第12話 妖精の取り替え子
領主館の裏山の唐松林が黄金色に染まる頃、エステルがフェリシア姫の守護騎士に拝命することが正式に決まった。
そして、王都へ出立する時が近づいたある日のこと。
「王都に行く前に一度、乳母に会いに行こうと思う」
エステルは、一緒に荷物の整理をしているレオに話しかけた。
「いつ?」
床にしゃがんで、王都に持って行くものといらないものを分けていたレオは、エステルを見上げた。
「早い方が良い。今日の午後にも」
乳母のヒルデは、宿下がりをしたまま戻って来なかった。
嫁に行った上の娘が子を産んで里帰りしたとかで、その世話もあって忙しくしているようだ。
手紙のやり取りはしていたが、領地を離れれば当分会えなくなるかもしれない。
「初孫の祝いも持って行ってやりたいし」
昼食を済ませるとレオは厩舎へ行き、栗毛の馬に二人乗り用の鞍をつけて引いて来た。
エステルが手綱を取り、レオが後ろに乗って、領内の町にある乳母の家まで行く。
小ぢんまりとした木造の赤い煙突屋根の家で、手入れの良い庭に囲まれていた。
庭には家庭菜園や物干し竿があって、洗濯物が風に揺れていた。
家の中から赤ん坊の泣き声が、かすかに聞こえてくる。
二人は馬から降りて門扉から中に入り、庭木に馬をつなぐと顔を見合わせた。
明らかな異変を感じて。
二人は玄関の扉の前に立ち、ドアノッカーを叩いた。
すると玄関の内側から「どちら様でしょう」と問う乳母の声が聞こえた。
「ヒルデ、私だ。エステルだ」
ひゅっと息を飲む音がして、内側の閂がおろされると扉が開かれた。
「エステルさま! このようなところにわざわざお出で頂いて」
「ヒルデ、久しぶり。元気だったか?」
「はい。エステルさまも健やかになられて……」
エステルは、感極まって言葉を詰まらせるヒルデの肩を抱いた。
「ああ、心配をかけたな。ヒルデには王都に行く前に、挨拶をしたかったから。中に入っても?」
乳母は一瞬、奥を気にするようなそぶりをしてから「どうぞ、侘び住まいですが」と言って、エステルたちを中に通した。
「皆は息災か? 赤ちゃんを見せてくれるか?」
主の問いに、ヒルデは口籠った。
「ええ……あの、夫は仕事に出ていて留守にしていますが、元気にしております」
リビングに招き入れられると、窓際に乳母の上の娘と揺りかごに載せられた赤ん坊が居た。
娘は、立ち上がって深くお辞儀をした。
「スザンネ、久しいな。レオ、出産祝いを」
レオが金貨入りの小袋を渡すと、スザンネは中を見て「金貨! こんなに頂けません」と固辞する。
「いや、ヒルデの初孫の祝いだ。どうか受け取って欲しい。……可愛いな。抱っこしてもいいか?」
スザンネがヒルデを見ると、頷いた。金貨をありがたく受け取ってから「どうぞ抱いてやってください、お嬢さま」と頭を下げた。
乳母が揺りかごから赤ん坊を抱き上げ、エステルに渡す。まだ人見知りのしない幼子は、エステルに抱かれてにこっと笑った。
「名前は?」
「ハンナと名付けました。女の子です」
乳の香りのする、柔らかな布に包まれた小さな赤ん坊を抱いて、エステルは胸に小さな痛みを感じた。
――健康も取り戻し、やりがいのある仕事、それにレオもいるのに。
結婚して子を持ったスザンネを、羨望する気持ちがエステルの中にあることに戸惑う。
そんな心の揺れを振り払うように、ヒルデの方を向いて尋ねる。
「もう一人、赤ん坊が居るだろう? この家の地下に。妖精の取り替え子だ」
ひっ! とヒルデとその娘は声にならない叫びをあげて、手を口を当てた。
妖精の取り替え子とは、ごく稀に平民の間で生まれる聖種のことを指す。
