四章 歓迎祭

第54話 噂

「本当暑くなってきたわね……」


 少し面倒そうな顔をして、クラリスはリボンタイを外しシャツのボタンを少し開けパタパタと扇ぐ。そのシャツの隙間から白い肌が露わになる。


「ク、クラリスちゃん!?」


 隣に立つアーサーは、興奮気味に声を張り上げる。


「……何よ」


 鋭さを増した双眸が、ギロリとアーサーを睨みつける。暑いだけだから見てんじゃないわよ! とでも言うような、無言の圧力。


 それに屈っし、アーサーはアハハと苦笑いを浮かべるとクラリスから名残惜しそうに距離を取る。


「夏も近づいてきてるしな。暑くなってくるのも無理はない」

「そうだねえ。魔術演習の後だし普通に疲れてるのもあるけど」


 太陽は真上から俺たちを照らしつける。

 まだ夏というには早いが、春はそろそろ終わりを告げようとしていた。


 ニーナとの王都観光から数週間。

 魔術の訓練に、魔術関連の知識の勉強、薬草学や、大陸史、簡単な基礎教養などなど……毎日が目まぐるしく進み、俺たちは完全にこの学院の生徒として馴染み始めていた。


 そして、そんなレグラス魔術学院で、最近一つの噂が実しやかに囁かれていた。


 長い渡り廊下で、他のクラスの連中とすれ違う。


「知ってる!? 皇女様を救った魔術師がいるらしいわよ!?」

「知ってる知ってる! しかも、この学院の人なんでしょ?」


 圧倒的な力で氷雪姫を助けた魔術師が居る。そう騎士たちの間で噂になり、それが一部の貴族や名家で噂になり、そしてそれが街に流れた。


 噂では、この学院の制服を着た魔術師、とだけ広まっていた。


 他にも色々な特徴が噂されていたが、そのターゲットとなった"赤い翼"は帝国が身柄を拘束して国に送還したため詳しいことはこの国ではわかっていなかった。


 だからこそ、その程度の信憑性の低い噂なのだが、当時直接リムバの森へ向かった王国騎士が、確かに学生服を着た男にやられたと"赤い翼"の何人かが口をこぼしていたのを耳にしていたのだ。その噂がじわりと広まったようだった。


 その話題は当然渦中のこの学院でももちきりで、数週間経った今でも誰がその人物なのか、なぜ黙っているのか、話の種になっていた。


「――ノア君」

「ん?」


 ニーナはつんつんと俺をつつく。

 クリッとした目で、じーっと俺を見上げる。


「なんだよ」

「さっきのさあ……ノア君じゃないの?」

「またそれか」


 ニーナは少しからかうような、楽しそうな顔で言う。


 ニーナはその話題が出た当初から、俺がその氷雪姫を救った人物じゃないのかと勘ぐっていた。それもそのはず、なんせちょうどその噂の事件が起こった日、俺たちは街にいて、そして綺麗にはぐれていたのだから。


 しかも、俺の言い訳が言い訳だけあって、俺が誰かを助けていたのは明白だった。当然、その時はニーナも自分と同じようにまた人助けしているのだろうと思っただろうが、まさか皇女だとは思ってなかっただろう。


