5.生贄
雨は止むどころか勢いを増し沈黙を消そうとしているかに思えるほど降っている。俺は立ち上がり部屋の奥の階段の前へ行った。階段のその先は暗闇で何も見えない。なぜか異様に階段を降りたくなった。その先に何があるのか知りたい・・・。鏡を見た時と同じで尋常ならざる何か、言わば一種の魔力のようなものを感じる。いや、実際魔力なのか・・・。実際にあんな鏡が存在するなら神も存在するのだろうか。振り返って言った。
「レイグ、下に降りてみないか?」
「何を言う。邪教の神殿の深部などには行かない」
断固として拒否した。
「まあ、そう言わずにさ。気にくわないなら、破壊したっていい。うん、そうだ。邪教の神殿を荒そう」
「そういうことなら、降りようか」
レイグは渋々承諾した。だがどこか芝居がかっているのような感じを受けた。レイグも俺同様魔力を感じていて、本当は階段を降りたかったのかもしれない。壁にかかった松明に火をつけると、暗闇へと続く階段を一段づつ恐る恐る降りて行った。
階段を降り切ると、そこには上階と同じくらいの部屋があった。ただし、奥には触手を多数もった恐らく邪神の像が置かれていて、辺りには人骨があちこちに転がっていた。
「なんだこの部屋は。死体だらけじゃないか」
レイグが言った。
「神に生贄を捧げる場だったとかか?」
俺は頭蓋が割れている人骨を見て言った。突然、一瞬揺れを感じ砂ぼこりが舞った。レイグと顔を見合わせる。そして、声が聞こえてきた。
”我、時の神なり。血の香りに誘われ来たる。汝ら、時を戻さん事を欲するか”
その声は脳内に直接響くようだった、いや、実際脳内に直接響いていた。まさか、邪神が俺たちに話しかけているのか? そんなことが・・・。
「レイグ、今の聞こえたか」
「ああ、時の神だと?」
困惑していると、再び声が聞こえてきた。
”時を戻す事を欲するならば、生贄を捧げよ。さすれば、望む時まで巻き戻さん”
声が途切れ、俺が言った。
「生贄を捧げれば、時を戻せる・・・?」
「この声を信じるなら、そうだな」
レイグが言った。すると、再度声が脳内に鳴り響いてきた。
”ただし、我、気まぐれな性にて、汝ら、今ここを去れば、我再び汝らの前に現ること無し”
なるほど、他人を連れてこさせはしないということか。
「ガイル、これは本物だろうか」
「さあ、わからない。だが、二人して同じ妄想をするとは思えないし・・・鏡のこともある、本物なのかもな」
実際の所、論理的に考えて絶対的にこれが本物だと断定することは出来ないが、論理を超越してこれは本物だと確信できる何かがあった。生贄を捧げれば時を戻せるとのことだがそれなら、生贄を捧げる前まで戻れるから贄に捧げても生き返るのではないか、と疑問を抱いているとそれに答えるように、4度目の声が聞こえてきた。
”贄となりし者、時が戻りし後の世にても、何れかの形で死、訪れん”
穴は潰しているか・・・。レイグの方を見やると、レイグは背を右手に持った剣を強く握りしめてたたずんでいた。さっきまで様子が違う。何を考えている? レイグが首を捻り顔の反面をこちらに見せて語り始めた。
「フェートンの城門で、俺が女のホクダル兵を殺したろ。あいつ、実は俺の恋人だったんだ。名前はソフィア」
そうだったのか・・・。ずっと冷静だったレイグがうろたえていたのは、そのせいか。その真実を知って記憶を思い返すと、レイグの苦痛が伝播してきた。レイグは自らの手で恋人を殺したのだ、俺が赤の他人を殺せずたじろいでいる横で。
「それは・・・辛かっただろうな」
ろくな慰めも思いつかない。
「一年前くらいに知り合ったんだ。俺の一目惚れさ。それで想いを告げたら承諾してくれた。あの時程、嬉しかった日はない。フェートンに攻め入ってる時、隊は違うから離れ離れになってたんだが、俺もソフィアもホクダル人だから馬鹿な真似をしなければ、大丈夫だと思っていた。それで、お前を助けに行った。なのに、あいつ・・・」
床に大粒の涙が落ちた。
「あいつ、正義感強いから、死ぬ覚悟できっとみんなを止めようとしたんだ。それで捕らえられて・・・」
目をこする。
「俺が殺さなければならない状況になった。俺は、俺は・・・愛する人を殺してまで生きながらえようとしたんだ。屑だ。自分勝手な臆病者な正真正銘の屑だ・・・。あいつはたぶん、俺だけでも生きることを願った。それでも・・・」
声を張り上げた。
「殺すべきじゃなかった! 抵抗して殺される方がましだった。この先、ソフィアがいない世界で生きてなんかいけない。どうにか忘れようとしたさ。でも、そんなの無理だ。もう一度、会いたい」
レイグが振り向き、俺に赤く腫れているが確固たる意志に満ちた目を合わせた。
「だから、死んでくれないか」
松明の火がぱちぱちと音を立てていることを除いて静寂が場を支配している。レイグの心境は十分にわかる。哀れに思う。だが・・・。俺が何も答えないのでレイグが続けて言った。
「ガイルが生贄になってくれれば、俺が過去に戻ってあの鏡をお前より先に手に入れて処分する。そうすれば、ソフィアだけじゃなく大勢が助かる」
レイグは俺に死ねという。俺にそんな根性があればいいが、生憎そんな気概はない・・・。死ねと言われて死ねるわけがない。やっと口を開いた。
「俺に死ねというのか? 親友だろ?」
「ああ、だからこそ死んでくれ。・・・。いや、わかっている。俺が自分勝手な下種野郎だってことは」
レイグが目を逸らして言った。嫌だ、死にたくない。死を前にして大勢を救えるだとかそんなことは関係ない。
「俺は武器を持っていてお前は持っていない。ガイル、俺はお前を殺すが苦しめたくはない。自慢じゃないが俺は首を斬るのが得意なんだ。だから、じっとしてくれれば、お前を苦しめずに一瞬で殺れる」
レイグにもはや涙はなく、いつか見た狂気が目に浮かんでいた。レイグが近寄ってくるので、俺は後ずさる。踏みつぶした古い骸骨がばきばきと音を立てた。
「レイグ、考え直せ。恋人なら、また良いひとが見つかるさ。だから、止めてくれ・・・」
説得など絶対に出来ないとわかっていながら、説得しようと試みる。
「俺を殺せば、次はそれを後悔するんじゃないか?」
「すまない」
とだけ言うと、レイグはふいに剣を高く振り上げ俺に斬りかかった。さらに後ずさりどうにか避けたが、背中に衝撃があり、それ以上逃げられないことを知った。壁まで追い詰められたのだ。レイグは顔面にはもはやかつての面影はなく、悪魔の形相となっている。足がすくんで立っていられなくなり、座り込む。歯をがたがたと揺らし死の恐怖に怯える。死にたくない。俺は何も悪くないのに。レイグ・・・。
レイグが俺の左方から右方へ軌跡を形作る。俺は死ぬのだ。親友に殺されるんだ・・・。剣の動きが止まった頃、俺の視界は暗転した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます