ボクは女の子? 精役少女まひる誕生!【3】
「何処……ここ?」
目の前に広がっていたのは何もかも歪な世界。建物は輪郭が曲がって繋がっているのか崩れているのか分からなかった。道もやたらと起伏にとんでおり、先がまるで確認出来ない。唯一変わらないのは青空だけ。所々見覚えのある物体もあることはあるが、真昼の知っているものとはかなり違っていた。
「ここは『セソダ』。私達がいた世界ともう一つの世界との間にある極めて不安定な世界です」
真昼が形容しがたい風景に驚いていることに構わず朝美が応える。相変わらず笑顔を崩していない。見た目だけなら真昼が見慣れた何時もの朝美である。
「こんなところに連れてきて、ボクをどうしようっていうの?」
「意外と驚かないんですね。もっと慌てるかと思ってました」
「ビックリはしてる。朝から驚きの連続で脳がついていってないだけ」
震える声を必死に押し殺しながら言い放つ。
「でも先輩のここは、平気じゃないみたいですよ」
「ぁ……」
後輩に対する恐怖を態度に出さないためにスカートを握りこんでいた右手に、朝美の手が包み込んでくる。優しく柔らかく、それでいて温かい。女の子の強みがたった一動作で伝わってきた。
「どんなに強がっても身体は正直ですね」
「そんなこと――」
無いとは言い切れなかった。手が震えていたのはもう伝わってしまったから。
「怖がらせてしまってごめんなさい。でもそれももう終わりです。真昼先輩は死ぬまでずっとアタシが守りますから。悲しい時も辛い時も傍にいます。だから先輩──」
「ひっ!」
彼女の狂気に圧され後退りしようとする。しかしがっちりと捕まれた右手がそれを許さなかった。
「アタシに全てを委ねてください」
朝美は左手を腰へと回すと、制服の内側から小さなナイフのようなものを取り出した。そしてナイフのカバーを器用に片手で外し、真昼に見せつけるように眼前へと持っていく。
「これは真昼先輩の魂を細分化するものです。少し胸がチクッとしますが我慢してくださいね」
「……それはボクの精器を更に細かくするってこと?」
真昼の発言に朝美がキョトンとした顔をする。だが指摘する間もなく、元の笑顔に戻った。
「そうです、その通りです。何処の馬鹿の仕業かは分かりませんが、真昼先輩の精器は元のサイズの百分の一以下になってしまいました。それを更にちっちゃくします。具体的には、これ以上細分化出来なくなるくらいです」
「そ、そうなると、どうなるの?」
「先輩は誰にも狙われることはありません。今の先輩は危険なんです。中途半端に精器が減っているせいで、真昼先輩の純粋で強力な濃い精力が悪人に奪われかねません。その前に手を打ちます」
はっきりと述べる朝美。言葉の熱量から嘘は言っていないと真昼は思った。しかし彼女の行動を信じられるほどお人好しでもなかった。
「でもボク自身はどうなるの?」
こちらも負けじと声に力を乗せて幼馴染みに届ける。
「ボクは精器を失ってボクがボクで無くなってる。ここから更に失ったらボクはもっとボクじゃなくなるんじゃないの?」
「どんな姿になっても先輩は先輩です。真昼先輩の本質は変わりません」
「アサミが描くボクには、ボクの意思がないように聞こえるのは気のせい?」
突如朝美の表情が凍る。それでも笑みを崩さないのは朝美の信念の強さだろうか。
「そんなことはありません。真昼先輩の考えを無視したりしませんよ」
「じゃあ一旦離れてくれる? 落ち着いて考えたいから」
「それはダメです。時間がありませんし今すぐ決めてください」
「それならせめて手を離してくれる? いい加減痛いよ」
「それもダメです」
「……ねぇアサミ」
「何です真昼先輩」
「君はボクをどうしたいの?」
純粋な疑問を放つ。すぐには答えられなかったのか朝美は口を閉ざし小さく俯いてしまった。
そして何故か真昼の皮膚に痛い程強く食い込んでいた彼女の指がゆっくりと離れる。
「アサミ?」
言葉を失うほどショックだったのだろうか。真昼が呼び掛けても返答がない。
だが、意地悪な質問をしたことを真昼が謝ろうとしたその時だった。
「ハハっ――」
「アサミ?」
「あははははははははっ。あっははははははははははははははっっ!」
急に高笑いする後輩に一歩引いてしまう真昼。受け止めきれない程の狂気に染まった後輩の笑いに感情が付いていけなかった。