 ここにきてその噂が上がり、ニーナは完全に俺だと睨んでいるのだ。


「――俺は違う。何度聞かれてもな」

「……ふーん」


 わざわざいう必要もない。面倒ごとは避ける。


「……まあいいけどね。そのうち本人が名乗り出るだろうし」

「はは、そりゃどうかな」

「やっぱり怪しい……」


 ニーナはじとーっと俺を見つめる。


 そんなこんなで俺たちは昼食をとりに食堂へと足を運び、いつもの席に腰を下ろす。


「ふぅー、疲れたぜ。朝から飛ばしたなあ」


 アーサーはぐーっと身体を伸ばし、ふぅっと大きく息を吐く。


「あんた体が弱すぎるわよ、まったく。この程度で疲れたとか」

「は、はあ!? ちげえよ、これはあれだ、ただの鳴き声みてえなもんだろ!? 本当かに疲れたわけじゃねえし!」

「どうだか……」

「まったく……そういや、そろそろだな、ノア」

「なにがだ?」


 アーサーはニヤニヤと口角を上げる。


「おいおい、忘れたのか? 歓迎祭だよ、歓迎祭!」

「あぁ、そうだったな。忘れてるわけねえさ」


 もちろん、忘れてるわけがない。俺が最初に超えるべき目標。シェーラからの課題を達成するには避けては通れない祭りだ。ここで俺は力を見せつける必要がある。


「本当かよ……」

「当然だろ。俺の力を見せつけるチャンスだからな」

「ふふ、残念ね。そこで私があんたより上と分かるわけよ」


 クラリスは不敵な笑みを浮かべ、俺を見つめる。

 その目には自信があふれていた。


「はは、クラリスも強いからなあ。せいぜい俺を退屈させないでくれよ?」

「あんたねえ……! 勝った気でいるんじゃないでしょうね!」


 俺は肩を竦める。軽くあしらった方がクラリスのやる気も上がることは性格的に想定済みだ。


「はは、随分と余裕じゃねえかノア、そんなんで良いのか? ――と言いたいところだが、これまでの活躍を見るとなあ……」


 アーサーは呆れたように苦笑いする。


「その自信も根拠があるのが憎い」

 

 それにクラリスが反論する。


「ふん、あんたはそうやってやる前から決めつけてるといいわ。私だって元A級の冒険者。ノアに劣ってるなんて微塵も思ってないわ」

「いいねえ。そうこなくっちゃな」

「お、俺だってそうだよ! 名家に返り咲くんだ、ノアだろうと負けられねえよ!」

「それに、ノアに勝てば間接的にあの人に……」

「あの人?」

「ねえノア、あの人は来るの? 師匠は」


 師匠……シェーラ――じゃなくて、こいつが言ってるのはヴァンの方だろうな。


「いや、来ないだろ。こんなところには興味はないさ」


 そりゃそうだ。ヴァンは俺自身だからな。来るわけがねえ。


「……何だつまらない。私の実力を見て貰いたかったのに」


 クラリスは珍しく子供のように口を尖らせる。


「ノアの師匠に興味あるのか? クラリスちゃん」

「あんたには関係ないでしょ!」

「えぇ……」

「あはは」

「ニーナは歓迎祭どうなんだ?」

「私?」

「あぁ。無理して入学してきたんだ、何かあるんだろ?」


 するとニーナはうーんと眉を八の字にする。


「多分お母さんとかも来るし、この学院に私が進んだのは間違いじゃなかったって見せつけないといけない……とは思ってるよ」


 ニーナは恥ずかしそうに笑うが、その顔は本気だった。本気で勝とうとしている。そういう顔だ。


 俺もニーナの入学を手助けした身として、気になるところではある。


「そうか。ま、召喚の奥の手もまだあるんだろ? 楽しみだぜ」

「ふふ、私が勝っても恨みっこなしだよ!」

「やべえ……ニーナちゃんもクラリスちゃんもやる気満々だな……。他の連中もかなりやる気上げてきてるし……」

「たしかに最近の魔術の授業は白熱してるな」

「あぁ……くそ、俺も負けてらんねえ!! この学院のトップを目指すんだ、お前にも負けねえからなノア!」

「いいね、見せてくれよお前の本気」


「私は君の本気も見てみたいなあ、ノア君」

「え?」


 不意に背後から声をかけられ、俺たちは全員そちらを向く。


 それは魔性の女という言葉がぴったりの女性だった。

 すらっとしていて、出るところは出て締まるところは締まっている、まさに美女。シェーラにも匹敵しそうな美人だ。


 青い長い髪を靡かせ、その女性は悪戯っぽい満面の笑みでそこにいた。


「ねえねえ、お姉さんにだけこっそり見せてよ、本気の君をさ」

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