第23話 歌姫


 王立音楽堂は王都中央の丘、南西斜面に建てられている。

 劇場の正面は3列の列柱廊で、屋根は高価なバーノン杉を使用していた。


 主に音楽の演奏会で用いられていて、一階は馬蹄形に座席が並び、上階では数人が座る桟敷(ボックス)席になっている。

 この桟敷使用権を王侯貴族が買い取って所有しており、夜には貴族たちの格好の社交場にもなっていた。


 フェリシア姫一行は、舞台から向かって正面の、王家が所有している桟敷にいた。

 劇場の警備を確認するため、先に着いて一行を待っていた先輩女騎士のカトリナも合流している。

 

 昼の利用客は少なく、一階席は閑散としていて、上階桟敷席も同様に上位貴族の姿は見えない。

 王族に挨拶に来れるような身分の者はおらず、それがかえって姫をリラックスさせているようだ。


 この時間帯は、演奏者も駆け出しの新人や無名の者という話だったが、普段は宮殿の外に出る機会が限られているフェリシア姫にとっては、このイベントが楽しみで仕方ない。

 ひとりで食事を取ることを嫌がり、姫はエステルたち護衛や侍女にもテーブルに着いて昼食を共にしてほしいとねだった。

 畏れ多いと供の者達が辞退すると。


「ここは宮殿じゃないもの。お願い」


 寂しそうな顔をする姫に、エステルの胸はチクリと痛んだ。

 結局姫に押し切られる形で、エステルたちもテーブルに着いた。


 ほどなく給仕がやって来て、おしぼりと水を配り注文を聞く。


「昼食のメニューは各種サンドイッチとスープ、デザートとなっております」


 姫はランチ・メニューの中からライ麦などを混ぜない小麦粉だけで焼いたパンの、サーモンとタマチシャのサンドイッチ、森キノコ入りコンソメスープ、デザートに栗の渋皮煮を選んだ。エステルたちも同じものを選ぶ。


「果実水と焼き菓子もお願いね」


 給仕は注文を取ると、待たせることなくすぐに料理をワゴンに載せて運んで来た。

 森キノコの熱々のスープの香りが食欲を刺激する。


 でも姫の関心は食事ではなく、本日の演目だ。


「ミズガルズ大陸中を旅している、美形の吟遊詩人ですって、楽しみね」



 上演時間が近づいた時、ざわついた人々の声と共に、ディーデリック王が護衛の近衛騎士、侍従を従えて入場して来た。


「お兄さ……陛下?!」


 突然、桟敷席に入って来た兄王に、フェリシアは驚いてスプーンを落としかけた。


 エステルたちは席から一斉に起立し、桟敷の隅に身を引くと跪いた。


「どうして、陛下がここに……?」


「たまには、兄妹で歌劇鑑賞も良いだろう?」


 ディーデリックは、当然のように妹姫の隣に座る。


「今日は、フェリシアの為に、ちょっとした趣向を凝らしてみた。楽しみにするがいい」


 長い睫毛を瞬かせ、不思議そうに兄の顔を見るフェリシア。


 その時、カラン、カランと上演開始の鐘が鳴り、場内の明かりが落とされて薄暗くなった。


 竪琴キタラー縦笛アウロスの音と共に、舞台に現れたのは王都で大人気の歌姫、王の寵姫ニコレットだった。


 フェリシアは演者が吟遊詩人でないことに驚き、落胆しつつも、ニコレットの歌が始まるとその美しい調べにすぐに心を奪われる。


 演目はこの国では良く知られた、コミカルな神話だった。


 ニコレットは女神シヴに扮して現れ、背丈よりも長い黄金色の髪を誇らしげに櫛梳る。

 やがて、女神は木陰に横たわると深い眠りについてしまう。


 そこにやって来たのは黒髪の青年が扮する悪戯な神ロキ。

 黒髪の青年がニコレットにそっと近づくと、鋏でバッサリとカツラの美髪を切ってしまう。

 ロキが草原に女神シヴの髪を風にのせて放つと、黄金色の穂を持つ小麦になった。


 しかし目覚めた女神は、自慢の髪を失ったことに気がついて悲嘆にくれる。

 シヴの夫、雷神トールはそれを知って「ロキを殺してやる」と、カンカンに怒った。


 結局すったもんだの末、主神オーディンが仲介に入った。

 ロキはドワーフ族に、それを被ると頭にくっついて本物の髪の毛になってしまうという黄金製のかつらを作ってもらってシヴにそれを被せ、物語が終わる。


 再び黄金の髪を取り戻した、シヴの喜びの歌で幕が下りる……はずだった。


 劇場内に響き渡る妙なる歌声。

 ニコレットは歌と共に徐々に魔力を乗せていった。


 その歌声を耳にした者は、意識を失い、眠りへと誘われていく。


 最初に異変があったのは、一階席の観客たちだった。

 次に桟敷席にいた侍女や侍従、低位貴族たちが……。


 異変に気づいたエステルは、意識を失わないようにと、ぎゅっと剣の柄を握り、辺りを見回した。


 ――いったいこの歌声は何なんだ?! 精神攻撃系の魔法か? 歌にこんな集団睡眠効果を持たせることが出来るなんて!


 隣にいたレオもエステルの手に触れ、エステルの身を案じて様子を伺っている。


 ――エステル、これはセイレーンの歌声だ。歌を聞かないようにして。

 

 レオが念話で話しかけると、エステルは手で耳を塞いだ。



「陛下、趣向を凝らしたとは、この歌の事ですの?」


 フェリシアは聖種、しかも王族の魔力は他の追随を許さぬほどの絶対量があり、そのためか姫への影響は軽微で眠そうにあくびをしたものの、おっとりと舞台から兄王へと視線を移した。


「その通りだ、フェリシア。ニコレットはセイレーネス族の血を引いている。歌声で人を惑わし、遭難や難破に遭わせる女の魔族だ」


「ま、魔族ですって?! そんな人が歌姫だなんて……大丈夫なのですか?」


 翡翠の瞳を大きく瞬かせ、フェリシアは不安げに舞台に立つニコレットを見、そして供の者達を心配する。


 近衛騎士達は貴種として心身ともに厳しい訓練を積んでおり、この歌声にも必死に抗っていたが、一人、また一人と床に崩れ落ちていく。


「ニコレットは人間とセイレーネス族の混血だ。あれ自身にはたいして力はないが、今日は特別に魔力を強化する魔道具を持たせた。魔歌の効果はそこそこ出たようだな。近衛騎士たちの日頃の鍛錬の成果を、このように抜き打ちで確かめるのも面白いだろう? ――それにしても我が護衛たちは不甲斐ないな。意識を保てたのは、エステルだけか。弛み切った近衛騎士たちは、あとで厳しく鍛え直すように命じなければならない」



 結局、その場で意識を失わなかったのは、王と妹姫を除くと、エステルとレオだけだった。


 ディーデリックは、そのエステルを興味深そうにじっと見つめていた。




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