城之崎橋

@suzumutsu

城之崎橋

 ここから下を通っていく人間たちを見ていると、みんな、基本的にはつまらなそうに歩いている。仕事に向かう人間、家に帰る人間、買い物に出かける人間、遊びに行く人間。みんな、様々な選択肢のなかで自分が望んだ道を進んでいるはずなに、どこか不満そうに、目線を下に落としながら往来を続けている。


 申し遅れたが、私は橋だ。城之崎橋きのさきばし。それが私たちにつけられた名前。50年前、この土地の名士が出資して私たちを建設した。今では珍しい、跳ね上げ式の橋だ。普段は降りている。一日に何回か、大型の船が通るときにだけ、橋が跳ね上がる。


 人間たちは私たちが跳ね上がるのを写真を撮ったり、ポカンと眺めたりしている。恐らく多くの人間は何かしらのスイッチを押せば私たちが跳ね上がるものと考えているようだが、それは違う。

 

 私たちは自分の意思で跳ね上がっている。機械によってコントロールされているわけではない。もちろん、管理室はあるし、スイッチも確かに存在し、そのスイッチを押す係りもきちんと働いている。橋の管理人だ。この人間のことはあとで話す。


 私たちはこの管理人がスイッチを押した頃を見計らって、私たちの意思によって橋を跳ね上げる。腹筋に力を入れ、両足を目一杯の高さまで上げる。あくまでも、わかりやすいたとえ話と理解して欲しい。

 

 そしてその状態をキープする。船が通り過ぎるまで。船が安全に通り過ぎたら、また管理人がスイッチを押した頃を見計らって、ゆっくりと橋を下ろす。


 先程から『私たち』と言っている。私には相方がいる。私たちは真ん中で分かれている。ロンドンのタワーブリッジと同じような作りだ。私と向かい合いって、もう50年近く呼吸を合わせて、足を上げ下げしている。2人合わせて城之崎橋だ。私にも、相方にも個別の名前はない。


 「最近、橋を上げるのがきつくなってきたんじゃないか?」

 「まあね。もうこの年だものね。あんたこそ、さっきはスイッチが押された途端に橋を下げだしたりして。危なく船尾にぶつかるところだったじゃない。万が一、事故が起きて、人死にが出たりなんかしたら、あんただけじゃなくて、私までお陀仏なんだから。しっかりしてよね」


 こんな会話をしながら過ごしている。彼女には1つ文句を言うと、3つ、4つ、するどい刃が返ってくる。それが楽しくて、私は相方に話しかける。


 「それにしても突浪つきなみはトロいわねぇ。あいつがスイッチ押すタイミングはいっつもヒヤヒヤするわ。先代がしっかりものだっただけに残念だわ。」

 「そうだな」


 突浪とは、私たち城之崎橋の管理人である。年齢は25歳で、ちょっと背の低い、細見の男だ。東京の4年制の私立大学を卒業したものの、あまり良い条件の会社に就職が出来ず3年ほどで退職し、地元に戻って来た。地元に戻って来た、とはいえ地元にもそんなに働き口があるわけではない。見かねた突浪の父親、つまり元々の橋の管理人だった男が、自分もそろそろ年だからと自らのポストを息子に譲ってあげたわけだ。


 先代は非常に几帳面で真面目な男だった。毎日、勤務開始の30分前には管理室に入り、綺麗に掃除をしてから作業にとりかかる。ルーチンでおこなう業務は基本的には私たちのメンテナンスだ。日ごとに点検箇所と点検内容を決めており、必要な工具を脇に抱え、一つ一つ細かくチェックをしていた。


 おかげで私たちは50年間、故障一つせず、健康に日々を過ごすことができた。だが残念ながら突浪に変わってからは、いささか調子が悪い。

 

 突浪も父親に似て真面目な人間だ。そこは認めよう。父親から譲り受けた点検チェックリストを遵守し、必要な工具を脇に抱えて一生懸命に点検をおこなっている。


 ただし、要領が悪い。いつまでたっても要領を覚えない。必要な工具を置いてきてしまったり、点検箇所を間違えたり。そんなことをひたすら繰り返している。


 だから私たちの身体もメンテナンスが遅れがちだ。父親の頃は1ヶ月あれば一通りのメンテナンスが出来ていたものが、最近は3ヶ月も作業をしないとメンテナンスが終わらないようになっている。これでは身体の調子がいい訳ない。