「そうですよ。真昼先輩の言う通りです。アタシは真昼先輩をなるべき傷付けないようにしてました! でも、それが間違いだったんですね」
「あの、えっと。落ち着いてアサミ」
「あは。アタシは落ち着いてますよ先輩。先輩のおかげで分かりました。アタシのやりたいことに、欲しいことに、願いに──先輩の意志は要らない」
「アサミっ!」
彼女がナイフを構える。全てを割り切ったような面構えで、今にも真昼を襲い掛かろうとする雰囲気を出していた。
「では一旦さよならです。また、後で会いましょう」
「っ――!」
迫りくるナイフから逃げるように必死で反転する真昼。しかし、最初に身体を捻らなければいけない真昼に対して、朝美は足を踏み出し右手を前方に差し出すだけで良い。二人の行動に加えて身体能力の差も相まって、後輩が事を終える方が早いのは当然だった。
邪魔が入らないという前提さえ成り立っていれば。
「ぐっ、ッ──」
甲高い金属音と共に真昼と朝美の間に赤髪の少女が割って入った。
真っ赤というよりかは紅に近い髪色。自身の身体に不釣り合いな大剣を携えているが、凛々しい顔つきが不自然さを掻き消していた。
「逃げて!」
「え?」
「いいから早く逃げて!」
「させない!」
彼女の言葉に従いひとまず駆けようとする。
だが、真昼の背に刃が折れたナイフが迫る。折れていようと刃物は刃物。欠けた刃であっても真昼をほんの少し傷付けるぐらいは出来そうだった。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
しかし放られた得物に向かって間髪入れず、介入者の手によって投げられたものがあった。
「いったぁぁぁぁ! ふざけんなお前ぇぇぇぇ!」
アケボノである。
彼はナイフの持ち手にぶつかり軌道をそらすと不思議な構造をした建物の壁に直撃した。
「お前は何だ! アタシと真昼先輩の時間を邪魔するな!」
「別に大した者でもない。ただの雇われ人」
真昼を守るように紅髪の少女が朝美と対峙する。真昼はというと、地面に転がったアケボノを片手で拾い上げると再び前方へと走り出した。
背後からは金属がぶつかり合う音が鳴り響いている。そして朝美の雄叫びが、真昼を呼ぶ声がしたが彼は自分の心の迷いを断ちきりながら必死に走った。
「そこを右だ。んで、そこを左。あそこの建物だ!」
「何処、っていうかどれ!」
「ほらそこの角が妙に丸まってて三階建てのてっぺんが尖った奴だよ!」
アケボノの怒声のようなナビゲートに従い、目的地へと足を動かす。実際は数回入り組んだ路地を曲がっただけで、直線距離であれば元居た場所から数百メートルと離れてはいなかった。
「ここ……?」
一度止まり、息を整えながら目的地を仰ぎ見る。ほんの数分走っただけで疲労度が大きく、眼前に広がる建物が元から歪んでいる建物なのか、それとも疲れにくるものなのか分からなかった。
「あー、ここだ。合ってる」
「良かった。それよりやたらと身体が重いんだけど。これも精器が小さくなった影響?」
「ここは不安定な世界だからな。小さなことでも精力を大きく持っていかれたりする。お前の場合、身体よりも精神状態が不安定なせいかもしれねー」
「そっか……うん。原因が分かってちょっと落ち着いた」
「なら行くぞ。さっさと戻った方が良いことに変わりねーからな。なるべく大きく呼吸して心を落ち着かせながら走れ」
頷いて再度駆ける。目的地は立体駐車場と球体が合体したような建築物で輪郭がはっきりしなかった。明らかに歪な形をしており、セソダが真昼がいた世界とはかけ離れていることが嫌でも思い知らされた。
一階にある球体からちょうど人一人が通過出来そうな空間を見つけ中に入る。構造はやはり歪んでいたが、駐車場としての形が色濃く残っていたおかげで内部構造は簡単に理解出来た。
「それで具体的な脱出ポイントは何処?」
「上の方だな。具体的な階数はここからじゃ分からん」
「じゃあ階段使うよりも坂を上ってく方が良いね」
そこそこ急な坂を登りながら真昼は辺りを見渡した。
車体が大きく変形した車が何台も並んでいる。タイヤがグニャグニャとスライム状になっているものもあれば、ボンネットが激しく突き出ているものもある。最早車としての機能を果たせるのかも甚だ疑問だった。
「――!? おい避けろ真昼!」
「え──あ、っつぅ!?」
突如右肩に強い衝撃が走り、身体ごと吹っ飛ばされた。
いったああああぁぁっっ!!
