第二章 愛し方を知らない、④
三年ぶりの新生児育児は、予想を超えていた。三年前、赤ちゃん教室でママたちが言っていた意味がやっとわかった。寝ないってこういうことなんだ、文字通り寝ないでずっと泣いていることなんだと。
退院して、人肌に触れることを我慢しなくていいと知った輝夫は、存分に甘え始めた。今まで遠慮がちに飲んでいたおっぱいを、風呂上がりのビールのようにグビグビ飲み始めた。退院してすぐはそれがうれしかったが、産後一ヶ月検診までは細切れ睡眠で一時間ごとに授乳をして、オムツを替えて寝かしつけても三十分後にはギャーと泣いて起きる。これは辛い、本来の新生児とはこういうものか、と思ったが、そのあとのほうが比べものにならないくらいひどかった。
新生児期が終わってからは、おっぱいをあげても寝ない、おむつを替えてもぐずる、日中も夜中も関係なく、常に号泣。何をしても泣くのでもちろん抱きっぱなし、二、三時間ジャンプしてスクワットしてようやく寝たと思ってベビーベッドに下ろすと、カッと目を見開いてギャン泣き。またリビングで寝かしつけのやり直し。
自分の食事は台所で立ったまま塩もふらずただの白米であるおにぎりにかぶりつき、お茶はコップに注いで飲むという普通のことが全くできず、冷蔵庫から出して直飲みできる500mlペットボトルを箱買いした。トイレはドアの前にバウンサーを置いて号泣する輝夫に見張られたまま済まし、寝るときは抱っこしたまま、ソファに背中を預けて気絶した。そんなつかの間の休息時間も、十分で輝夫が起きれば自分も起きざるをえず、脳みそに疲労がたまっていくのだ。
退院してすぐは、ベビーベッドに寝かせることに成功すれば、お菓子を食べながら本を読むくらいの自分の時間はあったが、いまはそんな時間があるならとりあえず寝たい、とにかく寝たい、ベッドに背中を預けてみたい、ただそれだけだった。
いま思えば、長男のあれは、育児と言えたのだろうか。輝夫のこれが本当の育児なら、長男は「ちょっとウサギを飼ってみた」程度のものだったのだ。甘かった……。
それでも、辛くはなかった。身体的には休めないしあり得ないくらい寝不足だし、脳みそから脊髄から悲鳴をあげていた。でも、こうして常に腕のなかに輝夫がいて、世話ができていることが、疑う余地もなく幸せなことだと痛感もしていた。
痛い思いをしてやっと産んだのに、赤ちゃんがそばにいない。張り続けるおっぱいを吸ってくれる赤ちゃんがいない。眠って目が覚めて、赤ちゃんが横にいないことを毎朝理解しなければならないことに比べたら、育児ができている毎日が奇跡で、感謝すべきことなのは疑いようもない事実だった。
あの肉塊の日々があったからこそ、私は輝夫の育児を続けられた。そこに、ウサギの存在を感じられないほど、輝夫でいっぱいの毎日だった。輝夫が九歳になり、あの頃のことを思い出そうとしても、輝夫以外のことをほとんど思い出せない。九年前、ウサギはどうやって生きていたのだろうか。
輝夫の二度目の入院は、インフルエンザだった。妊娠中の母親が予防接種をすれば、抗体が胎児にも効くらしいが、切迫早産の傾向があった私は怖くて打たなかった。それが原因で早産するという根拠はないが、何かがあったときに、後悔だけはしたくなかった。そして、産後すぐに採血などで注射ばかりで可哀想だった輝夫に、予防接種をさせるのも嫌でしなかったのだ。
予防接種での予防ができなかったため、テーブルにはアルコールスプレーを常設し、除菌のウェットティッシュを持ち歩き、トイレのあとや料理中はもちろん、家電を触った、物置に入った、ドアノブに触れた、咳をした、あらゆる行動のあとに手を洗い、アルコールを拭きかけた手は荒れに荒れた。それでも、インフルエンザは防げなかった。
マンションのどこかに遊びに行った長男が、高熱を出し寝込んだ数日後のことだった。輝夫はようやく二ヶ月になったところだった。
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