ボクは女の子? 精役少女まひる誕生!【2】
酷く思い空気を抱えたまま三人は席に着いた。
果たしてぬいぐるみを『人』とカウントして良いかは分からなかったが、人語が話せて意思の疎通が取れる以上は人間扱いして問題ないだろう、と真昼は静かに思った。
机の上には小宵が用意した朝ごはんが並べられている。白米に味噌汁、卵焼きに鯵の開き。そして人参のきんぴらと古き良き和食である。
勿論小宵の気配りによってゲストの分も用意してあるが、高さの調整で何枚も椅子の上に座布団を敷いているとはいえ、机からようやく頭が出る程度の高さである。そもそも人形が物を食べられるのか、という問題はあるが。
「恐竜さんの口に合うと良いのだけれど」
まるでぬいぐるみであることは問題ではないように小宵は言った。家の外では良い噂が絶えない彼女であるが、家の中ではどこかずれているのを息子は知っていた。
「あ、あー」
ぬいぐるみも戸惑っているようで少しばかり挙動不審だった。
「食べれるの?」
「ん、んー。分からん」
そりゃね。
「それじゃあ皆で手を合わせてご一緒に。いただきます!」
「いただきます」「いた、いただきます?」
唱和の後、先ずは味噌汁に手を付けた。汁を口に含むと程よい塩分が口内に広がり、体中に染み渡った。
ほっこりしたところで隣の人形に目を向ける。
ご飯が入った茶碗に恐る恐る口先を当てた途端、ほんの少しご飯の量が減っていた。
「何それ!」
食事中にも関わらず驚きで大声を上げてしまう。
もう何でもありじゃん!
「俺も何でこうなってるか分かんねーよ。てか初めて食べたけど悪くねーな、これ」
「ふふ、ありがとう」
微笑みを浮かべながら感謝を述べる小宵。小宵の受け答え自体は何時もと変わらない柔らかな物腰だが、真昼には何処かご機嫌に感じられた。
「ところで自己紹介がまだだったわね? 私の名前は白雪小宵。この子は息子の真昼。貴方のお名前は?」
「息子?」
呟くなり真昼の方を一瞥する恐竜。真昼はきっと睨みを利かせたが、恐竜は特に気にせず再び小宵の方を向いた。
「すまん、名前だっけ。名前は、無いな」
「無い?」
「こっちの世界に来るのに全て捨ててきたからな。それこそ身体も。だから名前も今はねーわ」
「それは困ったわね。何時までも貴方と呼ぶのも失礼で不便だし」
卵焼きを箸で割りながら小宵が言う。
確かに聞きたいことが沢山ある現状、名前が無いのは酷く面倒だ。真昼はきんぴらを咀嚼し飲み込んだ後、やや嫌そうに口を開いた。
「アケボノ」
「ん?」
「だから君の名前。そのぬいぐるみ、ボクが作ったものでアケボノザウルスって名前を付けてたから」
真昼の言葉を聞くなり、人形が腕を組みぶつぶつと考え始める。そして、思考が纏まったのか真昼の方を向いた。
「アケボノか。悪くねーな」
言って軽快に味噌汁を飲み干した。
「うん。宜しくねアケボノさん」
「おー! こちらこそだぜ」
威勢の良い声を余所にほぐした鯵を口元に運ぶ。だが、自分も挨拶をした方が良かったのではないかと考えているうちに、味を感じる間もなく喉を通り過ぎてしまった。
「で、アケボノさんは何者なの?」
二番目に真昼が知りたかった問いを小宵は尋ねた。魚を知らないのか、やたらと観察を続けていたアケボノは頭を上げる。
「簡単に言うと異世界人だな」
「えぇ!」「へー」
反応を見るなら首を傾げるアケボノ。小宵と真昼が真逆の態度を取っていることに疑問を持ったらしい。
「お前は驚かないんだな」
「お前じゃなくて『真昼』ね。朝起きたら突然性転換してた上に、自作のぬいぐるみが喋ってご飯を食べているとなるともう驚きを通り越して何も感じないよ」
「そういうもんか」
「そんなもん」
嘘だ。少しは驚いている。顔に出なかったのは言った通り、感覚が麻痺しているところもあるからだ。
「それでそれで!」
「あー、俺はこっちの世界の裏側にある世界。『ラウ』ってところから来た。生きる為に。まー、つっても死んじまったようなもんだけどな」
「おぉ、それっぽくなってきたね!」
「お母さん、落ち着いて」
興奮する母をなだめ、続けるように目線を送る。
