第31話 新たなる旅へ


 

 黒竜はレオとエステルを背に乗せ、高度を上げた。

 王都の遥か上空より地平線を望むと、連なる山脈の向こうに青く輝く海が見える。


 エステルは初めて見る、大海の美しさに息を飲む。


 レオは二人の身体の周りに目に見えない球状の防壁を作り、風圧からエステルを守った。


「レオ、この翼は……?」


 エステルはレオの背中から生えている翼に触れた。


「鷹の羽衣というアイテムで、身に着けると空を飛べるんだよ」



 これからムーレンハルト王国から離れて行くのだとエステルは思った。

 しかし黒竜は王都近郊のシナリー山にあっさりと降りてしまった。


「ここの龍脈の乱れが気になりますので……」


「そうだな。王都から持って来たあの巨大魔石を使うといい」



 龍脈とは大地の中を走る魔素の、最も太く大きな流れを指す。

 「魔素の大河」「大地の血管」ともいえる存在で、この龍脈から魔素が噴き上がる「龍穴(りゅうけつ)」の位置の一つが、シナリー山だとヨルムンガルドは言う。


 シナリー山には洞窟があり、温泉が湧き出している。

 ヨルムンガルドが洞窟からシナリー山の深部に降りて、龍脈の乱れを正しに行く間、レオはエステルを温泉に誘った。


 塔から落ちた時の、血と土で汚れていたエステルは、ありがたく温泉に浸かることにした。


「この温泉は魔素を多く含むから、疲労回復にもいいよ」


 レオは人形ドールだった時と変わらず、甲斐甲斐しくエステルの世話を焼きながら、一緒に温泉に入った。


「レオ、いやロキさまと呼ぶべき? 伝えられている神話は、本当のことなの……?」


「レオでいいよ」


 エステルは神話の中でロキがアースガルズ神族の中でも敵対するヴァン神族の血も引いていることから、微妙な立ち位置であったこと、最期は捕らえられ封じられてしまったことを思い出していた。

 人族の間では凶神まがつかみとされた伝承についても、考えを巡らす。


「女神シヴの頭を僕が丸刈りにした神話のことなら、あれは穀物の収穫の象徴的な寓話だよね」


 音楽堂で上演された演目について、レオはおかしそうに話した。


「神話って一口に言っても色々だし。人族が認識する自然物や自然現象だったり、過去にあった歴史的な出来事や諸事象の起源や存在理由を語る説話だったり」


 岩に座って温泉の湯に浸かりながら、レオはエステルの肩を抱き寄せたり、髪を撫でたりとちょっかいを出す。


「レオの封印が解けたのは、どうして?」


「それは――人形の僕が破壊されようとした時、僕のためにエステルが命を投げ打って助けてくれたからだよ。真実の愛、自己犠牲が封印の鍵だったんだ」


 感極まった様子でレオはエステルを抱きしめ、キスをした。


「君は人形に過ぎなかった僕を、愛してくれた……ああ、エステル、君は奇跡を起こした。僕は――」


「待って、レオ。ヨルムンガルドが来ちゃうから――」



「はい、来ましたよ。ロキさま、エステルさま」


 本当に岩陰からヨルムンガルドの声がして、エステルは慌ててレオを押しのけた。


「ここに着替えとタオルを置いておきますから。お食事の用意も出来ております」


 残念そうな顔をするレオを見て、エステルは笑ってしまった。

 封印が解けたレオは、人形だった時よりもずっと快活で楽しそうだ。


 ――神話の中の悪戯で愉快、トリッキーな神様というのは、案外本当なのかも……。



 身体を拭いて用意してくれたトーガに着替えると、ヨルムンガルドが洞窟の一画に設えた簡易テーブルと椅子に座った。


 黒竜ヨルムンガルド、今は人化していてその姿は執事の恰好をした白髭の爺になっていた。

 背筋はピンと伸びて矍鑠かくしゃくとしている。


「何分急なことで、今日の所はこのようなものしかご用意できず、申し訳ございません」


「すごくおいしそう!」


 魔道ランタンで照らされた食卓は、朴ノ木の葉を皿にして清流で獲った岩魚の塩焼き、山菜とキノコの蒸し煮、山芋のスープ、デザートに山葡萄、飲み物は蜂蜜酒だった。


 給仕をして、ゴブレットに蜂蜜酒を注ぐヨルムンガルドを、レオは改めてエステルに紹介した。


「エステルさま、わしは黒竜ヨルムンガルド。ミズガルズの龍脈の守護者です。この度は我が主の窮地をお救い下さり、誠にありがとうございました。ロキさまが封印を解かれたことで、わしもかつての力を取り戻しつつあります」