本来なら聖種は、聖種の両親からしか生まれないはずが、何万分の一程の確率で魔力をほとんど持たない平民の両親から出現することがある。
凡庸な両親から生まれたのに、あり得ないほど巨大な魔力を持つ故にその子供は「妖精の取り替え子」と呼ばれる。
見つかると領主によって取り上げられ、男子なら殺され、女子なら隔離され生涯監禁される。
巨大な魔力をもつ聖種によって、既存の聖種の権力が脅かされるのを防ぐ、取り替え子を旗印に平民に謀反を起こさせないためなどの理由からだ。
エステルとレオは、乳母の家の敷地に入ってから、聖種の魔力を感じ取っていた。
魔力をほとんど持たない平民は接近するまで気が付かないかもしれないが、二人には家の外からわかった。
それが原因で乳母たちが怯え、外を警戒していたであろうことも。
「やはり、お嬢さまには隠し切れません……。そうです、双子の赤ん坊の片割れは、取り替え子でした」
ヒルデが諦めたようにつぶやくと、スザンネは床に崩れ落ちて泣き叫んだ。
「私の赤ちゃんが! いや、許してください。私の赤ちゃんを取らないで!」
母親の不安定な気持ちを感じたのか、エステルが抱いている赤ん坊も火がついたように泣き始めた。
「落ち着いて。確かに私は領主の娘だが、ヒルデたちの味方だ。何かいい方法がないか考えよう。まずは赤ん坊に会わせてくれ。本当に聖種なのか、確認しないと」
泣いている赤ん坊を母親に返すと、エステルとレオはヒルデに案内され、地下室へ行った。
食品貯蔵庫になっている地下室に、もう一人の赤ん坊を隠していたのだ。
双子の片割れの赤ん坊は、すやすやと揺りかごの中で眠っていた。
「やはり、聖種で間違いない、な。性別は?」
「――男の子です」
「そうか」
男であれば、領主に見つかると確実に殺される。あるいは、良からぬ者に利用されれば、その末路も悲惨なものとなるだろう。
聖種かどうかは、貴種が見ればすぐにわかる。赤ん坊が取り替え子だとすぐにばれてしまう。
――どうすればいい……?
エステルがレオを見ると、レオはポケットから穴の開いた玉を取り出した。
それに紐を通すと、赤ん坊の首に掛ける。
すると、聖種の魔力の気配が消え、もう片方の赤ん坊と変わらなくなった。
「この子から、オーラが消えた?!」
呆然とするヒルデには構わず、レオはエステルの腕に触ると、直接心の中に語り掛けた。
――これでしばらくは人目を誤魔化せる。その間に、この家族はこの地を離れた方が良い。
レオからこのように、しゃべらないで直接心に語り掛けられたことは初めてだったので、ひどく驚いた。
――レオは、念話も出来るのか?
――僕のことは、また後で。さあ、ヒルデに伝えて。
「ヒルデ、この玉で誤魔化しているうちに、赤ん坊を連れて人目につかない場所に移った方が良いと思う。どこか当てはあるか?」
「それなら、夫の実家に。山岳地で酪農をしていて、あの僻地ならめったに他所の人は来ません」
乳母とて双子の片割れが取り替え子と分かった時から、逃げる先を考えていたのだ。
これまでは取り替え子を隠して旅をする方法がなくて、家の地下に匿うしかなかったけれど。
「そうか。とにかく、子供が成長するまでは、何としても隠し通すんだ。成長した暁には、国王陛下も聖種の存在を認めざるを得なくなる」
「無事に成長したら、どうなるのですか?」
「聖種が成長したら、強大な力を持つ。多分、陛下より爵位を賜ることになる。それまで、家族で協力して赤ん坊を守るんだ」
ヒルデは口元を引き締め、決意を込めた表情で頷いた。
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