第139話 カサン語大会 2

「アディ!」

 テルミは大きな糞尿袋を抱えて自分の前を歩いているクラスメイトに声をかけた。アディが立ち止まり、振り返った。テルミは駆け足でアディに追いついた。

「これから戻るの?」

「うん」

 二人は並んで歩き出した。

「ハーラは最近どう?」

「うん。まあ」

 アディはそう言って口元に少し笑みを浮かべた。

(ああ、これ以上聞かない方がいいな)

テルミは思った。アディはメメのように無口でぶっきらぼうじゃないけど、そんにお喋りじゃない。大事な事……例えば今朝ハーラが自分に微笑みかけたとか、言葉を交わしたとか、そういう事は胸にそっとしまっておきたい方なのだ。テルミは話題を変えた。

「おら、今日はカランサネンさんのとこ行ってたの」

「へえ、昨日汲み取りに行ったんだけど、窓にお産の時の魔除けの人形が置いてあったから、そろそろかなって思ってた」

「可愛い女の赤ちゃんだったよ。おらが一人で取り上げたんだ」

「へえ、そりゃすごい」

「急だったんだ。ちょうどその時母ちゃんと二人でパーシャインジャンさんとこに行ってたんだけど、急にカランサネンさんとこで産気付いたって知らせが来て、おら一人で走って行ったんだ。初めてでちょっと怖かったけど、お産の時に母親に取りつく妖怪もすぐに退散したよ。でもね、カランサネンさんの所、これから大忙しだよ。赤ちゃんが生まれたし、一番上の息子さんは今度カサン語大会に出るって大騒ぎだった。おらも大会に出ることは内緒にしてた。会場でおらを見たらあの家の人達、びっくりするかな。フフフフ」

「へえー」

 アディは、なぜみんながそんなに騒いでいるのか、今一つ理解が出来ない、というふうに首をかしげた。

「それでね、オモ先生が言ってた。もし大会ですごくいい成績だったら、上の学校に行く奨学金がもらえるかもしれないんだって!  まあ、おらはとても無理だけど」

「へえー、それでダビはあんなに必死になってんだな。でも、上の学校に行って何かいい事あるのかい?」

「そりゃあ、色々役に立つ事教えてもらえるから」

「本当に? でもおら達の仕事にゃ別に役にたたないだろ?」

「役に立ってるよ。ヒサリ先生に教わったことも。ヒサリ先生にもらった本に書いてあるようにしたら、お産の妖怪も早くいなくなって、赤ちゃんも母親も元気になるんだ。だからおらも行けるもんなら上の学校に行きたいなあ」

「へえ!」

 アディは驚いた。

「それだけじゃないよ。この大会で優勝するってすごい名誉なんだって」

「オモ先生、やたら名誉名誉って言うけど、そんなにありがたいものかなあ」

「おらもよく分かんない。でも、なんかいい気味って感じがしない? おら達の事バカにしてる人達をカサン語で負かすことが出来たら」

「まあ、そうだね」

 二人はそんな会話を交わしながら歩いた。

 その時、道の向こう側から二人の立派な身なりの少年が近付いて来るのが見えた。村長の子エルメライと役人の子サンであった。テルミとアディはサッと道の脇に避けた。エルメライとサンは歩きながらカサン語の詩を口ずさんでいた。しかしサンは少し口ずさむとすぐにつっかえ、エルメライがその続きを言う。そんな事を繰り返している。二人がテルミとアディの目の前を通り過ぎようとした。その時、エルメライが急に立ち止まり、横を向き、そして自分に道を譲った二人の少年に対し、尊大な口調で言った。

「お前たちの学校もカサン語大会に出るんだろう? 一体誰が出るんだ」

 テルミとアディは顔を見合わせた。村長様の息子からいきなり声をかけられるなんて、思ってもみなかったのだ。テルミは一瞬ためらった後、

「ダビと、トンニと私です」

 すぐにサンがバカにするように鼻を鳴らした。エルメライは続けて言った。

「お前らの学校に、ダビよりカサン語の出来る奴がいるって噂は本当か?」

 テルミもアディも返事に窮したまま相手の顔を見詰めていたが、やがてテルミが言った。

「はい。でも今度の大会には出ません」

「それはそいつがイボイボ病だからか?」

「…………」

 テルミとアディがそれ以上口がきけないまま立ち尽くしていると、エルメライは軽く鼻を鳴らしてそのまま歩き出した。

 二人の姿がすっかり見えなくなってから、テルミはそっとアディに向かって言った。

「ああ、嫌だ嫌だ! あの二人が詩を読むと、まるで悪い妖怪のうんこを踏んだみたいだ! マルが詩を読むときれいな鳥が空を羽ばたいてるみたいなのに!」

「そうだな! 月と石ころ位違う!」

 テルミとアディはそう言って顔を見合わせて笑った。


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