「龍穴の様子はどうだった?」


「あの魔石のお陰でなんとかなりそうですが、ここにも管理する竜がいずれは必要です」


「そうか。適任者の心当たりはあるか?」


「霊山の火竜が、卵を産んだと聞いてます」


 きょとんとしているエステルに、レオは説明した。


「魔力を持たない人間の数が爆発的に増え、かれらは魔族や魔物を殺し過ぎた。そして便利さを求めて魔石を大量に収集し、過剰に使ってしまった。それによって龍脈が乱れている」


 龍脈が枯渇すれば、大地はいずれ不毛の砂漠に変わってしまう。その前に魔族や魔物を保護してやらなければいけない。彼らは、大気中の魔素を体内に形成し、やがて死した時には大地に還って、龍脈を流れる魔素と合流するのだと、レオは話した。

 


 食事が終わると、ヨルムンガルドは空間魔法付与付鞄マジック・バックから簡易ベットを取り出して毛皮を敷き、寝床を整えた。


 ヨルムンガルドが下がると、レオはエステルに「明日は朝早く出発するから、もう休もう」と声を掛けた。



 エステルはベッドに横たわり、ロキの腕の中で「これからどうするの?」と聞いた。

 先のことを考えると不安だった。


この世界ミズガルズの龍脈を見て回って、それから何処かに落ち着こうか。エステルの気に入った場所に住もう。天空の城か、海に浮かぶ美しい島でもいい」


「私は……そこで何をすればいい?」


 レオは半身を起こして、エステルを見つめた。


「僕の奥さんになって欲しい。なってくれるよね? もちろん大事にする! 絶対浮気もしない。僕を信じて」


 神々の妻など、自分に務まるのだろうかとエステルは考える。


「いい加減な伝承は信じちゃだめ。神話はウソばっかりだから! 特に僕の話は違うからっ」


「何、それ?」


「えっ?!」


 思わずエステルは吹き出してしまった。クスクス笑っていると、レオはため息をついた。


 確かに魔族と魔物を保護する立場のロキ神は、人族から悪く言われてしまうだろうな、とは思う。



「他の神さまたちはどこに行ったんだろう。またこの世界に戻って来る?」


最終戦争ラグナロクの時はもう、僕は封印されていたからね。よく分からないんだ。世界樹が倒れてまた若木が育ち世界が始まって……。どこかに他の神々もいるのかもしれないけど。――とにかく僕は、この新しい世界で自分を取り戻した。これからは君と生きて行きたい」


「分かった。あなたにとってはほんのわずかな時間かもしれないけど、この命が尽きるまで一緒にいよう」


「……エステルが僕の子供を産めば、身ごもった子が君の身体に作用して、僕と同じ神族になる。だからずっと一緒だよ」


 ――レオと同じ神族、神種になれるなんて――。では、私はレオの赤ちゃんを産むこともできるんだ。

 人形のレオの時は考えもしなかった幸せが……。


「――本当に、私でいいのか?」


 レオの唇とエステルの唇が重なる。


「愛してる」


「私も――」




 それから二人と黒竜は世界を旅してまわり、龍脈の乱れを正すと、大陸から離れた美しい島に住むことにした。


 海の真ん中にポツンと浮かぶ島。

 数千年前の火山によって出来たこの島は、カルデラによって凹んだ形をしている。


 レオはドワーフたちに依頼して壮麗な宮殿を築き、終の住処とした。


 宮殿で働く者達の中には、エステルの親しかった者も混じっていた。


 エステルの兄ヘルブラントが使用人のまとめ役の執事をして、幼い子供達の面倒を乳母のヒルデが見ている。乳母の孫、隠して育てていた妖精の取り替えっ子と片割れの子は、子供達のいい遊び相手だ。



 二人の子供たちは神獣フェンリルに変身する能力を持っている。


 神の子としての美しい人型と、神獣の蒼銀の気高い狼の姿とに、レオとエステル、ヨルムンガルドは目を細め誇らしげにその成長を見守る。




 ムーレンハルト王国は、その後どうなったか? 


 ディーデリック王の黒竜の討伐とレオたちの追跡命令は、上王によって止められた。

 それから三十年程は平穏に過ごしていたが、成人した子供達が王位継承争いを起こし、国内の貴族たちを巻き込んで内乱に発展した。それによって長く繁栄した国は衰退していった。


 一方、フェリシア姫は西の国に嫁ぎ、子宝にも恵まれた。嫁ぎ先でロキ神を祭る神殿を建て、毎日のように祈りを捧げたという。ロキの神像の隣には、女神エステルの像も対になって置かれていた。

 このことがきっかけで西の国では魔族に対する偏見が減り、やがて魔族の国と交易が始まり栄えた。








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本編 完結


この後、エステルの妹のその後と、ロキとエステルの子供たちの番外編をあわせて二話掲載します。




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