失意の女騎士と囚われの君

雪月華

第1話 この口づけは魔力を渡すため


 ムーレンハルトの王都から馬で半日ほどの距離にある渓谷では、魔物モンスターとの戦いによる強烈な鉄錆の血生臭いが辺り一面に立ち込めていた。


 近衛騎士団に囲まれた竜頭のトカゲ型巨大魔物モンスタームシュフィシュは、力なく大地に倒れ伏し大量の血を流している。


 女だてらに近衛騎士であり、王家の姫君の隣に立ち守護しているのは、スカイブルーの凛々しい瞳に波打つ金髪を後ろ一つにまとめたエステル・コーレインだ。


「さあ、トドメを、姫様!」


 フェリシア姫は初陣に緊張して、震えながら動かなくなった巨躯の魔物モンスターを見つめている。


 ミズガルズの国々では伝統的に、王侯貴族の子女が成人を迎えるにあたり、モンスターを討伐して神殿に供える儀式を行う。

 ……とはいえ、すでに形骸化しつつあるこの儀式は、この度も騎士達がムシュフシュと戦い、最後のトドメだけを姫が刺すという手筈になっているのだった。


「大丈夫です、姫様。訓練の通り、光の矢ライト・アローの呪文を唱えて下さい」


 エステルに再度促されると、緋色の軍衣に身を包みストロベリィ・ブロンドをツインテールにした姫は、真剣な面持ちで頷いた。


「聖なる光の神へイムダルよ、あなたの血の末裔である私に、その尊き御力をお貸しください。光は天より射す、その光は――」


 姫が詠唱を始めると、長い髪がはためき、華奢な肢体が青白い光に包まれる。フェリシアは手順通りに魔力を練ってその白い両手に集めていく。


 するとその時――力尽きたはずのムシュフシュが首だけを持ち上げ、長く鋭い舌をひゅんっと稲妻のように突出させた!


「あぶないっ、姫様!」


 魔物の最後の力を振り絞った一撃が、詠唱中の無防備な姫へと向けられる。


 エステルはアダマンタイトの剣を一閃し、モンスターの舌を叩き切った。

 切り落とされ鮮血に塗れた肉塊が、二人の足元で蛇のようにのたくりまわる。


「ああっ、きゃああぁぁぁっ」

「……! 姫様、どうか落ち着ついてっ。詠唱を続けて下さい!」


 動揺したフェリシアは、呪文の詠唱中に集中を途切れさせたことで、集めた魔力を制御できなくなる。


「ああっ! 魔力が、暴発しちゃうっ……! みんな、私から逃げてぇ――――!!」

「魔力制御を、諦めてはなりませんっ」

「だめ、エステル、む、無理――いやぁぁぁあああああっ」

「ひ、ひめ――あぶないっ」


 辺り一面が閃光によって、真っ白になる。

 姫を中心に爆風が起こり、エステルの身体は甲冑を身に着けているのにもかかわらず、木の葉のように空に舞い上がった……。



◆◇



「うわぁあああ――――っ」


「……エステル、エステル!」


「――あ、ああ。夢、か」


 目覚めると、陽の光が燦々と窓から射し込む部屋の天蓋ベッドにエステルは寝ていた。


 ここはコーレイン家領主館、エステルの自室だ。あの事故から三ヶ月ほど経ったが、未だにこうして夢に見てうなされていた。

 汗をかき、悪夢の影響で心臓が激しく鼓動を打つ。


「おはよう、エステル。朝の清拭だ」


 そのエステルを上から覗いているのは、コーレイン家の従僕のお着せ――白シャツの上に黒のウエストコート、下も黒ズボン――姿の魔道式機械人形アーティファクト・ドールだ。


 ショートカットにされた白い髪に、光の反射によって様々な色に変わるクリスタルの瞳を持つ古代遺物ドールは、はるか昔、王都にある神殿地下の遺跡から発掘されたという。


 その古代遺物ドールがこの度、エステルの為に特別に貸し出されることになった。

 フェリシア姫の魔力暴発が原因で、寝たきりになってしまったエステルに王家が配慮したのだ。


「おはよう。よろしく、頼む」


 人形ドールは関節が球体の手で、お湯を入れた桶に柔らかい布を入れて固く絞ると、エステルの顔を拭いていく。

 長い白の睫毛が瞳に影を落とすと光の加減か偶然に、そのクリスタルが病人と同じスカイブルーの色に変化した。


「……本当に君は綺麗な顔をしている。まるで神殿の壁画に描かれている神々のようだ。瞳は虹色に変わるのだな」


 彼は清拭を再びお湯につけて絞ると、エステルの寝間着の前を結んでいたリボンをしゅるりと解いた。今度は身体を拭くために。

 肌を見せることにエステルは恥ずかしさを感じたけれど、人形ドールなのだから、と思い返して目をそらした。


「そう言えば、君の名前を聞かなかった。王家の使者が、私の前には百年戦争を終わらせた英雄に貸し出されていたと言っていたが。彼は君のことを何て呼んだのか」


 エステルは気まずさを紛らわすため、人形ドールに質問してみた。


「六十年前になるけど、将軍は自分の幼くして亡くなった息子の名前で僕を呼んでいた。彼も今は故人だ。エステルは好きに呼べばいい」


 六十年前のことを、つい最近のように語る人形ドールの見た目は少年と青年の中間あたりだ。


 ほっそりとした十代後半くらいの容姿の彼は、いったい、どれほどの時を過ごして来たのだろう。


「なら、レオと呼んでいいか。子供の頃、飼っていたポニーの名前なんだけど」


 人形ドールのサラサラの白い髪が、エステルが幼いころよく遊んだポニーのテールを思い出させたのだ。


「レオ――了解」


「ふふ。仲良くしてくれ、レオ」


「ああ、分かった」


 レオは清拭が終わると、エステルを着脱が楽な部屋着に着替えさせた。


「エステル、朝の魔力供給を」


「……」


 完全無欠のレオの精巧な顔が近づき、エステルの唇にレオの唇が重なった。

 エステルの頬がほんのり桜色に染まる。


 これは恋人同士の口づけではない。体内にある魔力核をエネルギー供給源にしているレオに、魔力を渡すための行為だ、とエステルは自分に言い聞かせる。


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