 「まったく、このままじゃ、あいつのせいで寿命が早まっちまうじゃないよ」

 「まあまあ、突浪も一生懸命やっているよ。それに突浪も悪いところばかりではないだろう?」

 「・・・・・・まあねぇ。それはねぇ・・・・・・」


 そう相方が苦々し気に返事をしたのには理由がある。実は相方は、というか私も含めてだが、突浪に救われているのだ。


 あれは1年前。突浪が父親から仕事を引き継いで、ようやく独り立ちした頃のことだ。私たちはいつものように突浪が押すスイッチのタイミングに合わせて橋を上げ下げしていた。そのときにちょっとした事件が起きた。


 相方は軽く準備運動でもしようと思ったのだろう、船の往来がないのを見計らって、周りに気付かれないようにこっそりと橋を上げた。


 相方は昔からたまにこれをやる。私はいつも、そのクセは止めた方がいい、と注意を促していた。気持ちはわかる。少し身体を慣らしておかないと、いざというときに橋が思うように動かなかったりするからだ。ただ、私たちは不注意に橋を上げ下げするべきではないのだ。あくまでも私たちは人間に管理されていることになっている。自らの意思で跳ね上げれることを知られてはいけないのだ。


 相方もいつもなら注意深く橋を上げるのだが、その日は少し疲れていたのか、相方側の橋に、16歳くらいの少女がいたのに気が付かなかった。私も不注意だった。気付いた時にはかなりの角度が付いた状態になっており、少女は橋から滑り落ちないように、必死に手すりにしがみついていた。


 そのときだった、突浪が非常用の梯子をヒョイヒョイと登り、素早く彼女を救い出し、我が子に起こったアクシデントを泣き叫んでいた両親の元へ、見事に連れ戻したのだった。


 救出された少女は、この町の名士、城之崎家の令嬢だった。城之崎家は私たち『城之崎橋』を建立した名家だ。


 大事に育ててきた娘を危険な目に遭わせた橋の管理人に対して、両親は酷く叱責をした。突浪は謝罪に謝罪を重ねてひたすらに謝った。自分には身に覚えがないことだというのに。彼はスイッチを押してはいなかったのだから。


 私はそのときに、突浪が私たち『城之崎橋』に対して、なんらかの愛着を持っていることを知った。突浪は「私はスイッチを押していないのです。恐らくは橋自体の故障なんです」と主張することも出来ただろう。管理室にある橋の昇降データや防犯カメラを確認すれば、突浪がボタンを押したか、押していないかもはっきりわかるはずだ。


 突浪がそうしなかったのは、橋のせいにした場合に私たちが取り壊されることをよく分かっているからだろう。もうすでに跳ね上げ式の橋は時代遅れだ。アーチ型の見栄えの良い橋にリニューアルすれば、新たな観光名所になるかもしれない。そんな噂も私たちの耳には入っている。


 なんにせよ、突浪のおかげで私たちは命びろいをした。そしてこの事件が突浪の人生において少しの変化をもたらすことになる。


 「ほら、また来てるよ」


 相方が一人の少女をあごでしゃくった。私が視線を下に向けると、橋の上を城之崎家の令嬢が歩いていた。


 どうやら例の事件で命を救われた令嬢は、突浪に対して特別な感情を抱いてしまったらしい。そういった意味では私の相方は恋のキューピッドの役目を果たしたと言えなくはない。


 令嬢は足しげく橋の管理室に通い、学校でおこったことや女友達と話したことなどを明るくハキハキとした声で、突浪に語りかける。突浪は適度に相槌などを打ちながら朴訥と作業をこなしていく。


 「あの二人はどうなると思うね」

 相方は興味あり気に私に問いかけた。


 「さてね」


 正直、どうにもなりようもない。突浪と令嬢では身分が違いすぎる。しかも令嬢は城之崎家の一人娘だ。令嬢の想いとはまったく別のところで、静かに、水面下で、嫁ぎ先などは絞り込まれているだろう。可哀想だが、令嬢はその航路にしたがうしかない。彼女には城之崎家のバックアップなしで生きていけるだけのバイタリティはないし、突浪にも城之崎家の両親を納得させるだけの甲斐性はないのだ。


 それでも令嬢は学校が終わると必ず橋へ立ち寄り、一日の出来事を突浪に話す。突浪はその話に相槌を打ちながら、コツコツと私たちのメンテナンスをこなしていく。そんな風に、春、夏、秋、冬と季節はいつのまにか移ろっていく。そして令嬢が学校を卒業するときが来た。


 城之崎家では一人娘の卒業を祝い、屋敷をあげてのパーティーが開かれた。残念ながら突浪にパーティーの招待状が届くことはなかった。


 そこで驚くべき内容が発表された。学校の卒業と同時に、令嬢の婚約が決まったのだ。正確に言えば、前々から決められていたのだ。相手は城之崎家と貿易関係のビジネスで取引のある、岩宮家の御曹司だ。岩宮家の御曹司は身長が180cmある偉丈夫で、顔もまあまあ整っている。経歴も申し分ない。東京の国立大学を卒業し、社会人としての基礎を固めるため、東京の大手商社に10年間勤務した。それから父親が経営する会社に課長待遇で転職し、瞬く間に会社の業績を伸ばし、今では役員にその名を連ねている。一人娘しかいない城之崎家は事業の継承に頭を悩ませていたことだろうが、この縁談が持ち上がったことで、ほっと一安心したことだろう。


