第10話 姉と妹

(ご連絡)

今朝更新時(9/18、7時過ぎ)に一つ前の第9話をupする際ミスをしてしまいました。一時間後に原稿を差し替えています。差し替え前の原稿を読んでしまった方は第9話(差し替え前と全く別です)を再読してください。m(u_u*)m


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 シェルトの言葉に引っかかるものを感じて、エステルはちらりとレオを見た。


 レオは人前では決してしゃべらない。

 エステルと二人だけの時にしか、その情感のある美しい声を聴かせることはない。


 錬金術師たちが、レオの身体をあちこち調べる際にも無表情を貫いているのだ。


 ――何か理由があるのだろう。でもレオがこうして側に居てくれるだけで心強い。 

 


「――騎士叙任式で、初めてエステルに会った時から俺は君を……」


「シェルト、そういう話は今となってはもう、詮無きことだ。妹との婚礼も間近だし、こんな所を誰かに見られたら、なんと思われるか。もう、帰った方がいい」



 父から婚約解消を言い渡されてから、すでにそれなりの時間が経過している。

 エステルはとっくに気持ちの整理が済んでいた。

 さらに、辛い闘病の時間をレオに支えられ、情も交わして来た。

 シェルトに今更、思いを告げられても迷惑だとしか思えない。


「待ってくれ。確かに家同士の決め事で、アリアネと結婚するしかないとしても、俺は君も妻に迎えたいと思っている。もちろん、日陰の身になんてさせない。両方、公平に、大切にすると誓うから、どうか」


 シェルトがエステルの手を、その大きな両手で包むように握る。


 その時エステルは、はっとして前を見つめた。シェルトもエステルの視線の先を見る。



 そこには、栗色の髪を丁寧に巻いた、薄紅色の絹のドレスを着たアリアネの姿があった。

 侍女がシェルトが離れに訪れたことを、本館まで知らせたので、急いで中庭を抜けここに来たのだ。



 エステルは、シェルトの手の内からそっと自分の手を引き抜くと、立ち上がった。


「アリアネ、丁度よかった。シェルト殿はこちらに来たついでに私を見舞って下さったが、もうお帰りになるところだ。この離れではおもてなしも出来ないから、本館でよろしく頼む」


 アリアネはをドレスの裳裾を翻し、つかつかと歩み寄ると、白シャツに黒のぴったりしたズボンを穿いた姉の前に、挑むように立ち止まる。


 そして大きく手を振りかぶって、パン! とエステルの頬を強く叩いた。


「泥棒猫! 知っていてよ。その人形ドール相手に、みだりがましいことをしているそうじゃないの。その上、人のものにまで手を出すなんて」


 シェルトは驚いて、エステルと人形ドールを交互に見た。


 エステルは口の端についた血を拭うと、真っ直ぐアリアネに顔を向けた。


「アリアネ、何か誤解しているようだが、貴婦人レディが使う言葉ではないな。シェルト殿に私からも、お詫びを。私はこれで失礼する。――レオ、行こう」


 アリアネはその場から立ち去ろうという二人に、さらに言い募る。



「――人形ドール相手に、離れで一人ぼっちで暮らしているなんて、可哀想なお姉さま!」



 すると、エステルの手を取り寄り歩き出していた人形レオが振り向いて、そのクリスタルの瞳がアリアネと一瞬合った。


 完全な造形美の人形ドールの顔に、憐れみが浮かんだような気がして、アリアネはぎゅっと手を握りしめる……。



◆◇




 アリアネとシェルトの婚礼の日がやって来た。

 コーレイン家の領主館は、引っ切りなしに招待客の馬車が乗りつけている。


 手入れの行き届いた庭園も今日ばかりは領民に解放され、エール酒やパン、庭で焼いた肉や魚などが振舞われる。


 人々の賑やかな声を、エステルは領主館の離れで、聞いていた。


 領主……父からは、婚礼と祝宴に出席するようにとその日に着るドレスも届けられたが、体調を理由に欠席した。

 無理して出席して、エステルが再び健康を取り戻し、政治の駒として使えるとアピールすることになるのは避けたかった。


 ――それになにより、アリアネへの配慮もある。

 エステルが出席しても、アリアネは悦ばないだろうという気がして。

  


