【2-6】2020年4月21日 イレネス・ヘーゲル/パンタフェルラ・サルメル
あまり認めたくないが、かなりイライラしていた。
今日は支部長代理として職務を全うする日だ。いつもより1刻早い第6刻に支部へ出勤した。入り口の戸を叩くと、監視窓から夜間対応の当直職員が目だけで出て来たので、開錠してもらい職場に足を踏み入れる。
緊急依頼や異常は特に発生しなかった旨報告を受け、当直の数名には帰宅指示を出し、いつもの席に座る。最低限片づけておかねばならない副支部長特有の仕事に集中していたら、いつの間にか日勤の職員が揃っていた。
時計を見ると丁度第8刻を過ぎた所だったので、一同を集め朝礼を行う。支部長が王家対応にて不在である事、その間自分が支部長室で代理を務める事、副支部長代理はノジス主任が務める事、その他判断に困る事があれば都度相談する事を言い渡し、支部長室へ向かった。
見るからに豪著な机の一番上の引き出しに、右手の中指に嵌めた指輪をかざし魔力を込めると無事に開いた。一時的に施錠と開錠の権利を自分に移している為開くのは当然だが、それなりに心配性なので少し安堵した。
そして今に至る。
ヒドい、とにかくヒドい。
例えばこの紫銀級昇格試験実施許可申請書。
支部長が大陸統括長宛てに郵送する書類だが、まず実施する予定の日付が違う。そして今回受験する冒険者の名前も違う。簡単に言ってしまえば、自分が支部長に提出した申請内容確認書の情報通りに写してしまえばそれで問題無い筈なのだが、どうやったら間違う事が出来るのだろうか?理解が出来ない。そもそも副支部長が支部長へ提出する書類と別の仕様になっているからこういう事になる。
前から申し述べている通り、申請書類は1つに統一し、責任者が内容を確認したら順次役職印を捺印するだけという形式にした方が人為的な失敗は防げるし、業務効率も改善される。今度本気で上申して頂く様、説得しよう。
お次がこれだ。
追加補正予算申請書。
昨日ゾディアル様が支部を出られた後、ライドさんに関するお話を伺った。その時に必要経費として手渡されたという袋の中を見たら目が飛び出るかと思った。そして昨日支部長が書き込んだであろう手元に記載されている金額を見て、今度は目が吹っ飛んでいくかと思った。単純計算でこの支部が一切営業しなくても半年は持つ金額だった。神聖級が持つ権力と財力に改めて驚かされる。
だが、各種必要記載項目を見て最後は頭が痛くなった。流し読みしただけで、もう一度最初から書かねばならない事を確信する程の逸材だ。こうなると金額も怪しいものだが、支部長室の金庫の魔印は上書きしていないので中身は確認出来ない。
その他の書類もパラパラとめくって確認したが、溜息が止まらない。まさか上司に対して書類の書き方を教えなければならないとは思わなかった。何が最後の仕上げだ。今までどうやって乗り切って来たのだろうか?ベリアス様に怒られなかったのだろうか?何にせよ1日作業となる事が判明した為、手頃な書類から片づけている最中、扉が叩かれた。
「…………どうぞ」
「失礼しま…ひっ」
入って来たのはノジス主任だった。
こちらをみて何やら怯えている。おそらく怒気が顔に出ているのだろう。だが今は本当に頭に来ている為、繕う事はしない。手元に目を落とし、書類を進めながら話を聞く事にした。
「………要件は?」
「あっすいません…あ、あの、ファイドナ村で強い魔獣が発生したそうで…」
「この支部で対応出来そうに無いのですか?」
「いえ…可能です」
「討伐出来る冒険者がいないのですか?」
「いえ…討伐は問題無いそうで…」
「それで?」
「いや、ちょっとご相談に…」
思わず机を叩いてしまった。
また彼が及び腰で悲鳴を上げる。
「ノジス主任。今日のあなたの役割は何かしら?」
「ふっ副支部長代理です!」
「その問題に対応出来ないのですか?もう10年以上事務職を経験していると言うのに」
