4.神殿
森へ入ると俺とレイグはひとまず大木の根に腰をかけた。右手に残る不快な感触を忘れようとする長い間沈黙が続き、数十分たったかと思われる頃、俺が先に口を開いた。
「ともかく、助かって良かった。レイグ、お前がいなければ俺はきっと死んでた。改めて礼を言おう。ありがとう」
数秒の間、レイグは地面に目を落としたまま身動きいひとつしなかったがその後、はっとして繕った笑顔で言った。
「礼なんていい。二人とも無事で本当に良かった」
「これからどうしようか」
俺がつぶやくとレイグが言った。
「この森に流れる川へ行こう。とりあえず、水は必要だ」
鳥がさえずり風に枝木を揺らす森を川に突き当たるはずの西へ歩いていく。未だに人を刺す感触が右手にまとわりついているが、森を眺めていると少しは心が落ち着いてきた。北の方つまり町の方角からは戦火の音が鳴り響いている。
「なあ、今日のことは忘れて、何か話をしよう」
俺が言った。
「そうだな、それが良い。ガイルから何か話してくれよ」
「わかった。じゃあ、あの話をしよう。一か月くらい前の休日のことだ。あの日、俺はとある怪しげな店に入った。その店、ほんと不気味で訳のわからない物ばっかり置いてたんだ。その中に、ひとつだけ気になった物があった。ただの鏡なんだが、なんか見てると安らぐんだよ。なんかこう・・・言葉じゃあ表現しづらいなぁ。ともかくその鏡を気に入って若干高かったけど買ったんだ」
「ケチなお前が? さぞ、すごい鏡なんだろうな」
レイグが口を挟んだ。
「正直自分でも驚きだ。で、話の本題はこっからだ。その後通りに出たんだが、いきなり誰かにぶつかられてぶっ倒れている内にだ、鞄が盗まれたんだよ。さっきの鏡が入っているのはもちろんのこと、その日は教会への納税の日で納税金も入れてたんだ。けっこうな大金だぜ?」
レイグが苦笑した。
「それは不運だな。で、追いかけなかったのか?」
「気づいた時には人ごみに紛れてわからなくなってたし、回りの奴も他人のことなんか気にも留めず知らんぷりしてやがるから追おうにも追えなかった。どうせ追った所で、追い返されるだろうしな」
「金は貯めれば良いとしても、その鏡は惜しいことしたな。俺も見てみたかった」
それからも雑談しつつ歩いて行ったが一向に川に突き当たらず、その内雨が降ってきた。そんなさなか、偶然なにかの遺跡を見つけた。遺跡はひっそりとした風貌の石造りの建築物で回りの木々よりも背が低い。また、一体いつの時代から存在するのか蔓が何重にも巻き付いていた。俺とレイグは雨宿りすることにし、重い扉を二人で開けて遺跡の内部へ入った。内部は四角形の一部屋で奥には地下に続くと思われる階段があり、石造りの長椅子がいくつかあり、壁には読むことはできないが文字が彫られていた。
「ここはもしや、古の邪教の神殿か? フェートン王国とホクダル王国が建てられた初期の頃、神殿はすべて破壊されたのではなかったか。森の奥深くに隠れていて見逃したか。」
レイグが壁の文字を眺めながら言った。
「たぶん、そうだな。残ってたのか」
「ガイル、やはり、ここを出よう。円教徒たるもの、贄を要求するような邪教の神殿に居てはならない」
レイグは真剣な眼差しで俺を見ている。レイグは昔から信心深い。
「雨宿りで少しの間いるくらい大丈夫さ。神はこの程度のことで俺たちのことを罰する程心が狭いのか?」
「罰当たりなことを言うな!」
眉間にしわを寄せている。
「まあ、だが一理あるか・・・。雨が止んだらすぐに出ていく。いいな」
「ああ、わかった」
俺がそう言うと俺とレイグは適当な長椅子に座った。
「なあ、盗まれた鏡の詳しい外見を教えてくれないか?」
レイグが聞いたので俺は例の鏡の外見を事細かに話した。
「やはり、薔薇の意匠・・・」
レイグは興味深そうな顔をしている。
「やはりってなんだ。薔薇がどうかしたのか?」
「いや、薔薇自体に意味はないんだが・・・ガイル、とある鏡と一家の話を知っているか」
とある鏡と一家の話・・・。記憶の引き出しを探ると、思い当たるものがあった。