「今日の夕食は、本館から誰か届けてくれるかな」


 メリッサも、今日ばかりは領主館の手伝いに駆り出されていた。


 今夜は大勢の招待客を迎え、厨房は戦争のような忙しさだろう。

 この離れに居るエステルのことまで手が回らず、忘れられているかもしれない。



「もしかすると、夕食抜きになるかも」


 エステルが呟くと、レオが首を傾げた。


「人は食事を取らないと、すぐに弱って死に至る。僕が夕食を調達して来よう」


「一食くらい抜いたって、死にはしないが」


 不安そうなエステルを尻目に、「任せて」とレオは出掛けて行く。



 ――そう言えば、前にメリッサが奇妙なことを言っていたな。レオが食事を用意したとかなんとか。本館の厨房に食事を取りに行くのに、慣れているのかもしれない。




 レオは離れから出て少し行くと、ひと目のつかない植え込みにしゃがむ。


「ヨルムンガルド」


「我が主」


 植え込みの陰からするりと出て来たのは、あの漆黒の蛇。


「母屋から婚礼の御馳走を持って来て欲しい。出来れば魔力のたっぷり含まれた料理を」


「かしこまりました」


 領主館に向かった蛇は、直に空間魔法付与鞄マジックパックを口にくわえて戻って来た。


「ご苦労だった」


「お安い御用でございます」


 蛇から空間魔法付与鞄マジックパックを受け取ってレオが戻ると、エステルは目を丸くした。


「お帰り、レオ。その鞄は空間魔法付与鞄マジック・バックじゃないか。どこからそんなものを持ち出した?」


「料理を運ぶのにちょっと借りた」


 空間魔法付与鞄マジックパックは、土中蟲アースワームの胃の特殊部位を使った魔道具で、小さな袋に大容量を納めることが出来る。高価なアイテムだから、コーレイン家でも宝物庫に大切にしまってあるのだが……。


 レオは鞄から、様々に盛り付けられた料理を皿ごと取り出した。

 ポッポ鳥の姿焼き、ブラックホーンのミートパイ、白身魚のフライ、ふかひれスープにサラダ、チーズの盛り合わせ、花の形にカットされた果物、野苺のアイスクリーム、上等のワイン……。


 テーブルに次から次へと、ぎっしり並べられていく豪勢な料理の数に、エステルは仰天した。


 じゅうじゅうと音がしそうな程、出来立ての熱々の料理を前に、口の中に唾が出て来るが……。


「待て。これは宴の客に出す料理じゃないか。まさか勝手に持って来たのか?」


「いや、大丈夫だ」


 今日は、次期当主と婿のお披露目も兼ねた披露宴だ。

 離れにも御馳走を気前よく分けてくれたのだろうか、とエステルは納得した。


「……だけどこんなにたくさん、ひとりではとても食べ切れないな」


「僕も手伝うよ」


「えっ? レオは、これを食べられるのか?」


黒魔牛ブラックホーンの肉は魔力も含んているから、活力エネルギーに変換できるし」


 そういうことならと、エステルはレオと共に夕食を共にする。


 レオはポッポ鳥の丸焼きを器用にナイフで切り分け、柔らかい胸肉のところをエステルの取り皿に並べていく。


「その、お酒も飲めるか?」


「飲める」


「じゃあ、乾杯しよう」


 二人はワインを注いだゴブレットを、カチンと合わせた。


「エステルと僕の未来に」


「ふふ、気障なことを言うなぁ」


 エステルは、レオと上等のワインと御馳走を、堪能する。


 最近はレオと剣の稽古を始めたせいか、食事が進む。

 誰かと食事をするのは久しぶりで、楽しい。少しずつ色んな料理を、ゆっくり味わって食べた。


 給仕をしながら、人間のように飲み食いしているレオを見ていると、とても人形ドールとは思えなかった。その洗練された動作に、見惚れてしまうほど。


「……ああ、とても美味しい。食事が美味しく食べれるというのは、本当に幸せなことだな」


「全くその通りだね」


 空になったゴブレットに、レオがおかわりのワインを注ごうとするのをエステルは止めた。


「いや、もうやめておく。酔ってしまうから」


「そうか。じゃあこのくらいにしておこう」


 食器を片づけ始めるレオに、何故か気が引けてしまうエステル。


「すまないが、その食器は洗ってから厨房に返して欲しい」


 だからつい、レオ人形相手にすまないなどと口にしてしまう。



 やがて日が山脈に沈み、夜の帳が訪れると楽団の演奏が風に乗って聞こえ始める。

 母屋からカドリールの曲が流れて来た。

 宴もたけなわ、人々はダンスに興じているのだろう。


「一曲、踊っていただけますか」


 レオが優雅にお辞儀をして、エステルの手を取った。


「こんな男みたいな格好だし……」


 男装の服を気にするエステルの言葉の途中で、椅子から立ち上がらせるとその腰を抱いた。


「雰囲気だけでも。リハビリにもなるし」


 音楽に合わせてレオが、ゆっくりとステップを踏む。エステルはレオの背中に手を回した。



 エステルは、レオとの夕べの時を心から楽しみながら、事故に遭ってから今までのことが、走馬灯のように心によぎった。


 レオがエステルの元に来ることになった暴発事故を起こした姫様、親身に世話をしてくれた乳母や、ホワイトウィローを遠方まで取りに行ってくれたシェルト……。


 シェルトのことは妹のアリアネのこともあって、気まずいものになってしまったが、いつか時間が解決してくれるだろうと思うことにした。


「レオが居てくれて、良かった。ありがとう」


 腕の中のエステルに微笑みかけられ、レオのクリスタルの瞳が虹色に煌めく。


 今夜ひとりで離れに居たとしたら、さぞかし惨めで寂しかったことだろうとエステルは思うのだった。


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