「でっ…出来ます!出来ます!失礼しました!」
もう何度目かの溜息が漏れる。
仕事ぶりは優秀なのに、責任感と決断力が少し足りていないのが彼の短所だ。また教える事が増えたと思うと、最近悩まされている腰痛がひどくなった様な気がした。ピルネー湿地帯の件で腰痛に聞く軟膏がまた数多く出回る筈だ。
購入を検討しよう。
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・
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今日の朝は少し遅かった。
ピルネー湿地帯から王都へ帰って来るまで移動に次ぐ移動だった為、慢性的な疲労が溜まっていたのもあるが、昨夜酒場で遅くまで盛り上がっていたのもある。依頼達成の祝勝会と、ライド君の歓迎会を兼ねて酒盛りを始めたが、結局終わったのは第1刻だった。
ライド君はとにかく明るく、前向きで元気な少年だった。王都に連れて来たという自分の両親の事はあまり口にしなかったが、自分の村で起こった出来事や小話を面白おかしく話してくれて、つい私も杯を口に運ぶ回数が増えて深酒してしまった。
アーラとロダンとも気が合う様で、ゼプル揚げを一番格好良く食べた奴が優勝という謎の遊びを繰り広げ、笑い合っていた。私は参加しなかったが、その光景を見ているだけで酒が進んだ。未成年なのでお酒は勧めなかったが、素面であそこまで明るいのは一つの才能だろう。あっという間に私達の組に馴染んでいた。
酒場を出るとロダンとライド君が肩を組みながらコソコソとどこかへ消えていこうとするのが見えたので、どこに行くのか?と聞いたら、男の世界に踏み入るなと言われた。大方予想はつくが「ライド君の程度は弁えておけ。後で支部長に何言われても知らんぞ」と脅しておいたので、少なくとも彼はそれ程刺激の強い所には行っていない筈だ。まぁ、長期間の依頼を終えたばかりだし、ロダンも女性2人に囲まれてやり難い所もあるだろうから多めに見る事にして宿に帰った。
出発はいつもより遅いが、私達が宿泊する宿から支部までは徒歩で10分程とかなり近いので、朝食を簡単に済ませた私達は、もう支部の目の前まで来ていた。
今日もいい天気っすね!と両手を大きく振って歩く元気な少年に引っ張られる様に、二日酔いでフラフラと歩く大人3人。何あの少年、元気過ぎじゃね?とアーラが呆れた様に横で呟いていた。
せめて私だけでもしっかりせねばと気持ちを切り替えて支部の扉を開けると、何やら喧噪が飛び込んで来た。
「お願いしますっ!一刻も早く腕のいい冒険者さんを派遣して下さいっ!」
民間人受付で何やら声を荒げ取り乱している男性が居た。回りを他の冒険者が取り囲んでいる為よく見えないが、どうやらノジスとアルメの二人で対応しているらしく、男性を宥める様に話を聞いていた。男性の剣幕が気になった私達は窓口まで行き話を聞く事とした。
「何があった?」
「あっパンタさん!それが…」
「あなたっ!実力のある冒険者さんですかっ!?お願いします助けてくだ…イテッ!イデデデ!」
アルメが話し出そうとした時、男性が私の両肩を揺さぶって来たのでとりあえず腕を極めて落ち着かせる事にした。
「まず何があったのかを知らなければあなたを助ける事が出来ない。そしてあなたが落ち着かなければ何があったのかを知る事が出来ない。わかるな?」
「はっ!はいっすみません、落ち着きます!落ち着きますから腕をっ!」
少し時間を置いて男性の右腕を解放する。
とほほ、と涙目で右腕の無事を確認している男性はどうやら平静を取り戻した様だ。
回りの冒険者が気の毒そうに見ている。
「では話してくれるか?」
