3.狂気

ホクダル兵は町内まで進出し、辺りは略奪と虐殺が蔓延する地獄とかしていた。ホクダル兵の鎧や武器は血肉にまみれ、その回りには無惨な姿となった死体が転がっていた。腹を裂かれ内蔵が露出した死体、顔が分からぬ程叩き潰された死体、四肢を失った死体。人間の所業とは思えない程の光景がそこには広がり、悲鳴と高笑いと血しぶく音が交錯し鳴り響いていた。

 血の匂いに吐き気を催す中、急ぎ足で歩みを進めていると今まさに殺されようとしている女性が目に入った。

「どうか、命だけは。なんでもしますから」

 女性は這いつくばって震える声で懇願していた。這いつくばっているのは、右足があるべき所になく血まみれの兵士の左手にあったからだった。

「右足のないお前に何ができる? 何をするにも手間がかかって仕方がないと思うんだが」

 邪悪な笑みを浮かべた兵士が腰を下ろして聞いたが、女性は何も答えることが出来ずただ涙を流すことしか出来なかった。

「何の役にも立たないよなぁ。といわけで、死ね」

 憎悪に満ちた目をかっぴらいた兵士はそう言うと、女性の髪を鷲掴みにして頭を引っ立て口に剣を入れ込んだ。女性の後頭部から血に汚れた剣先が飛び出し、女性は息絶えた。

「ここは現実か? それとも地獄?」

 俺が小声でレイグに言うと、レイグが冷静に答えた。

「地獄だな。できることなら助けたいが、俺たちにそんな力はない。先を急ぐぞ」

 レイグは俺に比べると無表情であまり恐怖の色が見えなかった。レイグは職業軍人だから感情を殺す術を知っているのだろうか。


 しばらくして、城門が遠くに見えた。城門周辺も他の場所と同じくあちこちに死体が転がっていた。レイグが助けに来てくれなかったら、無数に転がる死体のひとつになっていたのだと改めて思うと身震いした。城門は開いているものの、一定間隔でホクダル兵が並んでおりその前により防御面積の広い鎧を着た隊長らしき長身の者が剣を肩に乗せて立っていた。素通りできるのだろうか。悲観的な妄想が頭に浮かぶ。

「来い」

 レイグが一言言って進路を変え路地に入っていった。俺は沈黙したまま付いていった。

「城門には門番がいる。出ていこうとすると、理由を聞かれる可能性が高い。そこで、傷の治療のために陣営に戻ると言うことにする」

「傷なんて負ってないが・・・。自分を傷つけるわけか」

「その通り」

 レイグは左腕の鎧の隙間に剣の刃を添えた。一瞬苦痛に顔が歪んだ後、左腕から血が垂れた。

「自分でできるか?」

 レイグが聞いた。俺は戦場はおろか喧嘩すら避けてきたために自傷する肝などなく、言った。

「いや、レイグがやってくれ。3、2、1で頼む」

「わかった。ふくらはぎを切ろう」

 レイグが俺の右のふくらはぎに剣の刃を添えると、俺は目を瞑り来たる苦痛に備える。

「3、2、」

 1、が聞こえる前に鋭い痛みがふくらはぎを襲い、反射的に言った。

「おい、1を言ってないじゃないか!」

「予期しない瞬間の方が痛くない」

 レイグは微笑を浮かべて言った。まあ、確かにレイグの言う通りだ。

「さあ、行くぞ」

 俺は痛む足でレイグを追って路地を出た。


 死臭の立ち込める通りを歩き、城門へやって来た。レイグと一度目を合わせた後、門番たちの間を当然のように抜けていこうとした。だが、予想通り長身の男が口を開いた。

「おい、お前ら。なぜ、出ていく? まだフェートン人は全滅してないぞ」

 俺とレイグは足を止め、ゆっくりと振り返った。俺が口を開けずにおどおどしていると、レイグがはっきりした口調で言った。

「傷の治療のため、陣営に戻るためです。閣下」

「なるほど。確かに、傷を負っているようだ」

 俺とレイグの傷を交互にみて言った。

「それはいい。だが・・・なぜそんなに怯えている?」

 長身の男が俺に顔を近づけて言った。その間、目が合った。その瞳は憎しみと狂気と疑念に満ちており、俺は一層怖気づいた。長身の男が目を離すと俺はレイグに目線を移した。レイグは俺と違い、至って冷静で精悍としていた。目線を長身の男に戻すと、男は顎をさすりながら俺とレイグを舐め回すようにじっくりと眺めていた。ふいに男の口が軽く開き次第に笑みが広がり言った。