車のような物体のフロントに直撃し、背中に強い痛みが伝わる。
痛みに耐えるように地面にうずくまる真昼。しかし明らかに弱者である彼に向って加害者は更なる攻撃を続けた。
「ぐぁ、う!」
蟹のハサミにも似た手で首を掴まれ持ち上げられる。バタバタと手足を動かし抵抗しようとしても微動だにしない。真昼にはこれ以上首に食い込まないように全力でハサミの外に向けて力を入れるのが精一杯だった。
息が……出来ない。
酸素不足により段々と真昼の顔が険しくなる。すると息苦しさが頂点に達する前に、何故か唐突に敵はハサミを開き真昼を解放した。
「ぐ、はぁぁ! あぁぁぁぁ、はぁ!」
空気を求めて全力で呼吸を続ける。最早何が何だか全く分からなかったが、敵が真昼に殺意を抱いているのは確かだった。
「あぐあっ!」
「EEb%w"uhU6e!!」
「ったあッ!?」
四つん這いになっているところをゴミでも処理するように踏み潰される。全く抵抗出来ない程強く踏まれているわけではないが、最初に食らった一撃によって負った傷を抉るような踏み方をされていた。
痛い! 痛い痛い痛い痛い痛いっ!
「真昼を、離せぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」
「beZ!」
闇討ちによって吹き飛ばされていたアケボノがお返しとばかりに敵の身体に体当たりする。質量で言えば一方的に負けるのは人形のはずだが、常識など通用しないと言わんばかりに襲撃者の方が吹き飛んでいった。
「Hoooooooooooooooooooooooooooooo!!」
意味が分からない叫び声をあげながら建物の外へと放り出されるカニの化け物。アケボノは突き落とした敵対者には目もくれず、痛みに悶える真昼へと近寄った。
「大丈夫か真昼!」
「あ、っっ。多分大丈夫じゃないけど……、ありがとう」
「良かった。お前には死んでもらわれると困るからな。立てるか?」
「何とか……。でも背中が無茶苦茶痛いかな」
「向こうに戻ったらどうにかしてやんよ。だから今は頑張れ!」
「う、うん」
焼けつくような痛みに耐え気合で立ち上がる。アケボノが左肩にくっつくのを確認して再び目的のポイントへと歩みを進めた。
「あのカニは何なの? いきなりタックルしてくるなんて」
必死に息を整えながら真昼が訪ねる。足を前へと進める度に右肩と背中の痛みが彼の綺麗な顔を歪ませた。
「アイツはラウの犯罪者だ。あんま覚えてねーが確か何人か人を殺めてて死刑囚だったはず。消えたと思ったらこんなところにいやがるとはな」
「死刑囚っ!? もう何でこんなことに!」
「まあ落ち着けって。今は何も考えんな! 色々思考を巡らすのはここを突破してからだ!」
ぬいぐるみの喝でパニックに陥りかけた心に僅かに冷静さが戻る。まだ頭に熱は籠っていたが、深呼吸するだけの余裕はあった。
「ごめん」
「……元々はこっちがわりーんだ。真昼が謝ることじゃない」
それならこっちを向いて話してほしかったな。
照れ隠しなのか、正面を見て言い放つアケボノにくすりと笑って真昼は坂を駆け上る。全身のあちこちが痛んだが、最上階まで走るだけの元気が沸いてきた。
全力でコンクリートの上を走り抜け、光が当たる世界へと出る。だが、何処を見渡しても出口らしい出口は見当たらなかった。
「出口は! 脱出口は何処!」
「えーとあー、ん──」
「ちょっと早く!」
「急かすな! 意外と集中力がいんだよ!」
目を瞑って瞑想するアケボノを横目に小さく後ろを向き背後を確認する。
追手の気配は無い。足音もしない。どうやらまだカニの化け物は追い掛けてきては無いらしい。
つい安堵して胸を抑える真昼。また不意の一撃を受けるのは御免だった。
