第4話 秘密



 翌朝、小鳥のさえずる中、エステルは目を醒ました。


 隣を見れば精巧な美の造形、レオが目を瞑って寝ている。

 聞けば、人形(ドール)も機能を小停止スリープするのだという。


 昨夜は快復するために、純潔と引き換えにしてレオに抱かれた。

 その行為をすることによって、エステルの中に淀む聖種の魔力を溶かすことが出来るとレオが言ったから。


 誰かと身体をひとつに繋げるという事は、なんて無防備で身も心もさらけ出されるような、親密な行為なのだろうとエステルは思った。


 レオは何も知らないエステルを優しく導き、様々なことを教えた。

 覚悟していたような痛みは、不思議なことになかった。

 その時のあれこれを詳細に思い出して、羞恥に顔を赤く染める。


 エステルは行為後の、自分の身体の変化を確かめなければと思ったけれど、それよりも今はこうしてレオを見つめていたかった。

 サラサラの白髪が頬にかかり、長い睫毛が頬に影を落としている、美しいレオを。


 その髪にそっと手を伸ばして触れると、レオの瞼がゆっくりと開いた。


「おはよう、エステル」


 男とも女ともつかない声が、耳に心地よく響く。


「身体の具合はどう?」


「まだ、レオが……」


 昨夜の秘め事による身体の違和感を言おうとして、慌てて口をつぐんだ。

 レオが聞いているのは、そういうことではないと気づいたから。


 改めて自分の身体を意識する。事故の前までは、血液のように体内を循環していた魔力。それがあの事故から、エステルの身体のあちこちでオリのように滞って、様々な身体の不調の原因になっていた。


 やはりというか、レオの言った通り、滞っていた魔力が新しく活性化されてエステルの体内を巡り始めているようだ。確かに息苦しさや、重苦しさが軽減している。


「身体が、軽くなったような。楽になっている」


「そう、良かった」


 安堵のあまり涙を零すエステルを、レオはそっと唇を寄せてその雫を舐め取った。


 洗面と着替えが済むと、エステルはレオに手を貸してもらって、ベッドから立ち上がって見た。

 以前のように足に激痛が走ったりもせず、ただ筋肉の衰えだけを感じた。


「これから少しずつ、歩く練習をする。手伝って欲しい」


「もちろん、そのために僕はここに居る」


「それから――昨夜のことは、誰にも言わないでくれ」


 エステルは人形(ドール)に口留めなんて、とためらいつつも口にした。


「僕とエステルだけの、秘め事だね」


 微笑するレオに、エステルはドキッとした。もう彼がただの人形(ドール)だなんて、エステルには思えない。



◆◇



 レオがエステルの元に来てから一ヵ月後、王家からお抱えの医師と錬金術師がコーレイン家に派遣された。

 名目は、エステルの診察と魔道式機械人形(アーティファクト・ドール)の調整だ。


「歩行訓練を始められましたか」


「まだ室内で、少しずつですが」


 医師はエステルの脈拍を計り、魔道具のペンライトで目にささっと光を当て瞳孔測定をした。

 順調に回復している様子のエステルに頷いて見せた。


「人形(ドール)の魔力供給は、朝夕決められた時間に実施している、と」


 羽ペンでカルテに記入している医師の傍らで、錬金術師は、レオの身体を点検していた。


「人形(ドール)は問題ナシ。他に何か気づいたことや、これまでに変わったことはなかったかい?」


「特にありません」


 エステルは錬金術師から視線を逸らした。


「エステル殿。これは仮説なんだが、この人形(ドール)は自らの意志で動くものオートマタかもしれないんだ」


「……レオが自らの意志で動くものオートマタ?」


「まあ信じられないかもしれない。もしなにかあれば、些細なことでも俺達に知らせてくれ。人形(ドール)を用いた魔力循環障害の治療は、六十年前の英雄とエステル殿の二例しかないんでな。こちらとしても、色々と分からない事ばかり、エステル殿の協力が必要なんだ」



 医師たちが帰ると、レオはエステルに「庭に出てみようか」と誘った。


 このようにエステルが口にしなくても、外の空気に当たりたいという気持ちを汲んでくれるレオ。

 これが自らの意志で動くものオートマタの印なんだろうか、とエステルは考える。


 華奢に見えるレオが軽々とエステルを抱き上げると、庭の東屋まで連れ出しベンチに腰掛けさせた。


 早咲きの薔薇の香りを深く吸い込み、ほう、と息をつくとエステルは肩に掛けられたショールを直し、レオを見上げた。


「君には、心があるのだろうか?」


「僕の本質について、語ることは許されていない」


「それはつまり、ただの人形(ドール)ではないということじゃないか。いったい君は、何を望んでいるの?」


 エステルの問いには答えず、レオは目を閉じた。

 人形(ドール)のレオに望みは、と聞いた自分が滑稽に思えて、エステルは口をつぐむ。


 久しぶりに部屋の外の空気を吸い、庭木の緑に癒されたエステルはうららかな春の陽気につい、うとうとと眠りに誘われた。

 だからここから先は、うたた寝をしているエステルの見た夢なのだろうと、後から思い返す。


 木陰から漆黒の蛇が東屋へと、音もなく忍び寄る。

 闇色の蛇は、スルスルとレオの足元まで来ると、その足をらせん状に絡みつかせながら登って行く。

 肩まで到達すると鎌首を持ち上げ、耳元でシューシューと二つに割れた舌を出してささやいた。


「我が主、お探し申し上げておりました。ようやく、あなた様の痕跡を見つけ、辿ることが出来ました」


「ヨルムンガルドか。お前も無事でなにより」


「はい。オーディーンにアースガルズの海峡から、このミズガルズの海に落とされましたが、何のこれしき。ですが、我が主に置かれましては、そのような人形に封じられたお姿、なんとおいたわしい――」


「よい。これでも以前よりはましになっている。そして僕にもお前にも、この呪いはどうすることもできない。お前は自分の成すべきことをせよ」


「承知しております……しかし再会出来たからには、もうお側を離れません」


「待て――誰か人が来る。もう行け」


「はい」


 蛇はまた、スルスルとレオの身体を降りると、陰の中に消えていった。



「……お嬢さま? こんなところでうたた寝をなさると、お風邪を召しますよ」


 乳母のヒルデがやって来て、エステルの肩をゆすり、起こした。


「ヒルデ……? ここに、誰か他に居たか?」


「いいえ、私だけにございます。さあ、もうお部屋に戻りましょう――」



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