「もしや、裏切り者のホクダル人とホクダル人に扮したフェートン人なのではあるまいか」

「いえ、俺は誇り高きホクダル人。決して憎きフェートン人ではありません! 閣下」

 レイグがすかさず言った。流石にこのまま黙っていれば明らかに不自然なので、どうにか声を振り絞って言った。

「俺も同様、ホクダル人です。俺がフェートン人だなんて考えるだけで吐き気がします!」

 出来るだけ声を張り上げたが震えは隠し切れなかった。心臓は異常な速度で脈打ち、夏ではないとないというのに汗が額より滝のように流れ落ちた。

「ふむふむ。だが、やはりどうも怪しい」

 長身の男は周辺にいるホクダル兵に顔を向けた。

「おい、雑兵。ちょっと前に捉えた裏切り者の女と誰か適当に生け捕りのフェートン人を連れてこい」

 雑兵たちは命令に従い城壁の内部へと入っていった。少しすると、まず小太りの中年が、次にホクダル兵の正規軍の鎧を着た女兵士が二人のホクダル兵にそれぞれ連れられてきて、隣り合わせにして座らされた。二人ともさるぐつわを噛まされており、また両手を背面で縛られている。レイグの息遣いが僅かながら荒くなった気がする。

「短刀を持ったがその男を、兜のないお前が女を、殺せ」

 長身の男は冷徹に言った。

「殺せば、行かしてやる。殺せないと言うなら・・・わかるな?」

 俺は重い足取りで中年の男の前に行った。軽く深呼吸しながら汗でぬるぬるしている短刀を握り直した。中年の男は涙を流し何かを言おうと必死に口をもごもごと動かして呻き声をあげている。俺は今からこの男を殺さねばならない。さもなくば、俺が殺される。だが、動物も殺したことがない俺に殺せようか。そうだ、人殺しなんて出来ない。神は信じていないが、そんな罪は背負えない。倫理に反する。・・・だが、殺さなければ、俺は死ぬことになる。それに、ここで俺が殺そうが殺さなかろうとこの男はどっちにせよ、生きられないだろう。そうだ、だから殺せ。俺がこいつを殺した所でこいつの寿命がほんの少し伸びるだけだ。さあ、殺せ!

 数秒、あるいは数分の葛藤の末、俺はまだ踏ん切りがつけずにいた。一旦、長身の男の様子を見ると男は微笑を浮かべて冷淡で鋭い目をこちらに向けている。俺はとっさに目を逸らし左斜め前で膝をついている女兵士の方に目線を向けた。女は中年の男のように泣くことはなく、その凛とした目はレイグを見据えている。その目線の先のレイグの瞳には、先ほどまでとは打って変わって動揺がにじみ出ている。

 一巡して再び中年の男を視界の中央に入れる。再び葛藤を始めようとしたその瞬間、視界の左方が朱色に汚れた。見ると、女兵士の喉元に剣が突き刺さっている。レイグが剣を引き抜くと鮮血が喉元を蛇口に吐き出ていく。女が凛とした表情のまま前に突っ伏すと血だまりが広がっていった。レイグの血の滴る剣を握る手は震えていた。

 俺も殺さなければ。そうしなければきっとレイグまで殺される。再び短刀を握り返し刃先を震える手で男のみぞおちに近づける。息遣いが徐々に荒くなっていく。一度目を瞑り見開くと、思い切り手を前へ押し出した。ズブリと刃は突き刺さり、手に不快な感覚が伝わってくると俺は思わず短刀から手を離した。中年の男のさるぐつわには血がにじみ、瞳は朦朧としている。男は女同様、前に突っ伏し背中から短刀の刃先が現れるのが見えた。ついにやってしまった・・・。俺は人殺しになった・・・。

「よくやった。行っていいぞ、裏切り者とフェートン人。殺せば行かしてやると言ったからなぁ。言ったことはきっちり守る」

 長身の男が満足そうに何度も頷きながら言ったので、俺は震える足取りで城門を抜けた。レイグも遅れて付いてきたが、その顔にもはや冷静な無表情はなく空虚な無表情があった。左手にはホクダル兵の陣営が、右手には森が広がっていた。

「森へ行こう」

 俺はぼそりと未だ震える声で言い森へ向かって歩き出した。

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