【1-6】聖鐘歴2020年4月8日 ライド

「……………リーエ、さん?」

「何の真似だ?」

「見た通りよ。普通に逃げたら捕まってしまう。あなたからは逃げられないわ。だからこの子を人質に取ったの」


目の前の光景が信じられなくて愕然とした。


嘘だろ…リーエさん…

俺、頑張ったんだぜ。

ばーちゃんに口酸っぱく言われていた教えまで破って…あんたが語った、いつか孤児を集めてみんなで幸せに暮らせる場所を作る為に頑張ってる、それが私の夢だって話にすげー共感したんだ。自分の夢の為なら俺はどうなってもいいって事か?


…そりゃないぜ。


「両手を上げなさい、そこから近づかないで」


「ライド、さっきのはお前の能力か?」


「…………」


「もし出来るんだったらさっきの力で自分の身を守れ。それで人質ごっこは終わり。そいつを確保して終いだ」

「聞いているのッッ!?両手を上げなさいッッ!!そこから一歩も動かないでっ!!


「おい、ライド」


「…………」


「…チッ、仕方ねーな。わかったよ」


視界の片隅で不承不承という感じでカイさんが両手を上げる。顔は見えない。俺が俯いてるから。


「そのまま後ろを向いて小屋を出なさい。両手は上げたままよ、こっちを振り向いたら殺すわ」


一定の距離を保ったまま3人共小屋を出て、道端の方へ向かう。先程軒先で見た雲がはるか彼方へ飛んで行っているのが見えた。


「あなたはここで止まりなさい。ここから先動いていいのは私とこの子だけよ」


体の動きだけで器用に鞄から何かの薬を宙に放り出したリーエさんは、俺の首に回している左手で受け取り、片手で蓋を開け、ゴクゴクと勢いよく飲み始めた。


「身体強化系の薬か?それで俺から逃れられるとでも?」


「後ろを向いたままでよく分かったわね。確かに私一人では逃げられない。でもこのまま二人だったらどうかしら?」


「…おい、お前そいつを連れていくつもりか?」


「背に腹は代えられない。今は面食らって落胆しているみたいだけど、いずれ分かってくれるわ」


「……………」


「そいつの首根っこ引っ張ったまま強化した身体能力で動けばそいつはどうなる?」


「あなたが私に追いつくまで持てばいいわ。我々の大義を成すには多少の犠牲は必要なの。でも謎の能力を持っているみたいだから自分で守れるんじゃないかしら?そんな能力持っているなんて聞いていなかったけれど」


そしてリーエさんは何やらうっとりしながら続けた。


「ねぇライド君、あなた素晴らしいわ。利用方法を検証すれば色んな事に使えるかもしれないし、そうすれば同盟も………ヒッ!」



その瞬間、心臓が急に収縮を始めた。


動悸が激しくなって行くのとは対照的に体温が下がって行く様な不思議な感覚を覚える。体が小刻みに震え出し、ジワっと脂汗が滲み出て来る。足元もガクガクして来たが、首に回されているリーエさんの左手のおかげでかろうじて立っていられる。ただそのリーエさんの左手も俺の首に押し付けて震えを何とか抑えようとしていた。見上げるとリーエさんは歯をガチガチと音立たせて、青ざめた顔で前方を見据えていた。


原因は俺も分かっている。


顔を少しだけ左に回したカイさんが、射殺す様に左目だけでリーエさんを見ていた。

何か目に見えない靄の様な物に体を締め付けられている様な気がする。


俺は殺されると思った。悲しくないのに涙が出そうになる。多分これが殺気ってやつなんだ。ド田舎でのほほんと暮らしてきた俺には無縁のもの。こんな思いをするのなら一生縁が無くたっていいと心からそう思った。


「…テメーらのそこがムカつくんだよ。ご大層な理想を掲げている割には実際やってる事はただの反社会行為だ。挙句の果てに自分を庇ってくれた善良な少年を人質に取って逃亡だぁ?大義の為に犠牲が必要?腹の底からヘドが出る。ナメてんじゃねーぞクソ野郎」


ほんの半日前に初めて会って、非道な冒険者と聞いていたけど、実際に話してみると疑問に思った。落ち着いた雰囲気で、常に冷静。ポンスおじさんに怒られた時も庇ってくれたし、さっき一戦交えた時もまるで手玉を投げ合う遊戯みたいな感覚がしてイマイチ実感がわかなかった。敵だと思っていたから常に警戒していたけど、初めて会う烬灰じんかい級冒険者っていうのも相まって心の底ではカッコイイなって思ってた。


