第15話 誓約紋
「……話せない事なら、言わなくていい」
エステルは前に、自分の質問に答えようとしたレオが停止したことを、忘れたわけではなかった。
純粋にレオの事をもっと知りたい、と思う自分と、知らない方が今のまま幸せに過ごせるのではないか、という恐れ。そして、レオの能力が自分の助けになるかも、という打算的な気持ちもあって……。
レオは指先で、エステルの胸の間に刻まれた、桃色の誓約紋に触れた。
それは、レオが王都からコーレイン家に来た時に交わした誓約魔法で、エステルが王家から「至宝」の返却命令があった場合は直ちに従う、という誓いに強制力をもたせるためのものだった。
「王家への絶対の服従と、背任した場合は貴種の力の封印まで科されている」
誓約紋の細かな
「騎士は元々、主君に命を捧げている。王家の至宝を貸し与えられたのだから、それくらいは……」
宿屋のテーブルの上で腕輪に擬態しているヨルムンガルドは、浴室から洩れて来る主たちの会話を聞くともなく聞いていた。
――我が主は、あの者の従者
「ワイバーンを倒した方法なら、教えられるよ」
風呂から上がり、乾いた布で身体を拭いた二人が部屋に戻って来た。
「本当に?」
エステルは、レオがベッドの上に出して置いたチュニック・ズボンに着替え、ドキドキしながら次の言葉を待った。
「これを使った」
レオは、テーブルの上の黒い腕輪をエステルに見せた。
「
エステルが受け取って見ると、黒蛇を模した腕輪には目の部分に赤い石が二つ嵌め込まれている。
「
「重力魔法を?! それは物凄い希少な魔道具じゃないか……」
思わず目を見開き、絶句するエステル。
再びエステルから返された腕輪を、腕にはめるレオだったが……。
不意を突かれたヨルムンガルドは、ビックリして擬態している尻尾の先がビーンと微かに震えてしまった。
――おふざけが過ぎますぞ! 万が一にでも王家の者どもに、存在を知られるわけには行きませんのに。
その時、六の刻を知らせる鐘が鳴った。
「行こう、食事の時間だ」
エステルたちはシェルトやヨハンと合流して、階下の食堂に降りて行った。
食堂の中に入るとすでに人々でごった返していたが、村娘のウェイトレスが直ぐにやって来て、奥まったテーブルに案内した。
「本日は炙り猪肉と魚のフライの二種類になりますが、いかがなさいますか」
シェルトたちは炙り肉を、エステルは魚にした。
「酒は何があるか?」
シェルトが訊ねると「エールと葡萄酒があります」という返事が返って来る。
「葡萄酒と、つまみも頼む」
村娘はおしぼりを置くと、厨房に注文を通し、葡萄酒とつまみのチーズを持って戻って来た。
「ありがとう」
エステルが銅貨のチップを渡すと、娘は頬を染めてぺこりとお辞儀をした。
「料理もすぐにお持ちします」
エステル達の案内されたテーブルは、上客用らしく入り口から離れたところで他の客から見えないよう、衝立が置かれていた。
喧騒の中、皆で乾杯をして葡萄酒を飲み始める。
シェルトとヨハンは、レオも葡萄酒を口にするのを見て、ギョッとした。
「なんかもう……黙っていれば、人形と分からないですよね……」
ヨハンは、フードを被り手袋をして変装したレオを眺めて、しみじみと呟いた。
「そうだな。私もしゃべらなければ男だと思われているから、似た者同士だ」
「いや、エステルは男装の麗人といったところだ。一般的に、騎士は男だという先入観があるだけで」
「そうです、そうです!」
シェルトがフォローすると、ヨハンも慌てて追従した。自分の言葉のせいで、コーレイン家の息女を不快にしてしまったのではと怖れて。
「自分達貴種は、魔力で肉体強化する術を鍛えていますからね。平民の冒険者のように、バカみたいに筋肉を付けたりしませんし。エステルさまはすらりと背が高くて、お美しいです」
「確かに、女にしては背が高いな……」
エステルは、さっきのウェイトレスやアリアネを思い浮かべた。
「エステルの良さは、その辺の女どもにはないものがある。魔獣と戦って背中を任せられる女というのは、なかなか居ない」
「……確かに、そうだな!」
シェルトの言葉に、エステルは吹き出し、声を上げて笑った。
ヨハンも戸惑いながら、エステルが楽しそうにしているのを見て、一緒に笑い出す。
――こんな風にシェルトとまた仲間として、普通に笑い合ったりできるなんて。少し前までは考えられなかっのに。
頼んだ料理もテーブルに並べられ、皆で和やかにしばし素朴で庶民的な味を楽しんだ。
そこへ、宿屋の主人が警備隊長を連れて、エステルたちのテーブルにやって来た。
街道の治安を守るための警備団が、
彼らは平民出の貴種や訓練された兵隊たち、冒険者などの雑多なメンバーで構成されていた。
「閣下、私は街道警備第八団隊隊長のトーマスであります!」
三十代半ばの筋骨隆々とした男が、シェルトに向って最敬礼をした。
「俺達は近衛騎士で、コーレイン家のシェルト、こちらはエステルだ」
シェルトは、エステルを見た。彼を呼んだのは、エステルだから。
「トーマス。我らは今日、コーレインからここに来る途中、シナリー山の渓谷の橋付近でワイバーンと戦闘になった」
エステルの言葉に、トーマスが蒼白になった。
「例年より、シナリー山山頂に、繁殖期で集まったワイバーンの個体数が多い。明日、王都に着き次第、報告を上げるが、お前達も注意喚起して欲しい」
「分かりました」
警備隊長が対策の為、急いで詰所に戻って行くのを見ながら、シェルトは「アリアネにも、知らせた方が良いな」と呟いた。
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