「『ラウ』は『精役』っていう力が存在する世界だ。どんな行動、現象には大抵精役が絡んでくる。あー、精役ってのは精力を使役するって意味で、お前らからみたら魔法みたいなもんだな。ちなみにこうやってお互いにコミュニケーションが取れているのも俺が精役を利用してるってのもある」
「あ、脱衣所での変な音は――」
「俺が話したラウの言語だな。お前らには理解出来なかったようだがな」
「なるほどね」
認識出来ない言語であれば『音』と表現してしまったのも分かる。
「そして俺達ラウ人は精力が無くなると活動出来なくなるほど弱り、やがて死に至るんだ」
「精力イコール生命力ってことかな。で、精力使い過ぎると身体に良くないと」
便利なような不便なような。
味噌汁をすすりながらぼんやりと想像する。頭の中は完全に漫画の中に出てくるファンタジー世界で埋まってしまったが、すぐに頭を振り意識を現実へと戻した。
「さてここからが問題だ。個々の精力は個人が持つ『精器』に宿る。まあこれは魂みたいなもんだな。精器の大きさは人によって違って、こんな茶碗みたいなサイズのものもあれば、バケツのような大きさまで様々だ」
「それは後天的には大きくならないの?」
「ならない。精器は才能だ。生まれた時に決まって後からどう頑張っても成長しない」
「つまり精役という力を使える回数は人によって様々だってことね」
席を立った小宵がポッドから急須にお湯を入れながら言う。彼女は3人分のお茶を湯のみに入れると、再び席に戻り各自に配った。
「そうだ。だが、重要なのはそこじゃねーんだ」
「と、いうと?」
言って、最後のご飯を平らげお茶をすする。いつもと変わらない食事量に関わらず、遥かに満腹感が強かった。
「ラウ人は精力をどうやって得ると思う?」
「えーと、休憩したり寝たりご飯食べれば回復するんじゃないの? 体力みたいなものでしょ」
「違う」
「あ、専用の回復場所があるんじゃない? 地面に魔法陣が書かれてて、お金払うと一定の量まで回復させてくれるの」
ガソリンスタンドかな?
「それも違うな。答えを言ってしまうと、精力は世界から供給されるんだ。真夜中の決まった時間に毎日必ずな」
流石不思議な力が使える世界である。スケールが違う。
真昼は空になった食器を重ねながらそう思った。
「世界は必ず個人の精器が満ちるように供給する。数年前まではな」
「え、それってどういう――」
真昼が質問しようとしたところで家のインターホンが鳴る。咄嗟に壁掛け時計に目をやると時間は七時半。朝の来客に心当たりはあったが、少しばかり早かった。
「
「……お母さん代わりに出てよ。ついでに今日は休むって伝えといて」
「それは構わないけれど、うーん。いえ、面白いから真昼くんが出たら」
「無理に決まってるでしょ、こんな格好で!」
「えー、可愛いのに」
激昂する真昼に対して微笑む小宵。まるで意地の悪い小悪魔のようであったが息子の性格はしっかりと熟知しているようで、本気で堪忍袋の緒が切れる前に彼女は席を立った。
「ごめんごめん。体調不良って伝えておくね」
「む、うん。お願い」
母が背を見て、空になった食器を流しへと運ぶ。ついでに他の二人の器を見ると、小宵はともかくアケボノのものまで空になっていた。
「全部食べれたんだ」
「あ、あー。中々旨かったぜ」
「それは良かった」
短い腕でお腹の上部擦りながらアケボノが言う。見た目に変化は無く、変な臭いも無い。彼に平らげられた食べ物は遥か遠くの時空に飛ばされたように存在が消えていた。
奇妙な光景には特に突っ込まず、全員分の食器を下げ布巾で机を拭く。布巾を水で洗い所定の場所に戻すと、真昼は席に戻った。
「そういえばアケボノは何でこの世界の言葉が喋れるの? 知識もあるし。それも精役の力?」
「言葉はな。でも、知識はお前のおかげだな」
「はい?」
真昼が間抜けな声を上げる。そして彼の言ったことを理解しようとした時、ちょうど小宵が戻ってきた。
「
人差し指を口元に当てながら小宵が言う。
