第二章 愛し方を知らない、③

 長男と違い、輝夫はよく病院の世話になった。

 輝夫と私の血液型の相性が悪く、産後三日目には新生児黄疸と診断され、治療が始まった。強い光線をあてるため、目元に黒いテープが貼られ、オムツだけの姿で小さな箱に入れられてしまった。それだけでも我が子の姿が惨めで胸が痛むのに、さらに毎日行われる採血が辛かった。助産師二人に押さえ付けられ、マスクと眼鏡でほぼ顔がわからない担当医師に痛いことをされる新生児の恐怖。耳を塞ぎたくなる、号泣とも違う悲痛の泣き声。毎日採血の時間になると、涙を流すことしか出来なかった。

 私が、母親の意志だけで輝夫を箱から出せるのは、おっぱいとオムツの時だけだった。残りの時間は、ただそばで、うつ伏せでねんねする、そしてたまに身体をビクッとさせて、触れるものがなくて泣き出す輝夫を、プラスチックの箱越しに見ていた。泣いている我が子を抱っこするために、看護師の了解が必要だった。私が我が子を抱っこしてあげたい、その気持ちで抱っこをすることはできないのだ。自分の存在意義が虚しかった。産まれて間も無い弱い黄色い肌が、繰り返し貼って剥がされるテープでかぶれていく。


 産後五日目、未だ黄疸の数値が下がらず治療が続く輝夫を残し、私だけが退院することになった。抱っこの時間よりも、箱の中にいる時間の方が長い輝夫を、最後に抱っこさせてもらった。

 新生児期の長男は、もうこの頃には抱っこをすれば乳のにおいのするおっぱいがもらえるとすり寄ってきていたのに、輝夫はまだ、母親とおっぱいが繋がっていることをわかっていない。目元のテープを取って顔を見てあげますか? と助産師に言われたが、お願いしますと言えなかった。大丈夫です、と言った。


 輝夫を置いて夫と家に帰った私は、病院に残した輝夫のことが心配で悲しくて、産後の疲れよりも、輝夫を想う心労でボロボロだった。瞼を落としても、思い浮かぶのは輝夫の目元の黒いテープ、かぶれた痕だけで、輝夫はどんな瞳だったか、どんな顔で泣くのか。思い出せない罪悪感に眠りに落ちることができなかった。いつの間にか意識を失っても、輝夫の採血のときの泣き声が聞こえて起きた。深夜に寝室を抜け出してリビングのソファで泣きながら搾乳した。


 産んだ子が自分のそばにいないだけで、世界が真っ暗だった。飲んでくれる子がいないおっぱいは何度搾乳しても張り続けるので、食事も水分も摂らなくなった。それでも胸がぐーっとふくらんで痛むたび、病院で輝夫が一人泣いているんじゃないかと思って涙が流れた。そんな夜が明けると私はすぐに病院に行き、二十時の面会時間終了まで輝夫の横にいた。ぷくぷくした黄色い頬を見ている間だけ、自分の心に温度が戻った。

 私が病院にいる間、まだ幼稚園に通っていなかった長男が、日中何をしていたのかは知らない。夫がまた有給を取っていたのか、それともどこかに預けられていたのか、私は興味がなかった。それでも食事は必要なので、朝はパンと水を与え、夜は病院の帰りに買った弁当を食べさせた。遊びに付き合うのがわずらわしく、お風呂は別々に入った。病院から帰り、ご飯、お風呂とこなしていると、あっという間に十時が過ぎた。その時間にはさすがに長男も自然に眠くなり勝手に寝てくれるので、わざと病院を出るのを遅くしたりしていた。

 輝夫の寝かしつけをしてやれないのに、長男に手をかけるのがあほらしいと思っていた。私がすべきことは、輝夫のために搾乳をし、輝夫のいる病室に居ることだけなのだ。


 輝夫が退院する日。輝夫を抱っこして、初めて病院を出た景色に、色があった。家と病院を往復する肉塊にやっと心が戻った気がした。帰った家の窓から光が入り、部屋に明かりが灯った。そこに夫と長男がいることがわかった。輝夫を抱いて笑う私の瞳に長男が映ったとき、天井からつり下げられていた顔の表情筋が緩んだように、長男が笑った。その長男を見て、私も口角だけで笑った。長男と目が合うのは、出産後初めてだったかもしれない。夫はそんな私たちを見て、悲しい笑顔をしていた。他人の心の機微が面倒だった。輝夫だけは、私の愛を疑うことなく、全てを預けて、腕の中で安心したように眠っていた。生後二週間に満たない、小さな小さな輝夫。かわいい愛しい、大事な輝夫。

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