でも俺はこの時、カイさんの事を初めて、怖いと思った。


「こっ……こっちを見ないでっ!向こう向いてっっ!忘れたの!?こっちには人質が居るのよっ!今の私の体なら左手一本で首を折れるんだからっっ!」


「だろうな。悪りー悪りー、ちょっとイラついただけだよ。ほら向こう向くから」


さっきまで場を支配していた空気が綺麗さっぱり霧散した。重苦しかった体も元に戻り、一度深呼吸する。


「そうなったら俺も簡単にはお前に手を出せねー。だから去る前に少し話をしようぜ。お前達の部隊はあの地下集会所で何をしてた?」


「こ、答える義務はないわ。黙りなさい」


「俺の事は知ってんだろ?こう見えて情報収集には自信があってな。大抵の事にはある程度見通しを付けられるんだが、あの施設には何もなかった。事前に調べても何も目ぼしい情報が無かったし、実際に踏み込んで調べても何も出なかった」


「黙れと言っているのッッ!!」


「まぁ聞けよ。この俺が調べても何も得られなかったんだ。つまり…お前ら捨て鉢にされたんだよ」


「……何を、言ってるの?」


「オルベンクでお前らの組織の一端が潜伏しているとのタレ込みがあったそうだ。どこからだと思う?オルベンクの貴族、デレイロ侯爵からだ」


その言葉を聞いてリーエさんは右手に持った小刀を落とした。

驚きに満ちた顔で否定の言葉を小声で呟いている。


「前々から協会支部は、オルベンクではデレイロ侯爵がお前らの組織と繋がっていると見て捜査を進めていた。だが何かを察したらしいな、急に捜査の足取りが重くなった。侯爵側が何も行動を起こさなくなったからだ。そんな中ベロー商会という聞いた事も無い商人が数回、デレイロ侯爵邸に出入りしていた事が判明した」


嘘よ、嘘よ、嘘よ、というリーエさんの早口が耳元で捲し立てられる。


「俺の読みはこうだ。自分に疑いを持たれている事を知った侯爵は、捜査の手が入る前に自分が関与している証拠を押えられない様に、組織が持つ資料を集会所から自分の屋敷へ移動させた。そうだな、お前達に対する名目は『協会の冒険者がその集会所の場所を洗っているから商人に偽装して資料を一時的に自分の屋敷に運び込め。ほとぼりが冷めるまで自分の屋敷で保管しておこう』とでも言ったんじゃないか?どうだ?当たってるか?」


リーエさんの体が一瞬、跳ねた。

身構えを深くする際に擦った足で砂利が声を上げた。


「その反応を見れりゃ十分だ。集めた情報を時系列で纏めたら、ベロー商会が最後に侯爵邸に出入りした日に、侯爵側から協会支部へ集会所の場所について極秘裏に情報提供があったそうだ。つまり侯爵は、自らの潔白を証明する為にお前らを売ったんだよ。非合法組織の存在はオルベンクにとって百害あって一利なし、淘汰に向け全面的に協力する、ってな。現に今ちょうど似た様な供述をしているらしいぜ。証拠はもう侯爵が処分した後だろうがな」


カイさんは一度首を左右にコキコキと鳴らした。


「協会としては何の収穫も無い集会所を潰して侯爵からはまんまと逃げられたって訳だ。俺がオルベンクに来た時はもう遅かった。集会所襲撃するから手伝ってくれって言われて、結果として逃げ出した残党を追いかけて今に至る、だ。ヌルい仕事しやがって。あの支部長はもう退場だ。説教する気もおきねー」


烬灰級と言えどもそもそも協会の支部長に説教なんて出来るものなのか?それともこの人が凄いんだろうか。こんな状況でも冒険者の話になると真剣に聞いてしまう俺は筋金入りだな。


「…同胞はどうなったの?」

「半分拘束、半分自殺。お前の所の手助けは無かったぞ」


「同盟は私を見捨てないわ…!」

「あまり理解していない様だな。侯爵とお前達の組織の上同士で話がついてるに決まってるだろ」


俺の首にかかったリーエさんの左腕に一層力が入った。


「ふっっ、ふざけた事をッッ!!」


「よく考えろ。お前達の組織の特徴の1つだが、構成員同士の絆が深いだけに裏切りには厳しいだろ?以前捕まえた奴が言ってたな、裏切りには絶対の粛清と報復を、だっけか?それは支援者であっても同じだ。お前たちの事をよく知ってる侯爵がそんな軽挙を起こすと思うか?次は自分が標的になるかもしれないのにだ。それに侯爵は数少ない貴重な支援者だ。今後の支援継続と交換条件でお前達を切り捨てたんだろう。大義を成すには多少の犠牲が必要なんだろ?さっきお前が言った事だ。お前が今ここで実践しているのに組織の上役が実行しない理由は無いよな?つまりお前にはどこにも逃げ場はない。各国にもすぐにお前の指名手配がかかるだろう。わかったか?わかったらそいつを解放して大人しく投降しろ」