その昔、ある屋敷に父と母と子の三人家族の貴族が住んでいた。だが子が十にもなる頃、病に伏し医師の治療も虚しくこの世を去った。母は回復させることができなかった医師を恨み憎しみを抱いた。その憎しみが医師のみならず父にも放たれて関係がこじれようとしていた頃、ある商人がその屋敷を訪れた。その商人はとある薔薇の意匠の鏡を父に差し出した。その商人曰く、その鏡には人を安んずる力があるらしい。父はその鏡を買い母に贈った。するとたちまち母は病的なまでにもっていた憎しみや怒りを捨て、元の穏やかな母になった。その後子宝にも恵まれ周辺の平民からも評判の良い心優しき貴族となった。なにか争いの種が生じても、大広間に置かれた薔薇の意匠の鏡を見れば誰もが落ち着き争いに発展することはなかった。しかし、子が成人し始めた頃に悲劇が起こった。使用人含む一家全員での殺し合いが発生し、生き残りは誰一人としておらず皆無惨な姿で死んだのである。一部始終を見たある平民が言うには、皆狂人と成り果て殺し合い、また屋敷は黒い靄が充満し鏡のある大広間は特に濃い靄であったらしい。惨事を引き起こしたと考えられたその鏡はその後何れかの手に渡り、長い年月に渡って各地で惨事を引き起こしているという。
「ああ、知っている」
「なら話は早い」
「もしかして、俺の盗まれた鏡がその昔話の鏡だと言いたいのか。そんな馬鹿な」
とは言いつつ内心、否定し切れないでいた。
「その鏡を見ると、安らいだんだろう? それに外見も一致している」
「確かにそうなんだが・・・実は安らぎと同時に少しだけだが、闇みたいなものを感じもした」
脳裏には鈍い光を放つ例の鏡が浮かんだ。
「特徴に合致するし、なおさら信憑性が増したな」
「仮にそうだとしたら、盗まれてむしろ幸運だったか」
「そうだな、むしろ幸運だった。盗まれた後、どこへ行ったんだろうな」
「さあな。神のみぞ知るってやつだ」
目線を足元に向けていたレイグがふいに顔を上げた。
「どうした?」
「いや、その・・・まず、ホクダル兵が出兵する前後のことを話そう。昨日の午後のことだ。俺はいつも通り城壁の番兵をしていたんだが、突然、官位のある軍人や力を持つ貴族が王に召集されたんだ。なんだろうかとは思ったが特に気にも留めずにいた。で、ふと城の方を向くとなんか心なしか黒っぽく見えたんだよ。特に召集された方々がいる謁見の間がある辺りが。その内、俺の隊の隊長が戻ってきた。でも、様子が変なんだ。前は・・・召集される前は、仁徳があって差別意識も何もない良い人だったのに、人が変わったようにフェートン人は根絶やしにしなくてはならないとか言い出したんだ。瞳は憎しみに満ちていた・・・。たぶん召集された全員がそんな風になっていた、元の人格に関わらず・・・。そして、突然徴兵が始まり装備や兵糧もそんなにあったわけでもないのに、夜更けに出兵した。俺や隊員はみんな動揺していた。そりゃ、そうさ、ついこの間まで友好的だった国に攻めるんだからな。それも皆殺しにするため。領地のためでもない。隊長や将軍たちは何度もフェートン人を憎み虐殺するよう演説した。中には、空気に飲まれてその気になった奴もいた。あるいは断固反対したり逃げ出すやつもいた。無論、殺されたがな。だから、俺はどうしようもなかった。ただ従うしかなかった。ただ、お前は助けようと思った。後はお前も知っての通りだ」
それ程急にかつ憎しみに満ちて出兵していたのか。平和ボケしていたフェートン人が負けてフェートンが陥落するのも必然だったか。それより、なぜ召集された者たちが豹変したのか。
「つまり、盗まれた鏡が幾人かの手を渡って最終的に王の手に渡り鏡が力を発動したと、考えてるのか」
「ああ、そうだ。城の方が黒っぽかったし、たった数時間であんなに人が変わるなんてなにかの魔法だとしか考えられない」
レイグの表情を見るに、確信しているようだった。
「鏡が本当になんらかの魔力をもっているとしたら、十分にその仮説は信じられるが・・・。なあ、レイグ。お前の仮説が正しいとしても、もう起こったことは変えられない。そうさ、俺は、自分のために無抵抗な人を殺した・・・その事実は変わらない。だから、もうこの話は止めよう」
俺は歯を噛み締めた。それと同時に、弱っていた殺人の感触が再び強まってきた。絶望で溢れ出す涙。助かろうと呻く声。さるぐつわににじむ血。背中から突き出た刃先。嫌な記憶が脳裏にこびりついて離れない。ふと、レイグを見るとその瞳には涙がにじみ拳を握りしめていた。いくらレイグでも、無抵抗な人を殺すのは抵抗があったのだろうか。あるいは・・・。
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