「はい、すみませんでした。あの、俺モルスって言います。歳は26で、ファイドナ村の農民です。実は昨日村近くの森林で木の実を拾い集めてたんですが、その時魔獣の咆哮が聞こえたんです。聞いた事無い声だったんで、怖かったけど何の魔獣か確認しようと近くに寄ったんです。そしたら村の周辺で一番危険とされているゴッフェートが、見た事も無い魔獣に食べられてたんです」
その瞬間、周りから騒めきが起こった。
当然だ。第11種指定魔獣のゴッフェートはこの国で確認されている魔獣の中でも凶悪な部類で、大きさも形も羊の様な外見をしているが、その体毛は漆黒。動きも早く、体当たりされると軽く10メルは吹き飛ぶ程の突進力を持つ。そして何より危険視されているのが、額の魔核から人間に向かって雷撃を放つ習性を持っている事だ。
この雷撃が厄介で、過去ゴッフェートに襲われた村が壊滅してしまった事もある。幸い、冷気に弱いので、討伐する際は氷系統が扱える魔術師を組に加えるのが常識だ。冷気によって周囲の温度を下げると、狂暴さが影を潜め逃げ惑う様になる為、追い詰めて討伐するという戦い方になる。
そのゴッフェートが捕食されていた?
にわかには信じられない。この大陸ではそんな事実聞いた事が無い。
「本当にその光景を見たのか?」
「間違いありません。村に戻ってその魔獣の特徴を図鑑で調べたんです。それを村長に報告したら、至急王都の協会に依頼に向かってくれと言われたんで、ホルハースに乗って丸1日かけてさっき到着したんです」
成程。確かにファイドナ村からここまでホルハースだと丸1日かかる。
「それに図鑑もちゃんと持って来たんです。えーと、これです。この魔獣です」
モルスは鞄から図鑑を取り出し、目の前でパラパラとめくって行くと、ある項で止めて指をさした。そこに記載されていた魔獣を周りの冒険者達が見ると、各々が悲鳴を上げ始めた。ノジスは眉間に皺を寄せ、アルメは驚き、アーラとロダンは難しい顔をしていた。
だが私は既に別の事に疑問が向いており少し考えていた。
「ドッケラル?確かこいつ第9種特殊指定魔獣じゃないっすか!」
ライド君が驚いた様に声を上げた。
「んんー?詳しいじゃん?少年」
「ハイ、俺わくわく魔獣図鑑隅々まで読み込んだんで何となく頭に入ってるんす!」
「ナハハ、奇遇だねぇ!アタシもあれ持ってたぜ!」
何故ドッケラルがファイドナ村周辺に現れた?
ファイドナ村の位置は、ここ王都から北西に100ケルメル程の位置。周りは森林が多い地域だ。
対してドッケラルの主な生息地域は、ここから南東方向に500ケルメル程進んだ先にあるネファス荒野だ。距離も離れていれば、生息環境も全く違う。何故だ?
「おいパンタ、ドッケラル討伐となれば必然的に俺達の組の仕事になるぜ?だが…どうするよ?」
「あぁ…討伐自体は問題無い、が」
難しい顔をしていたロダンからそう声をかけられた。今言った通り、討伐自体は問題無い。烬灰級昇格試験の一環で、ドロムさん立会いの下、私は一度ドッケラルを単独討伐している。それが今回はこの2人との共同戦闘だ。全く問題無いだろう。しかし彼が聞いているのが別の意図である事は分かっている。
私達は今ある依頼を請けている最中なのだから。
「ノジス、ドロムさんは?」
「今日は終日王宮にて会談との事で不在です…」
そうか、昨日色々あると言っていたのはこの事だったか。そういえば缶詰だと言っていたな…こんな時に限って不在とは…
「イレネスさんは?」
「居ます。支部長室で代理業務中です」
「一度判断を仰いで欲しい。私達が行って大丈夫か?と」
「は、はぁ、それは聞かなくても大丈夫と仰ると思いますが…」
「いや頼む。必要な事なんだ。いいか『私達が行っても大丈夫か?』と聞いてくれ」
「分かりました。すぐ行ってきます」
イレネスさんが許可を出せば腹積もりも決まるが…
「アメル、デクル達はいつ帰って来る?」
「デクルさん達ですか?具体的にいつかは分からないですが、早くて明日かと…」
顎に手を当てて思考する。明日か…明日まで待てるか…?
