーデと黒髪の魔女

「目が覚めたかい?」

「…………あれ、僕は……」


 レグラス魔術学院、医務室。


 ここには常時回復術師が滞在しているが、何か特別な催しがあるときに限り、更に上等な回復術師が配属される。その名前が高名であればある程、そのイベントに対する信頼と盛り上がりが約束される。


 レーデは近くの椅子に座る紺色の髪を綺麗に結った女性を見て、瞬時にエリファス・オーゼンバインだと認識した。


「エリファスさん……?」


 エリファス・オーゼンバイン。

 国でも五本の指に入る程の回復魔術の力を持つ回復術師だ。お金で動くことで有名で、例年歓迎祭に呼ばれる回復術師。


 その力は折り紙つきで、噓か誠か、身体から完全に離れた腕を完璧に繋ぎなおしたとも言われている回復魔術の使い手。


 それだけの魔術師が回復術師として待機しているのなら、いくら暴れても良いド派手な大会となる。


「おう、大丈夫そうじゃないかい。まあ、あのビリビリ君が手心を加えてくれたんだろう。絶妙だよ。君はただ感電して気絶しただけ。私が施す処置と言えばただ見てるだけさ。さっき運ばれてきた長髪の少年の方がよっぽどだったね。まあ、彼の場合自然治癒力でさっさと回復して戻って行ったけど」


 そう言い、エリファスはニヤリと口角を上げる。

 暗にレーデがこの程度で眠りこけていたことに対して皮肉っているのだ。 


「…………」


 すると、黙るレーデの元に複数人の生徒たちが集まってくる。

 なだれ込むように、恐らく代表してきたであろう数人が次々と医務室に入ってくる。


「……おい、レーデ」

「君たち――」

「騙してたのか?」

「え?」

「俺達を騙してたのかって聞いてんだよ!」


 先頭に立つ長身の男が、怒りに震えながら声を荒げる。


 それもそのはずだ。

 自らアイリス皇女を救ったと吹聴し、多くの取り巻きを得ていた。その言動に、誰もが騙されていた。


「……すまない」

「信じられない……」

「最低のクズだよ、あんたは」

「…………」


 レーデは項垂れる。


 アイリス皇女は事件の真相を知らないとしらを切っていた。レーデはそこに目を付けた。


 今なら自分も英雄になれるのではないかと。

 悪魔の誘惑。しかし、背中を押す声があった。


 ――そして、レーデはその一歩を踏み出した。


 そしてその作戦は半ば成功したと言えた。レーデの学院内での成績は比較的優秀で、器用に何でもこなすことで知られていた。突出していた訳ではないが、万が一があればレーデなら出来るかもしれない。そう思わせるだけの雰囲気は持ち合わせていた。


 だからこそ、多くの人間が騙された。

 皆がレーデを慕い、その謙虚さに惚れ惚れし、堂々とした振る舞いに敬意を抱いていた。


 だが今、そのメッキは完全に剥がれた。


 レーデを罵る声が医務室に響き渡る。呆れた声が漏れ、ため息が木霊する。

 いずれこうなることは薄々わかっていたのに、引き返さなかった。


 "本物"にコテンパンにやられた。ノアの性格からしてこの状況を考えてのことではなかったのだろうが、この上なく完璧で、最も効果的なタイミングでレーデの嘘は露呈した。こうなれば言い逃れる事はできない。


 皇女に拒絶され、本物に瞬殺され、これ以上のない醜態だ。


 レーデは、さっきから飛び交う仲間だと思っていた人物からの罵倒が、遠い世界のように感じていた。そこにあるのは虚無感、そして後悔だけだった。


 (なんでこんなことになった……)