場に静寂が訪れた。リーエさんは俯き、喋らない。


内容はよく分からなかったけどどうやらリーエさんが地下組織の一員という事は間違いないみたいだ。カイさんが言う事が本当ならリーエさんはどこに行っても誰かに追われる事になる。


そうなったらその大義とやらも達成出来ないじゃないか。出来ればもうこれ以上争わないで欲しい。俺からもリーエさんを説得しようと思ったその時、リーエさんから何かを噛み砕くような音が聞こえたと同時に静かに笑い始めた。


「フフ、フフフフ…噂通り随分口が廻る男の様ね。実はあなたに聞いてみたい事があったの。組織の中でも一部の人間しか知らない情報だけど私、知ってるわ。あなた『導師』と同郷なんですって?」


「………」


今度はカイさんが黙ってしまった。導師?


「同じ孤児院にいて幼い頃は本当の兄弟の様に仲良かったらしいじゃない?ねぇ、あなた同盟に入らない?導師も喜ぶと思うのだけれど」

「全く興味が無いな。俺はお前達を捕まえる側だ」


「ねぇ、あなた自分自身が孤児だったのにこの世の中に何の不満もないの?孤児に満足な生活と教育を与えている孤児院はラメンデにはほとんど無いわ。奴隷もそう。人が人を飼うなんてバカげてる。そう思わない?」


「だから、各国で破壊工作をやっているのか?俺はそっちの方がバカげてると思うがな」


「大義を成すためにはその方法しか残されていないわ。非常に残念ではあるけれど」


「お前と方法論について語り合うつもりは無い、それにアイツは俺が止める」


「止まらないわッッ!!既に計画は動き出しているッッッ!!!大国もッ!協会もッ!誰も私たちを止められない!」


「----------」




えっ?

そう思った瞬間、俺はリーエさんに左手で腰を掴まれ放り投げられていた。体は今まさに地上から舞い上がった瞬間だが不思議と思考は止まらない。耳元で囁かれた言葉の意味を理解しようと頭を働かせていると、まるで世界が遅延した様に景色がゆっくり見える。


空中を飛んでいる間に見えたものが2つ。


一つはリーエさんが前に突き出した右の掌から展開された青白色の魔術式だった。人の顔がすっぽり入るくらいの大きさの新円の中に様々な記号や数字や図形が書き立てられ、新円の内周をゆっくりと回る様に移動している。何かの魔法を発動させる気なんだ。



そしてもう一つ。

俺は見た。



リーエさんの方へ、まさに今、左肘を軽く曲げ、体の左側から振り向こうとしているカイさんの左手の少し先の空中に、謎の黒い棒の様な物が作り上げられていく瞬間を。


棒がカイさんの左手に向かってその身を伸ばしていく様に真っすぐ作りあげられていく様を見ていた矢先、今度は組成方向を下へと曲げた。


体の振り向きが半分を過ぎようとした時、下方向へ曲がった棒はその身を少し広くさせ、カイさんの掌の中に納まった。その時棒の先端が丁度こちらを向いていたので視線をやると、そこには穴が開いていた。どうやら棒ではなく筒だったらしい。


振り向きが間もなく完成する頃、カイさんの左手は筒の先端をリーエさんに真っすぐ向けようとしていて、横筒と下筒を繋ぐように出来た輪っかがカイさんの人差し指を囲った。そして、横筒から下にピョコッと飛び出た輪っかの中にあるツマミの様な物にカイさんが人差し指の腹の当てた瞬間に、ピンと来た。


武器だ。

おそらく先端の穴から何かを射出する武器。


この瞬間をカイさんは逃さないだろう。

その為の必殺の武器の筈だ。


もしここを逃げ出せたとしてもリーエさんはおそらくもうラメンデでは安息の地位は訪れない。組織にも戻れないんじゃないだろうか。


そしたらどうやって生きていくんだろう。

何を目的にして毎日を過ごすのだろう。

そうか、行く宛てが無かったらいっその事ここに住めばいいんじゃないか?

