第2話 裏切り

 

 

「今日はシェルト・ディレンさまが、お見舞いにいらっしゃる日でしたね」


 乳母のヒルデは、背中にクッションを当て上体を起こしているエステルの波打つ金髪を櫛で梳かし、サイドを編み込みにして緩い三つ編みを胸に垂らすようにした。エステルの瞳と同じスカイブルーのリボンで結ぶと「これでよろしいでしょうか?」と手鏡で仕上がりを見せる。


 エステルは鏡に映る、顔色が悪く痩せた自分を見て、ため息をついた。


 シェルト・ディレンは、父が決めたエステルの婚約者だ。エステルと同じ近衛騎士で、事故が無ければ近く結婚して、コーレイン家に婿入りすることになっていた。


「薄化粧をいたしましょう、お嬢さま」


「……そうだな。こんな顔色の悪い病人は、シェルトも嫌になるだろう」


「そんな……お嬢さまは、お美しいですよ。ほんの少し、紅を指してほら、こうして。どうですか、お嬢さま?」


 ヒルデが目の下のくまを隠し、唇に桜色の紅を指すと見違えて、病的な顔が儚げな美女に変わる。


「ありがとう、ヒルデ」


 微笑んだエステルを見て、ヒルデもほっとして安堵の笑みを浮かべる。


「横になって、休まれますか?」


「いや……もう少し、こうして窓の外を眺めていたい」


 窓の外は、うららかな日差しに小鳥が舞いさえずり、庭木にはマグノリアの花が咲き馥郁ふくいくとした芳香が漂っていた。


 エステルの部屋は領主館の二階にあり、正面の門がよく見える。その門から、栗毛の馬に乗った精悍な若い騎士が入って来た。赤褐色の短髪に青の騎士服、シェルトだ。

 花が咲くようにエステルの表情が輝く。日がな一日、病床にあっては退屈してしまうし、婚約者の訪れはいっそう嬉しかった。


 シェルトは門番に軽く挨拶をして、マントを翻し馬から軽々と飛び降りると、走ってやって来た馬丁に愛馬を預ける。馬は厩舎へ連れて行かれ、シェルトはきびきびとした軍人らしい足取りで、正面玄関へと向かう。


 乳母のヒルデは、客人をもてなすための、茶の準備などを厨房に頼みに行った。


 部屋の隅に立っている人形レオに、エステルは声を掛ける。


「レオ、立っていると疲れ……疲れないかもしれないが、座ったらどうだ」


 するとレオは、腰掛けスツールを持って来て座った。


 ヒルデと入れ替わりに、エステルの兄ヘルブラントがシェルトを連れてエステルの元にやって来た。

 ヘルブラントはコーレイン家の執事をしている。このミズガルズの人々は、騎士家から生まれても魔力を持たなければ、平民の身分となる。兄は家を出て商人や職人、農民になることも出来たが、使用人としてコーレイン家を支える立場を選んだ。


「……お嬢さま、シェルト・ディレン様がお見舞いにいらっしゃいました」

 

 兄に案内されてエステルの部屋に入ったシェルトは、大柄な体躯の若さと活力にあふれた青年だ。彼が部屋に入ってくると、エステルは自室が一回り小さくなったように感じた。


「やあ、エステル。直ぐに来れず、済まなかった。事故に巻き込まれたと聞いて、こちらに駆け付けた来た時は、まだ君の意識が戻ってなかったから、会えなくて」


「私の方こそ、結婚式の日取りを延期することになって――悪かった」


「いや、気にしなくていい。それより今日は、これを持って来た」


 彼女のベッド脇に用意された椅子に腰かけ、鞄からちいさな木箱を取り出した。


 なんだろうと、受け取り蓋を開けると、水薬の入った小瓶がびっしりと並べられている。


「アイセル湿地地帯に行って、ホワイトウィローを採取して来た。この樹の新鮮な樹皮から、副作用もなく鎮痛に優れた薬を得られると聞いて。それがそのホワイトウィローの水薬だ」


