第63話 棘のある雨
コロナ自粛下での、ある秋の夜の話です。
そこはコロナ以前は、夜遅くまで車通りの多い街でしたが、今は人通りも、車通りも、そして黒々と立つビルに窓の灯りも無く、まるで終末物の映画の廃墟のようでした。
その日は朝から雨が断続的に降っており、濡れて黒々とした道路に、見る人もいない街灯と信号機の明るい光が砕けてまばゆいのが、反対に空々しく寂寥感を醸し出していました。
雨は日暮れと共に風を伴い強まるという予報通り、差した傘を掬い上げるような強い風が、時折吹いていました。
(すっかり、遅くなってしまった)
その日Aさんは、帰宅が遅くなっていて、家路を急いでいました。
その上、ズボンの裾は跳ね返る雨に濡れ、スーツの肩や背中にも、風が運ぶ雨粒によってじっとりと濡れそぼり、湿った重さが増して、ジワジワと体温を奪っていき、自ずと足を早めていました。
また一陣の風が吹き付け、Aさんは身を縮こませました。
(寒っ!風邪をひきそうだ。帰ったらまず、熱い風呂にはいろう)
Aさんは、目の前の道路の向こうにある駅に向かい、小走りになりました。
ところが、横断歩道の信号が点滅し始めました。
「あ……」
思わず走り出そうとした瞬間、Aさんは口をグッと引き締めて、人っ子1人いない交差点の歩道で足をとめようとしました。
Aさんの親の教育方針は「凡事徹底」で、どんなに急いでいる時にも、信号が点滅したら渡らないなど、そういう当たり前のことを軽視せずに行うことを小さい頃から言われ続けていたからです。
「えっ!」
しかし止まろうとしたAさんは、誰かに突き飛ばされたように、そのまま二、三歩、よろけて前進し、道路に出る寸前のところを、たたらを踏んで何とか立ち止まりました。
その途端です。
左折してきた大型のバイクが、路面に波を立てて走り抜けていきました。
「うわっ!」
その水飛沫を避けて、Aさんは数歩飛び上がるようにして後退りました。
(乱暴なバイクだな!こんな人通りのない時に、轢き逃げとかされたら、大変なことになってたかも!止まれて良かった。
でも、なんだ?突き飛ばされた感じがしたけど……)
チラッと振り返って見ましたが、誰もいません。
(風……かな、いや、でも……)
その時です。
傘に当たる大きな雨音の中で、微かに誰かが啜り泣く声が聞こえました。
「え……」
それは幼い子供の声のようでした。
声がした方に振り返ると、ビルの傍に、レインコートを着た人影がありました。
Aさんは保育士や幼稚園教諭を目指していたほど、子供が好きでしたから、雨の夜にビルが立ち並ぶ街の片隅に子供が1人立っていることの不可解さより、目の前の悲しんでいる子供への憐憫でいっぱいになり、思わず踵を返し駆け寄りました。
いや、駆け寄ろうとしました。
Aさんが一歩踏み出すか、踏み出さないかのうちに、その姿は雨に溶けるように消えて行きました。
「え??」
Aさんは、驚いて立ち尽くしました。
(え?いや、見間違い?そうか、そりゃ、そうだ。疲れているんだわ)
Aさんは、何かが子供に見えただけだと結論づけて、道路の方を振り返りました。
そして何気なく下を向いたAさんの目に映ったのは、縁石に立てかけられ、濡れている花束や子供の好きそうなペットボトルだったそうです。
何か関係があると、あなたは思いますか?
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