 納得できないのは、かの令嬢だけだ。岩宮家の御曹司のことは知っている。周りの女友達からしてみたら婚約なんてすっとばしてすぐに結婚生活を送りたいことだろう。ただ、令嬢の胸の内には突浪への秘めたる想いがある。それは例え両親がなだめすかしてお願いしても翻ることはない。恋とはそのようなものだ。


 婚約の儀を取り交わす前日の夜に、令嬢は橋の管理室へと向かう。もうかなり夜が更けた時刻ではあったが、突浪はまだ仕事をしていた。遅れている分を取り戻そうとしているのだ。季節が過ぎても、突浪の要領の悪さが改善されることはなかった。


 「わたし、明日には他の人のものになってしまうんです」


 令嬢は自分の気持ちを伝えた。突浪は何も言えない。何も言うことはできないのだ。


 「わたし、突浪さんが好きです。愛しています。突浪さんに少しでもわたしのことを想う気持ちがあるのであれば、どうか、どうか、たった一度だけでも、その両腕でわたしのことを抱きしめてください」


 突浪はそれまで令嬢の話を聴いても淡々と作業を続けていたが、それを聴いて初めて作業の手がとまった。そして令嬢の方に向きなおり、このように告げた。


 「お嬢様、誠に心苦しくはございますが、僕にはお嬢様の気持ちを受け入れるだけの器がありません。どうか、お幸せになってください」


 それでも令嬢は帰ろうとしなかった。結局、その晩は2人とも管理室で過ごした。


 「あんたさあ。どうにかならないもんかね。あの二人は」

 相方はため息をつくと、そう私に問いかけた。


 「さてね」


 翌朝、私は橋を上げた状態にした。突浪がどのスイッチを押しても、どの配線を点検しても、橋を下げることはしなかった。橋が下がらなければ、令嬢は自宅へ帰れない。わずかな時間稼ぎにしかならないことは私にもわかっていた。


 そうこうしている隙に、城之崎家と岩宮家が揃って橋のたもとに来た。城之崎家は小舟を漕いで娘を迎えにいこうとしていた。小舟は相方の橋からでないと向こう岸へ出発ができない。


 相方も橋を跳ね上げた。ゆっくりと、少しずつ。


 城之崎家は徐々に橋がせり上がるのに気づいていそいそと橋を降りた。岩宮家の御曹司も、城之崎家の両親も、完全に跳ね上がって動かない橋を見上げ、なすすべもなく立ち竦んでいた。そして、愛する一人娘の門出を踏みにじられた城之崎家の当主はゆっくりと口を開いた。


 「取り壊してしまえ」


 結局、令嬢は船で回収された。そしてそのまま強引に婚約の儀が取り交わされた。突浪は業務の怠慢を理由に解雇を言い渡された。突浪にしてみたらまったくの濡れ衣だったが、突浪はそれを受け入れた。


 私たちはというと、綺麗さっぱり、跡形もなく、取り壊された。そして私たちがいなくなったあとには立派な、巨大なアーチ型の橋が出来た。その橋が跳ね上がることはない。夜になると綺麗なオレンジ色の灯りでライトアップされる。若いカップルのデートスポットになり、よそからの観光客も増えた。


 私は語り続ける。


 世の中には物好きな人間がいて、私たちのような跳ね上げ式の橋の熱狂的なファンもいるらしい。そんな物好きな人間が私たちの廃材を集めて、展示をしている。街の片隅にある市民博物館のさらに片隅に、50年もの間、船の往来を見守り続けた橋ということで展示されている。もうすでに私も相方も小さな部品になってしまっているが、元気にしている。


 「あんた、あのときなんで橋を上げたりしたんだい?」

 相方は未だに文句を言う。


 「さてね」

 私は答える。


 「あんたはいつだってそう。はっきり言ってくれたら、こっちだってね」

 「おまえだって、あのとき橋を上げたじゃないか」

 「おまえって言うな」

 「すまん」


 こんな風に、私たちは、それなりに、幸せに生活している。

 今、時刻は9:30になろうとしている。

 私たちが展示されている博物館は10:00に開く。

 だからもうすぐやってくる。

 突浪は父親とまったく同じで、30分前には職場に着いて、いつものように掃除を始めるのだから。

 不器用ながらも、ただただ真面目に。



 

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