夜兎は小学校からの幼馴染で同じ高校に通っている幼馴染だ。家が近くなので一緒に登校をしている仲だが、何時も来る時間よりも確かに早かった。普段であればあとニ十分は遅く来る。
「はい、これ」
「何これ。ネックレス?」
突然球体が幾つもの輪に包まれている物体を手渡される。ご丁寧にチェーンが付いており洒落たアクセサリーのように感じられた。
「夜兎君が真昼くんに渡してくれって」
「それだけ?」
「あとはそう、万が一の御守りだって言ってたかしら」
何だそれ。
ひとまずチェーンのロックを外し首に着けてみる。子供っぽい気もしたが何故だかしっくりした。
「あら、可愛い! これは写真に納めなくちゃ!」
「い、いいよ! そんなの!」
「遠慮しなくていいから。ねっ」
「そんなんじゃないから!」
真昼としてさっさと話の続きを聞きたかったのだが、小宵は風のように部屋から飛び出していった。恐らくカメラを取りに行ったのだろう。
真昼は大きくため息を吐きながら顔を机に伏せた。
「お前の母親、なんつーか面白い性格してるよな」
「よく言われる……」
面倒くさい気持ちに押しつぶされそうになっていると、再び呼び鈴が響いた。頭を机に預けていた少年もどきは観念したように上半身を起こすと、気だるそうに立ち上がった。
「お前が対応すんのか」
「多分知ってる人間だろうし、『お母さんに弄ばれた』って言えば納得するよ、きっと」
「ま、まあ、嘘ではねーわな」
納得したアケボノから離れ玄関へと向かう。玄関の扉を開けようとすると、階段から慌ただしい足音が聞こえてきた。しかし真昼がドアを開ける音に気付いたのか、床を歩く音は台所の方へと変わった。
外界への扉を開くと飛び込んできたのは見慣れた少女。活発で元気に満ち溢れた後輩の姿だった。
「おはようございます、真昼先輩──ってどうしたんですかその格好!」
極めて普通な反応だ。ボクがこの後輩の立場になっても同じことを言う。
「あー、お母さんに着せられてね」
「あはは……、まあ小宵さんですもんね」
一言で伝わってしまうことに嬉しくも悲しくもある感情を持ってしまい、真昼もまた苦笑した。
「でも凄く似合ってますよ」
「その誉め言葉、全然嬉しくないんだけど」
「アタシより可愛い先輩がいけないんです」
太陽と同じくらい眩しい笑顔を見せてくる後輩。あまりに真っすぐにぶつけられると不思議と悪い気はしなかった。
「でも先輩、今日は何時にも増して女の子みたいですね」
「――!?」
弛緩しきっていた空気が急に凍る。
柔和な後輩が笑っているように見えなくなり、それどころか禍々しさを感じた。
「あ、アサミさぁ。いくら、ボクでも、怒るよ」
抗うように虚勢を張る。だが通じているようには全くといっていいほど見えなかった。
「あー、ごめんなさい先輩。真昼先輩気にされてますもんね。今のはアタシが悪かったです、失言でした」
ペコリと頭を下げる朝美。彼女とは親しい間柄ではあるが、相手を敬う姿勢はお互いに持っていた。
「う、うん。こちらこそごめんね。ちょっと嫌なことがあったせいで余計に気に障って」
「それって真昼先輩が本当に女の子になったことですか?」
突然頭に鉄球が当たったかのような衝撃を受けた。
心臓の鼓動が急激に早くなり脂汗が吹き出てくる。にこやかに微笑む幼馴染みの姿が歪んで見えるくらい心がざわめいた。
「な、何でそのことを」
「愛する真昼先輩のことです。知ってて当然です」
さも当然のことのように宣う朝美。終止笑顔なのが余計に怖さを増長させた。
朝美は怯える真昼の頬にそっと手を伸ばすと恍惚な表情を浮かべた。
「あぁ、可愛い。本当に先輩は可愛いです。ただ、アタシとしては男の子のままの方が良かったですが」
「あ、アサミ……?」
「さて、行きましょうか先輩。少なくともここよりは邪魔が入らないところに」
「え──」
これでもかと砂糖が入った甘過ぎる声と共に世界が流転する。
家だけでなく電柱やアスファルト、そして朝美のみならず真昼でさえも崩れていく。そして時計の秒針が一メモリも刻むことなく、二人は世界から消えた。
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