いや、ダメだな、環境を変えたドッケラルがどういう行動を起こすか分からない。それにこの村人の前でもう一日待てとはとても言えない。やはり今すぐ私達が立たねばならないだろう。周囲の冒険者の顔ぶれを見回す。
ダメだ。仮にもし誰かに預けるのならばデクル達しか任せられない。
最初から何が最善かは分かっている。
本人が何を言おうと支部に置いて行くのだ。
しかし、それではきっと…………
「私達の組で討伐を請けよう」
そう言うとロダンとアーラがライド君をチラホラ見ながら口々に話し出した。
「ちょっ…マジ?えーと、どうすんの??」
「おいおいパンタ、大丈夫か?」
「イレネスさんの許可次第だ。ノジスが答えを持って来てくれるだろう」
そんなやり取りをしている最中、ノジスが異様な程早く帰って来た。
「どうだった?」
「あ、えーと…その、何というか…ま、任せる…と」
「………決まったな」
「おい、本当にいいのかよ…?」
「う~ん…まぁ大丈夫っしょ!パンタ一人でも討伐できる魔獣だし、それに…ほら、ずっと連れとかないと依頼不達成って言われるかも…」
「………ま、まあそうだな。…俺達も補助に入れば問題無いな」
横の2人が後半からはごにょごにょと耳打ちする様に喋っていた。私には聞こえていたが聞こえないフリをした。当の本人を見ると図鑑の魔獣特徴項目を読みながら、うへ~ヤバそうな魔獣だな~と、のんきに感想を述べている。
「状況から見て支部取扱の緊急討伐依頼になりそうだな。ノジス、イレネスさんへの申請手続を頼む」
「えーと、あっ、実は今日僕副支部長代理なんですよ。なので僕の方で許可やっときます。アメルちゃん、書類起草してくれる?」
「わっ、わかりました」
「よし、それは好都合だ。頼む」
「あっ、あの!それではあなたが請け負ってくれるんですか!?あの、失礼ですが階級は…?」
やり取りをずっと心配そうに眺めていた村人が堰を切った様に話し出した。
「白楉級だ。今からすぐに村へ向かう。あなたは支部でしばらく休憩した方がいい。訪問先は村長で良かったな?」
「はっっ白楉級っ!?ありがとうございます!ありがとうございます!」
「よしライド君、二人とも。出発だ」
そうだ、何も問題は無い。
簡単な話だ。彼を守りながら魔獣を討伐して帰って来る。よくよく考えてみたら昨日依頼を聞いた時の慎重さが我ながらバカらしく思えて来た。複数の依頼を同時進行でこなす事はよくあるし、今までもこの3人組で乗り越えて来た。
油断せずにどちらも依頼を完遂するのみだ。そう決意して3人を連れ、早々と支部の出口を出て行った。
後ろめたい気持ちを誰にも見られない様に。
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エンプシー・リギウスのよいこのための
わくわく魔獣図鑑
出版:生命生体研究所
共著:冒険者協会
17、ホルハース
うまがたまじゅうのみんなのみかた。
からだは3メルくらいでせなかにのせ
てくれるよ。にんげんになつくひじょ
うにめずらしいまじゅうだ。
まかくがなければほぼうまだ。
だい20しゅほごしていまじゅうだ
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