第48話 約束

 人気のない路地裏に断続的に叫び声が響き渡ってから数刻後。続いていた叫び声が途絶え、シーンと静まり返る。路地の外に人気はない。


「おーこわ……。手馴れてんな、あんた」


 俺は、ぐったりと項垂れ動く気力のないヌエラスに視線を向けながら言う。

 身体中から煙が立ち上り、切り傷が無数に増え、地面には血が滲んでいる。


 恐るべき侍女エルはふぅっと一息つき、畏まった様子で手をハンカチで拭う。


「これくらい、淑女のたしなみです」

「そんなもんがたしなみであってたまるかよ」

「……私も王宮に努める者の一人ということです」


 エルは僅かに笑みを見せる。

 これがアイリスを守る唯一の武器であると誇らしげであるかのように。


「エル……お、終わったの……?」


 少し怯えた様子のアイリスが、おずおずと俺の背中から顔を出す。

 エルは身体を屈めると、にっこりと微笑む。


「終わりましたよ、アイリス様。アイリス様に見せるような顔ではありませんでしたが……。申し訳ありません」


 しかし、アイリスは首を横に振る。


「ううん……私が……エルにいつもこういうことをさせてしまっているのよね」

「違いますよ。私が望んで、アイリス様のためにしているのです。戦闘能力のない私が唯一アイリス様の助けになれることですからね」

「エル……私はそんなことしなくてもいつも感謝してるわよ」

「ふふ、ありがとうございます。今日は素直ですね」

「う、うるさわいね!」


 アイリスは頬を紅くしてぷいとそっぽを向く。


「はは、仲がいいのはいいことだな。――でだ」


 俺はうなだれるヌエラスとイディオラの方に視線をやる。ヌエラスの隣のイディオラが、汗を垂らしながら声を張り上げる。


「くそっ……ヌエラス貴様……!! それでも赤い翼かッ!!」


 しかし、ヌエラスに応える気力は残っていない。


「チィ……!! ああ、くそったれ……!」

「災難だったなあ、イディオラさん……だっけ? まあ、あれで答えるなってのは無理があるぜ。大分痛めつけられてたからなあ」

「俺なら絶対に答えん!」

「はは、どうだかな」

「くっ……!!」


 イディオラは悔しそうに唇をかみしめる。


 エルのおかげで、赤い翼の拠点はわかった。


「場所はリムバの森南東部か」

「あそこは確かにモンスターも居ないですし、広い分隠れるには絶好の場所ですね」


 言いながら、エルは手に持った簡易スクロールを内ポケットにしまう。


「どうする気なの? 本当に……行くの?」


 アイリスは心配そうな表情で俺に言う。眉を八の字にし、ぎゅっと唇を噛み締める。不安げに上目遣いで見上げるアイリスに、俺はポンと頭に手を乗せる。


「安心しろよ。すぐ終わらせて戻ってくるからよ」

「でも……レジスタンスよ? あなたがどんなに強くても……数も多いだろうし……」

「そこは気にすんな。まあ油断はしねえさ。ちゃんと力量を見てこその一流だからな」


 そう。油断何てして良いことは無い。だが、謙遜もまた罪だ。

 自分の力で解決できる問題が転がっているなら、自分の力を使うべきだ、大っぴらにな。――つまり、俺なら赤い翼を潰せるということだ。


 ……ま、実際に見てみないと分からねえけどな。


「わ、私も行くわ! 私のせいなのにここで待ってるなんて耐えられない!」

「おいおい、さすがに皇女様をそんなところに連れていけねえよ。見てないところで捕まってもフォローできねえし」

「でも……」


 何やら納得のいかない様子でアイリスは俺の目を見つめる。

 やれやれ、まだ子供か……年はそんな変わらなそうだが。


「そうだな…………じゃあ、赤い翼を潰したら王宮に迎えに行ってやるよ」

「え?」

「そしたら一緒に露店でも見て回ろうぜ」

「何を言って――」

「それくらい気にする必要ねえってことだ。子供は子供らしく、俺が解決して祭りムードを楽しめるのを待ってろよ。戻ってきたら遊ぼうぜ、元の目的通りな」


 そう言うと、徐々にアイリスの顔がパーッと明るくなる。


「……いいの?」

「あぁ。俺が居れば平気だろ。赤い翼もいなくなるし、他に何か居ても俺が守れる。乗り掛かった舟だ、途中で投げ出すのは趣味じゃねえしよ。これも依頼の延長だ」

「いい!? エル!」


 アイリスはエルの方を振り返る。


「……また抜け出すことになりますが……今そっと戻れば王宮内にいたと誤魔かせるかもしれませんね。もしあなたが言った通りのことをしてくれるのなら、脅威がいなくなる上に、最高の護衛がいるんです、侍女としては文句はないでしょう」

「じゃあ……」

「大人しく待ちましょう。きっと祭りに行けますよ」

「やった!!」


 アイリスは嬉しそうにふんふんと腕を振る。


「あんたもだいぶアイリスに甘いなあ」

「国とアイリス様、どちらを取るかと言われれば私は迷わずアイリス様を選びますからね」


 そう言うエルの顔はにこやかだった。


「ま、つー訳で、大人しく待ってろよ」

「うん……そうね。信じて待つわ」

「よし、いい子だ」

「こ、子供じゃないもん!」

「はいはい。――んじゃあ、拠点の奴らがこいつらが戻ってこないことに感づいて逃げる前にさっさと行くとするか。その前にお前らを王宮に送っていく」

「えーっと、どうしますか? 馬車でも呼びますか? 騎士たちにばれないように戻りたいですが……走っていくのは流石に時間が……」

「あーそんなんじゃ時間がもったいない。一瞬で行く」

「一瞬……?」



「いやあああああああ!!!」

「うっ……!!」


 激しい雷鳴と、甲高い叫び声。

 地面は焼け焦げ、周りの景色は狭かった路地裏から、王宮の裏側へと一瞬で移る。


「な、何……転移!?」

「そんな……転移魔術なんて……!」

「いや、転移魔術みたいなもん、な。ちょっとビリビリしただろ?」

「確かになんか……髪もちょっと電気でごわっとするわ。……あなた本当に何者なの?」

「はは、ただの学生だよ。今はない。――よし、んじゃあとりあえずここでお別れだな。俺はさっさとリムバで奴らを全滅させてくる」

「気を付けてね……」


 アイリスは今になって少し申し訳なさを感じたのか、伏し目がちに俺に言う。


「ま、心配しないで任せておけよ。俺、最強だから」

「うん……待ってるから」

「おう。この後も出かけるんだ、うまいこと動いてこっそり出られるようにしておけよ」

「うん! あ、あなた名前は!?」

「ノア・アクライト。覚えておけよ、皇女様」


 そうして俺はアイリスと約束すると、もう一度雷鳴と共に地面に黒い後を残しその場を離れた。

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