第9話 蜜月に落ちる波紋
夜の帳が降りてシンと静まり返ったこの就寝前のひと時が、エステルはただ待ち遠しく愛おしかった。
お日様の匂いがするリネンと上掛けの間に手を伸ばして、レオに触れるとすかさず抱き寄せられ、しっかりと懐に入れるように彼の腕の中に包み込まれた。
レオにぴったりと肌を寄せて、その暖かさ、心地よさに思わず吐息をこぼした。
初めてレオを受け入れてから、当たり前のように毎夜、寝台を共にするようになった。
「声、我慢しないで。心配しなくてもいい。この部屋の物音は外には聞こえない」
そうは言ってもエステルは、屋根裏部屋のメリッサのこともだけれど、あれから幾夜過ごしても、まだレオに対して羞恥心は消えていないのだ。
「だって。私ばかり……」
レオの愛し方は、一片の性急さも荒々しさもなく、過度に焦らしたりもしない。
エステルは、ゆっくりとレオによって高められていく。
滞っていた魔力が身体中に循環し始め、やがてめくるめく時が過ぎ去って、身体が離れる時の喪失感。
エステルは思う。
終始冷静に見えるレオは、あくまでエステルを癒すための行為として、淡々と事を運んでいるのだと。
「……僕が生身の男なら、君ばかりじゃないよ、と証明できるのにね」
レオの言葉に目を見張る。
心と身体を揺さぶる嵐が過ぎ去ったばかりの、倦怠感が吹き飛ぶ。
「僕もこれを楽しんでいると言ったら、どう思う?」
レオはからかうように、エステルに微笑みかけた。
「それは……レオ、全く不謹慎だよ」
二人して目を合わせると、クスクスと笑い出す。そのまま収まらずに、ついにベッドの上で笑い転げた。
――じゃあ、私だけではなかったのだ。
エステルはとても幸せだった。
「姫さまに、お願いしようと思う。レオとずっと居られるように。まずは近衛騎士に復帰して、功績を立てて……」
◆◇
虫たちの涼やかな声に早くも秋の訪れを感じられる頃、離れの庭先ではカーン、カーンと乾いた打撃音が響く。
エステルとレオは、木剣で剣術の稽古をしていた。
レオの剣技は正統派、教科書のような太刀筋だった。
実戦ではもっと汚い……絡め手を使った戦い方になるが、エステルにはレオの剣筋が好ましく感じられた。
王族の護衛を任される近衛騎士団は、名家出身の騎士で構成されており、他の王国騎士団からはお上品と揶揄されるが、基礎はしっかりしている。
その彼らと比べても、レオの剣術はまあまあいけるんじゃないかとエステルは思った。
「大分、身体も戻ったようだな」
そんな二人の前にやって来たのは、シェルト・ディレン。
エステルと同じ近衛騎士団所属の元許嫁だ。
突然声を掛けられて、レオとエステルは木剣を降ろした。
「シェルト。久しぶりだな」
エステルは乾いた布で汗を拭いながら、元許嫁に顔を向けた。
「慣れない手紙を書いて送ったが返事がないし、こうして直接話した方が早いと思って」
「――手紙?」
「ああ。俺達のことについて、話し合いたくて」
怪訝な顔をしているエステルを見て、シェルトは頷いた。
「君が元気になってくれて、嬉しいよ」
エステルの肩に、シェルトのガッチリとした手が置かれた。
「話しなら、両家の間でもう済んでいるだろう?」
長身のシェルトを、エステルは困惑した表情で見上げた。
「私達の婚約は、もともと家同士で決められたものだ。ディレン家の三男のシェルトが、コーレイン家に婿入りする話ありきで始まった話だ。後継が私からアリアネに決まった以上、妹と結婚するのは当然の流れで……」
「エステル! 君は、それでいいのか? あの事故の傷も癒えているというのに」
「当主が決められたことだ。それに私の身体は、まだ本調子という訳では……」
「とにかく、立ち話もなんだし、そのベンチで座って話そう」
庭先の木陰のベンチを指して、シェルトはエステルの手を取った。
二人の後をレオもついて行く。
木陰に置かれた椅子に二人が腰かけると、レオはエステルの斜め後ろに立った。
エステルは、今更なんの話し合いだ、とシェルトが押しかけて来たことに戸惑い、迷惑にも感じていた。
だが、妹のアリアネと結婚すれば、シェルトとはこれから家族付き合いをして行かなければならない。
お互いわだかまりのないようにしておく必要もあるだろうと、心を決めた。
「勘違いのないように言っておくが、私はコーレイン家の継承について、父の……当主の決定に不満はない。むしろ、肩の荷が下りて、ほっとしているくらいだ」
「……エステル」
「だから、シェルトはアリアネと協力して、コーレイン家を盛り立ててくれ。私は、陰ながらこの家の力になれるよう努力するつもりだ」
「……そうか、エステルの気持ちは分かった。君が望むなら、俺も覚悟を決める。だが、俺の気持ちは変わらないと、知っていて欲しい」
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