あんな小屋で寝食しなくてもウチに来ればいい。

ばーちゃんのパニスを腹いっぱい喰えばいい。

一緒に森に行って収穫をしよう。

リーエさんには俺の能力を言ってもいいかな、いいよな?

カイさんには土下座でも何でもして許してもらおう。

俺一人で足りなかったら村の人に説明して一緒に土下座してもらおう。

そこまですれば流石のカイさんも許してくれるはずだ。


俺リーエさんが好きなんだ。


この数日間、リーエさんと話すのが楽しかった。

喋ってるのはほとんど俺の方だったけど、優しく微笑みながら聞いてくれたし、かわいいし。俺が取って来たレプルも美味しそうに食べてくれたし、美人だし。抱き着かれた時はドキドキして夜寝れなかった。


あーチクショウ俺のバカ野郎。何でこんな空中飛んでる時に気付くんだよ。もっといい時があっただろ。


まぁいいさ、もう決めた。


つまり俺が何をしたいかと言うと、最後の力を振り絞って魔力の布をリーエさんに向けて放った。



「ア゛ァ゛ッッッ!!」


ダーーーンと村まで響き渡りそうな大きな音と共に、俺の体は背中から地面に着地した。上半身を起こして前を見ると、右肩から血を流して仰向けに倒れてるリーエさんが居た。


カイさんの声が響いた。


「ライドっ!お前だな!?いつまでこの女を庇う気だ!?本気で捕まえられてーのか!?」


俺は沈みそうな体を何とか起こして、こちらを見ずにそう言うカイさんが立っている所まで這いずる様に近づいた。


「カイさん、お願いします、許してあげて下さい、この通りです、何でもします、お願いします」


腹を思いっきり蹴り上げられた俺は元の位置にまた背中から着地した。


「もうお前は黙ってろ。そこで見とけ」


カイさんが左手に黒い筒を持ったままリーエさんに近づいていく。


させるかよっ!

軋む体を再び無理矢理起こしてリーエさんの前まで這い、カイさんを進ませない様立ち塞がる。


「もう何回も言ったな、ライド。そこをどけ」

「嫌ですお願いします、許してくれるまで何回もアンタの足元に這いつくばります」


「どくのはあなたの方よ」



後ろから声がしたと思ったら、振り向く間も無く逆にカイさんを追い越すぐらい蹴飛ばされた。


「お前、正気か…?」


カイさんの声がした後体を起こし振り向いた時、俺の思考は止まった。そこには体の内側から緑色の炎を吹き出し、見る見る内に皮膚が爛れていくリーエさんが地べたに座っていた。


「炎毒か…自分に仕込んでいたのか?」


「協会に身を明け渡すくらいなら本望よ。仲間の事は絶対に喋らないわ」


「リーエさんっ!リーエさん!!!」

「近づくな!周囲に舞う毒を吸い込むなよ!体の内側から炎に焼かれるぞ!」


リーエさんの元に駆け寄ろうとする俺をカイさんが拘束し、後ろへと連れ去られた。道端の先の方で場違いな緑色がゆらゆらと燃え上がっている。


「カイさんっ!お願いですリーエさんを助けて下さい!お願いします!」

「無駄だ。炎毒があそこまで進行したらもう助からん。おそらく体内からの直接接種だ」


吹き出した炎が全身を回り身を包んでいく。炎がひと際大きく揺らめいた時、リーエさんの絶叫が響いた。


「導師ーーー!あの世であなたの大義を見届けています!きっと、いつか、その日が…………………」


その言葉を言い終わる前に上半身がドサッと地面に落ちた。道の向こう側で俺達を呼ぶ声がする。異変に気付いた村の人だ。


カイさんが、避難をする様呼びかけている。俺は動かなくなったリーエさんを、ただひたすら見つめていた。


緑の炎が風に靡いて鮮やかに揺れていた。





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エンプシー・リギウスのよいこのための

わくわく魔獣図鑑


          出版:生命生体研究所

          共著:冒険者協会



6、デローチ

  じめんをはうむしがたまじゅうだ。

  からだは5セルメルくらいでいえのあっ

  たかいところがすきだよ。かなしいこと

  にきもちわるがられることがおおいけど

  むがいなまじゅうだよ。できればころさ

  ないであげてほしいけどおかあさんのい

  うことはきくように。


  だい20しゅしていまじゅうだ。



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