2.急襲

災難な日から一か月程たった頃、それは起こった。


 ふと、目が覚めると外がなにやら騒がしい。人々の悲鳴や怒号、雄叫び、それから金属のぶつかりあう音、燃える音などが聞こえる。俺は跳び起きて、家を出た。家の前の通りには町を中央部へ向かう人々、あるいは俺のように戸惑っている人々で溢れかえっていた。呆然と立ち尽くしていると、とある親切な人が俺の腕を掴んで言った。

「おい、ホクダル兵が宣戦布告もなしに突然攻めてきたんだ。で、この町は陥落寸前。なんかフェートン人を皆殺しにするとか宣言してるらしい。お前も生きたきゃ、城内を目指せ」

 それだけ言うとその親切な人は去った。ホクダル兵が攻めてきた・・・? 俺が生まれる少し前、つまり30年前に平和条約が結ばれて、それ以降良好な関係が続いているはずなのに。条約が結ばれる前は苛烈な戦いを長年続けていたそうだが、それは過去の話のはず。今日だってホクダル人の商人を見かけた。もっともホクダル人とフェートン人は近しい人種でそれ程顔が異なるわけではなく、その確証はないが。それに、ホクダル人の友人や知り合いだっている。なんにせよ、俺の知る限り戦争になる理由がわからない。ともかく、城内を向かおう。


 人の流れに乗ってしばらく行くと城内へ続く大扉が見えた。まだ夜明けで薄暗いが、大扉の両脇にはかがり火が焚かれており、炎が輝いていた。他人に押しのけられ倒れそうになったりつまづいたりしつつ城門へ急いだ。だが、少したつと城内へ流れ込む人々の流れをフェートン兵がせき止め、大扉を閉ざしてしまった。見捨てられてしまった。これ以上城に避難する場所はないというわけだ。十分予想できた結果だったが、希望にすがってあえて考えなかった結果だった。動揺が俺を含む人々に広がっていった。こうなった以上、ほかの選択肢を取るしかない。とりあえず、自衛するための武器が必要だ。

 勢いを失った人の流れを逆走して家へ向かった。家にはいつか買った短刀を置いてあるからだ。そもそも、城内へ向かうにしても短刀を持ち出すべきだったが完全に忘れていた。家の前に着いた時、家に入る前に町を守る城壁の方を見た。町全体を囲む城壁では無数に転がった死体の上で激戦が繰り広げられていて、城壁に近いいくつかの建物は火の手を上がっていた。

 家に入ると、タンスの引き出しを乱雑に開けて短刀を取り出し、外へ続く扉にかんぬきをかけた。そして、その扉の蝶番ちょうつがいの付いていない側の壁に張り付き、ホクダル兵が無理やり入ってきたら短刀の刃を喉元に突きつけるられるように構えた。さて、これからどうしようか。このままここにいても、幾人か退けられたとしても複数で来られたり火を使われてらどうしようもない。できるだけ早くこれからどうするか決めなくてはならない。下水道に逃げるのはどうか。いや、浅はかだ。ホクダル兵が待ち構えているに違いない。考えども考えども、なにも良い案は思いつかず、不安と恐怖は限界なく増幅していき、徐々に大きくなる戦火の音に比例して鼓動を打つ速度が高まっていった。


 扉の向こう側から鎧のかすれあう音が聞こえた後、扉を叩く音がして同時に怒声が飛んできた。

「おい、開けろ! 今すぐ出て来たら楽に殺してやろう!」

 出てこい、と言われて素直に出ていけるわけもない。うろたえていると、突然轟音ごうおんと共に剣先が室内に姿を現した。外のホクダル兵が剣を扉を突き刺したのだ。剣先が姿を消し再び現れると思われた矢先、斬撃音と呻き声が聞こえた。

「ガイル! レイグだ。助けに来たんだ。いるなら開けてくれ」

 レイグはホクダル人だが俺の親友だ。同じホクダル人を殺してまで俺を助けてくれたのだ。俺は安堵の中、かんぬきを外し扉を開けた。レイグはホクダル兵の正規軍の鎧をまとい鮮血にまみれた剣と盾も持っており、足元には死にたてのホクダル兵が横たわっていた。

「とりあえず中に入るぞ」

 俺はレイグが入ってきた後急いで扉を閉ざした。

「レイグ、お前が来てくれて助かった。一生の恩だ。ありがとう」

「礼はいい」

 レイグは敵対したとはいえ同胞を殺した直後でありながら、冷静だった。

「それで、一体どうして突然ホクダル兵が攻めてきたんだ?」

「それが俺にもいまいちわからないんだ。何の前兆もなくいきなり王がここを攻めると。そして、フェートン人は根絶やしにしろと」

「ホクダルの王は高齢でフェートンとの戦争も経験してるが、まさかずっと機会を待っていただけで平和の条約を守る気は毛頭なかったのか?」

「かもしれない。それより、この町を脱出しないと。正規軍を動員するだけじゃなく強制的に徴兵が行われたんだが、急だったから、不揃いの鎧を着ている奴も多い。武器も自前だ。それから、フェートン人とホクダル人の顔なんてさほど変わらん。つまりだ、お前が俺の兜をかぶってホクダル人に変装して堂々と町の外へ逃げようってことだ」

 レイグは兜を脱いで、俺に差し出した。

「そんな簡単にいくか?」

 ホクダル人とフェートン人はかつては同じ民族だったらしいし、実際顔だけでの判別は難しいが・・・。

「ホクダル兵は圧倒的に優勢にも関わらず相当乱れている。というのも、みんな・・・主に隊長たち以上の位の方々だが、憎しみにかられて理性を失っている。規律もなにもない状態だ。俺も本来は隊の一員だが抜け出してきた。だから、混乱に乗じてたぶん逃げられる」

 レイグは俺の肩を掴んで言った。

「ほかになにも案はないしやってみるしかないか」

 俺は言い、レイグの兜をかぶった。俺とレイグは家を出ると町外へと向かった。

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