「あそこだ。あそこのフェンスの手前!」
アケボノが指を指す方向を見る。真昼の目には何の変哲もないただの乳白色に塗装された床にしか見えなかったが、今は彼が言うことを信じるしかないだろう。
真昼は疲れによって荒くなった呼吸のまま一直線に駆け出した。
その時だった。
「F"TT"」
謎の叫び声と共に真昼の身体が激しく軋む。
今この瞬間を待っていたかのように、建物の外から現れた犯罪者のショルダーチャージを食らったのだ。
肺の中の酸素を全て持ってかれるような感覚に苦しみながら吹き飛ばされる真昼。激しく冷たい床を転がると、三角錐のオブジェクトに直撃しようやく勢いが止まった。
「ま──! 大──真──!」
聞こえてくるのは音が飛んだ叫び声。ぼんやりとぬいぐるみが叫んでいるのが分かったが、思考が霞に覆われているように理解が進まなかった。
痛い。
痛い。
痛い!
自然と目元から涙が零れた。負傷箇所は溶岩のように熱かったが、不思議と涙が通った場所の方が熱量が高かった。
コンクリートの床で悶えていると、ハサミ男が近寄る足音だけが耳に届いた。
「あっ! あぁ!」
今度は油断しないとばかりに骨が砕けそうなほどの力で足首を掴まれる。そして子供が玩具を乱暴に扱うが如く何度か振り回すと、真昼を屋外へと向けて投げ飛ばした。
「うああああっっっっ!」
フェンスを越え宙へと放り出される真昼。しかし僅かに力が足りなかったことが幸いし、屋上から落ちていくことはなかった。但し下半身は完全に外に出ていたが。
床が僅かに傾斜になっているのに加えてビルの角が削り取られていることもあり、段々とずり落ちていく。必死に抵抗する真昼だったが、重力の前には無力だった。
「あぐ!」
だがそれを助けたのはまたしても敵だった。いや、正確には真昼の腕を踏みつけただけで救助にはなっていない。
「真昼──ぐうっ!」
助太刀しようと駆け付けたアケボノも今度はフェンスを越えたところで呆気なくハサミに掴まれる。ハサミによって布が切れ、僅かに中の綿が飛び出ていた。
「アケ、ボ――ああっ!」
思いきり頭を踏みつけられ、痛覚を超えて意識が削り取られる。
ボクは女の子のまま死ぬのか……。何も分からないままこんな。
「――フェース! これ――!」
何言ってるか分かんないよ、アケボノ……。
霞が掛かっていた世界が暗くなっていく。既に手に力は入らなかった。
ごめんね、お母さん。ボク、もうダメみたいだ。
「生きろっ!!!!!!」
――──!
たった一言が、全力の叫びが真昼の折れかけた心を引き戻す。ほんの少し生きたいと思っただけで、見えなかった世界に色が戻ってきた。
「アケ……ボノ」
「──!? 良いかよく聞け! 自分がなりたいものを、なりたい姿を、変わりたいと思う強く想え!」
「なん……で?」
「んなこたぁどうでーもいい! 生きるためにやれっ!」
「$>P5!」
次は本気で頭を潰そうと怪人が右足を上げる。今度直撃すれば死なないまでも意識を刈り取るのは確実だろう。そうなればどのみち真昼を待っているのは確実な死だ。
だが、真昼も動く。身体ではなく心を。
解答に辿り着いたのは一瞬。
自身がなりたい姿など一つしかない。
ボクは男に、男になるんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
「叫べ!!!! 『ウィルフェース、リンクアップ』だ!」
「ウィル……ウィルフェース、リンクアップ!」
叫ぶと同時に、首に掛けていたアクセサリーから柔らかな赤い光が漏れる。
そして真昼の身体は光の奔流へと消えた。
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