「あんな遠くまで、私の為に……? シェルトから音沙汰ないと両親が案じていたが、そういうことだったのか」


「はは、それは俺が手紙を出さなかったのが、悪かった」


 ポリポリと頭を指で掻いて、しまった、という顔をするシェルト。


 エステルのスカイブルーの瞳が、見る見る潤んでいく。


 その涙を見て慌てたシェルトは「痛むのか? 早く薬を」と小瓶のコルクを抜いて、水薬を飲むように勧めた。


「ああ、飲みやすい水薬だな。アイセルは途中で危険な魔物が出現する峠もあるのに……」


「なに、愛馬といい遠乗りになった。採取したホワイトウィローは腕のいい薬師に渡して、ここに届けさせるように手配してある。足りなくなったらまた取りに行くから、気にせず飲んでくれ」


「シェルト。ありがとう、本当に」


「俺は何があっても、お前を見捨てたりはしない。だから、早く良くなってくれ」


 胸が一杯になり、黙ってこくり、と頷くエステル。

 


 そこにエステルの妹アリアネが、使用人にワゴンを押させてやって来た。

 アリアネは栗色の髪に藍色のつぶらな瞳が愛らしい娘だ。


「お姉さま、ブラックホーンのシチューです。シェルト様がブラックホーンのお肉を持って来て下さったので作りました」


 はっと驚いて、エステルがシェルトを見る。ブラックホーンのシチューは、エステルの好物だった。

 そしてブラックホーンの肉は、最高級食材と珍重されているが、危険な魔物なので市場に出回ってはいない。


「旅の終わりに遭遇して、仕留めた。運が良かったな」


 照れた様子でシェルトが説明する。


 使用人がワゴンで運んだ鍋から、熱々のシチューをレードルでスープ皿によそった。

 シェルトと兄妹、乳母らに見守る中、エステルは柔らかく煮込まれたシチューをスプーンで掬って口に入れた。


「――美味しい」


 口内炎にシチューが沁みたが、柔らかく煮込まれた肉が口の中でほどけてコクのある旨味が広がる。

 これまでの人生の中で、一番美味しく感じられて勧められるまま、お代わりまでした。


 エステルは、この場に居る人々の自分を案じる思いが、ただただ有難かった。


 そして、久しぶりにまともな食事を取るエステルの姿を、部屋の隅で見ていた乳母は静かに涙を拭った。


 帰りがけに、シェルトは部屋の隅のスツールに座っているレオの前に立った。


「これが魔道式機械人形(アーティファクト・ドール)か。へえ、よくできた人形だな」


 先ほどからレオは、瞬き一つせずじっとしていた。だが、シェルトがレオに手を伸ばすと、すっと避けるように動いた。


 シェルト達が部屋から去ると、エステルは窓から帰りを見送ろうと視線を外へ移す。すると、シェルトと妹のアリアネが、ふたりで庭園をゆっくり歩いているのが見えた。


 何故? とエステルは眉を寄せた。


「何を話しているか、知りたい?」


 いつの間に近づいていたのかレオが、耳元でささやく。


「え?」


 驚いてエステルが振り返ると、レオは二人をじっと見つめてしゃべり始めた。


『可哀想なお姉さまは、もう回復する見込みはないのですわ』


『それは本当か、アリアネ』


『本当です。お父さまは、お姉さまを廃嫡して家督を私に継がせるとおっしゃいました』


『当主に確認しなければ』


『お父さまはシェイドさまとお姉さまの婚約を破棄して、私と結婚して欲しいとお願いするそうです』


『アリアネと?!』


『どうかお父さまに、私との結婚を了承するとおっしゃってください。お慕いしています、シェイドさま』



 エステルは木陰で抱き合う二人から視線を外し、目を瞑って「もう、いい」と呟いた。


 ふう、と溜息をつくと「疲れた。横になりたい」とレオに頼む。


 レオはエステルを寝かせ、上掛けを引き上げた。


「少し眠る。しばらく一人にして。誰もこの部屋に入れないで欲しい」


 沈み込むエステルに、レオは静かに付き添う。


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