第46話 バダルカタイ先生 1
カサン帝国が滞り無く平和にアジェンナを統治するにあたって、この度の洪水から混乱が生じるような事態は何としても避けなければならなかった。混乱のある場所には必ず誤った情報や風説が流れる。それが反カサン感情が爆発する火種にならないとも限らなかったし、その事をカサン帝国側は十分に理解しているはずだった。流された橋はカサン軍によってただちに架け直された。森の際地区から対岸に流された妖人達のための避難所はほどなく閉鎖され、そこに収容されていた人々は速やかに森の際地区に戻された。しかしかろうじて命をとりとめた人々も、再び元の川べりに、川岸に打ち寄せられた木を組んで住むより他無かった。
ヒサリは、橋が架かるとただちに森の際地区に渡り、折れた流木がたくさん転がる危険な川べりを歩き回ってマルを探した。ヒサリはその間も、きわめて不潔な環境の中で生活する人々の様子や鋭い流木の破片で怪我をしたらしい子どもが泣き声を上げる様子、さっそく蔓延し始めた伝染病で呻き声を上げる人々の姿を目の当たりにし、胸がつぶれる思いだった。そして少しでも正気を保った、話の出来そうな人に、マルという名のイボだらけの子を見なかったかと尋ねた、聞かれた者は一様に、「なぜそんな事を聞くのだろう?」というような怪訝な目をして見せたが、この国の者らしく控え目な落ち着いた態度で
「昨日は川の近くであの子の歌声を聞いた」
「あっちの丘の方で聞いた」
などと言うのだった。どうやらこの辺りの誰もがイボイボのマルの事を知っていて、それでいて正確な居場所を誰も知らないのだった。川べりの空き地では、あちこちで死体を焼く煙と異臭が漂っていた。悲惨な光景にも、わずか一日で慣れていた。まるで魂がすり減って摩耗してしまったようだった。
一日マルを探し回ってクタクタになったヒサリは、折れた流木の上に座り、燃えるような橙色に染まった川と空をぼんやりと見詰めていた。自分の体も心もこの国の巨大な夕焼けに滲み入り、このまま溶けてしまうのではないかと思った。
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