 レーデは深く頭を擡げる。


 野心はないとは言い切れなかった。

 この学院で偉業を成し、男爵でもやれると証明するつもりだった。ヴァルド家は、アーサーの家同様落ちた名家だった。


 しかし、周りにはより優秀で、より化け物じみた魔術師たちがウヨウヨといた。


 努力、焦り、逃避――。


 徐々に削られていく野心とプライドに、自己を失いそうになったとき、レーデは1人の女性に出会った。


 黒髪で妖艶な姿をしたその女性に、レーデは完全に魅了された。


 濡れたような瞳、絹のようにサラサラとした髪、頭を惑わす色香。正常な思考が奪われていく。


「レーデ君。君、英雄になってみない?」

「えっ……?」


 悪魔の囁き。

 知っていた。今、この国には英雄の席に一つ空きがある。しかも、その順番待ちの券はこの学院――レグラス魔術学院の全生徒が持っていた。


 英雄の顔を見ていないアイリス皇女、同じ雷魔術、そして名乗りでない本物。

 条件は整っていた。


「それがあなたの本当の望みでしょう?」


 しなやかな指が、レーデの顎の下を這う。

 ビリビリと痺れるような感覚に、脳が麻痺する。本物に……ホンモノに……。


「僕が……」

「君がよ。聖天信仰の神々が見守っているわ。このチャンス……ものにできるかしら?」


 女性は言う。


「君が英雄。名家の名を取り戻すのでしょう? 本物は名乗り出てこないわ。――あなたが本物になるの」


 心の隙間に染みわたるように、女の声はレーデの心を絡めとっていく。

 気付いた時には、レーデの心はそうあるべきだと方向性を決めていた。


 自分が英雄になるのだと。このチャンスを絶対に物にするのだと。


 こうして、レーデ・ヴァルドは、"ヴィオラ・エバンス"という1人の魔女の手により、仮初の英雄として進む道を選んだ。その結果は――


「なんで僕は……こんなことに……」


 洗脳が溶けたかのように、心の奥底から代謝の如く弱音が漏れる。

 本当にこんなつもりではなかった。一体どこで間違ったのか。レーデにその認識はない。


 罵倒を投げかけている生徒達も、これには更に強い言葉を投げるだろうと、レーデは身構える。が、しかし、意外にも何も答えは返ってこない。


 辺りを見回すと、このわずかな間でもぬけの殻となっていた。レーデに罵詈雑言を浴びせていた騙されていた生徒たちも、回復術師の先生も消えていた。


「えっ……」

「レーデ・ヴァルド」


 コンコンと医務室の壁をノックする音が入り口から聞こえ、レーデの名を呼ぶ声がする。あの時と同じ、妖艶で色香の付いた声が。


 そこに現れたのは、黒髪の魔女――ヴィオラ・エバンス。


「ヴィオラさん……」

「ふふ、惨めね」


 その言葉に、レーデはグッと身体に力を入れてヴィオラの方に身体を向ける。

 まだ痺れている身体が悲鳴を上げるが、今は関係ない。


「あなたが……!! あなたが僕をたぶらかして!!」

「あら、自分でたぶらかされたなんて言っちゃうなんて、とことん落ちたわね」

「ふざけるな!! いつもの……普段の僕ならこんな……こんなこと!!」


 ヴィオラはゆっくりと近づくと、レーデの横たわるベットに腰を下ろす。


 ゆっくりと手を動かし、レーデの前髪を払い頬を撫でる。


「哀れな子、レーデ。結局使い物にならなかったわね」

「なにを……!」

「人の名誉を横からかすめ取ろうなんて言う大胆な行動。バレないとでも思った? 頭がお花畑ね」

「お前が言うな……!」


 力なく、レーデの腕が空を切る。


「ふふ。――でも、ノア・アクライトの力は見れた。あなたの役目は果たされたわ、ご苦労様」

「は……はぁ……? ノア……アクライト……?」


 レーデの視界が歪む。

 思ってもいない名前が出たことに、レーデは困惑する。


「シェーラの秘蔵っ子……。あれは凄いわ。一体何を考えているのかしら」


 ヴィオラの顔が僅かに緩む。


「わ、訳の分からないことを言うな……! あいつは関係ないだろう! そもそも、英雄にならないかと誘ったのはあなたで――」


 ヴィオラ・エバンス。

 聖天信仰、執行者筆頭魔術師。


 ――そして、魔女の密会……"円卓の魔女"の一柱。


 レーデ・ヴァルドは、厄介な相手に目を付けられてしまったのだ。


「さあ、忘れて頂戴。私のことは」

「忘れられる訳ないだろ! ふざけるのもいい加減にしろ!」


 レーデの泣き声にも聞こえる叫び声が響く。


「誰の……誰のせいでこうなったと――」

「いいえ、忘れるわ」


 そう言い、ヴィオラはレーデの額に手をかざすと、スラスラと呪文を唱える。

 ボウっと魔術の反応が走る。


 次の瞬間、レーデは白目をむくようにして気を失うと、ばたりとベッドに倒れこむ。


「さようなら、偽物さん。またどこかで会いましょう。その時は初めましてね」


 そう言い残し、ヴィオラは医務室を後にした。

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