第84話 祈祷師の子カッシ 8
北からやって来た物乞いのおじいさんは、たくさんの歌物語をマルに教えてくれた後、再び北に向かって旅立って行った。
残念ながら、あの可哀想なヤーシーン王子の話は途中までしか教えてもらえなかった。周りの人々の陰謀によって王宮を追われ、森をさすらうことになってしまった王子様は一体どうなったんだろう? 森の中には人間を食う恐ろしい妖怪もいる。王子様は可哀想に独りぼっち。ナティみたいな子がそばにいれば、そんな恐ろしい妖怪から身を守ることが出来るのに……。マルは再びおじいさんがやってきて、ヤーシーン王子の話をしてくれる事を願った。
一方で、様々な妖怪達……川や木々に棲む妖怪達の声は以前にも増してマルの耳に聞こえるようになった。マルはそれらの語る中からヒサリ先生の喜んでくれそうな語を選んでせっせと書いたがとても書ききれるものではなかった。それを書き表すためのカサン語が分からず思い悩む事が増えた。そんな時、本やラジオからぴったりの言葉を見付けた時は、それこそ心に羽根が付いたような気分だった。そして毎晩のようにヒサリ先生の所におみやげを持って行った。先生は相変わらず厳しい顔で字の汚さや紛らわしさを指摘した。しかし内容については決して「こんな事を書いてはいけない」とは言わなかった。それどころか、「これは一体どういうことなの?」「ここはもう少し詳しく書いてごらんなさい」などと言ってくれた。
(先生はおらのおみやげを喜んでくれている!)
マルははっきりとそう感じた。そう思うと静かな喜びが体に満ちてくる。しかしそれでもマルには満足出来なかった。
(一体どれだけ頑張ったら、先生はあの時みたいにおらを抱いてくれるんだろう…)
いや、あの時先生がおらを抱いてくれたのは夢ではないのか。先生がこんな醜い体を抱いてくれるもんか……。こんな思いが過る度に、マルは絶望にかられた。
(ああ、こんな醜いイボさえ無ければ!)
マルはある夜、そんな思いが抑え切れなくなり、めちゃめちゃに自分の体を叩いた。
「ねえねえ、あんた何してんのよ?」
不意に、スヴァリの声が聞こえた。
「何でもないよ」
こんな時、いつもちょっかいを出してくるのがスヴァリだ。
「分かったわ! あんた、そのイボが無かったらあの意地悪女に気に入られると思ってるんでしょう!」
「…………」
スヴァリはいつだって、腹立たしい位マルの考えてる事が分かるのだ。
「あたしにはね、実はあんたのイボイボの下の顔が見えるのよ。フフフフ」
「え!」
「死んだら見えるようになったのよ」
「お、おらの顔、どんな風に見える!?」
「あーら、自分があの意地悪女に気に入られるような美男子かどうか知りたいんでしょ。ぜーんぜん!」
「そうじゃなくて、おらの肌は何色? おらはアマン人に見える? それともピッポニア人に見える?」
「さあ、どうかしら!」
「ねえ教えて、教えてよ!」
しかしスヴァリは肝心な事は教えてくれないままに黙ってしまった。マルはしばらくグッタリと下を向いていた。どこか、真実を聞かされなくてよかったという気持ちもあった。
マルはやがて紙を引き寄せ、心に浮かぶ物語を綴り始めた。結局こうすることによってしか、自分の暴れ回るような心を静める事は出来ないのだ。ヒサリ先生からあれ程夜更かしはいけない、規則正しい生活習慣が大切と言われているにもかかわらず、カサン語の本を読んだりラジオを聞いたり心に浮かぶ物語を紙に書き付けているうちにあっという間に夜が更けてしまうのだった。バダルカタイ先生の宿題であるアマン語の作文も書くけれども、どういうわけかカサン語で書く時の方がすらすらと言葉が浮かんでくる。マルはその事が自分でも不思議だった、自分はカサン語よりもアマン語の言葉の方をたくさん知っているのに……。そしてマルは作文を書きながら時折、ヒサリ先生がマルの手に自分の手を添え、カサン文字を書く練習をしてくれた事を思い出した。その度に「自分の右手がカッと燃え上がり、手を覆ったイボが飛び散るように感じた。興奮に浮き立つ手をもう片方の手で押さえつつ、マルは明かりが尽きるまで作文を書くのだった。
夜更かしのツケは翌日の昼間にやって来る。マルはたびたび猛烈な眠気に襲われた。不思議なことに、「カサン語」や「文学」や「歌」の時間はちっとも眠くならない。しかしヒサリ先生が一番大切だと言う「カサン帝国の精神」の時間になると、いつも最高強度の眠気が襲って来るのだ。
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