冬花火














まだ君に誓えない









2017年 5月 3日


*



慈は結局、帰った後も一言すら喋らなかった。臍の下をただゆっくりと撫で続けていた。


俺が思っていたよりずっと、彼女は傷付いていたらしい。思慮が浅かった。これからは、今まで慈に助けてもらった分まで、俺が慈を助ける。慈がちゃんと俺に頼れるように。


彼女はぽたぽたと涙を落としていた。何も出来ないですまない。何もしてやれないで、すまない。



*



雨。





・・・ --- ・・・


ほら、今日はいい天気だよ。


・・・ --- ・・・


あぁ、今日はお昼寝日和だ。


・・・ --- ・・・


ねぇ、今日は何を聞こうか?


・・・ --- ・・・


なぁ、俺はどうしたら君を、


・・・ --- ・・・






2017年 6月 14日


*



ずっと支えてきた。支えてきたつもりだった。


もう限界だ。彼女は応えてはくれなかった。俺は何をしなかっただろう?考え付いた事はとにかくやった。でも彼女は、慈は応えては。


……違う。慈は悪くない。慈はずっと苦しんでるんだ。慈はずっと、自分を責め続けて。


あぁ、悪いのは俺だ。責任を押し付けて、支えるという名目で逃げた。できる事をと宣って、慈が求める事を知ろうとしなかった。


俺が居なくなれば、慈の心も少しは楽になるだろうか。



*



曇。




2017年 6月 17日


*



皮肉なまでの青空だった。



「今日、仕事だった、っけ」


彼女の声は震えていた。


「……ごめん。ずっと気付いてやれなくて。」


俺の声も、震えていた。気がする。


「もう荷物は送ってあるんだ。」


「、なに、言ってるの?」


「ごめんな、慈。」



きっと、これで良かったんだ。





「_……気付いて、欲しかったわけじゃ、ない……っ」



*



晴。









- ・-・ ・・- ・










2017年 6月 20日


*



知らせが入ったのは、味のしない弁当を半分ほど腹に収めた時だった。


慌てて上司に報告して、午後年休を戴いて。無我夢中で家に帰って。


「__っ慈!」


信じられないとばかりに目を見開いて、慈は扉を弾き開けた俺の方を見た。


「智さん……、私……」


体が震えている慈の、その目の端に涙が小さく光って、あぁ、耐え切れなかった。ぼやける視界を閉じて慈を抱き寄せる。柔らかな髪を、そっと、そっと撫でた。


「ありがとう、慈、」


少しの空白の後、慈は微かに頷いた後、雪のような嗚咽を洩らした。


無駄じゃなかったんだ。やっと俺たちも、3人で幸せになれる。



*



雨。





- ・-・ ・・- ・


・・-・ ・- ・-・・ ・・・ ・


- ・-・ ・・- ・


- ・-・ ・・- ・


・・-・ ・- ・-・・ ・・・ ・






2018年 5月 3日


*



痛みと、苦しみと、絶望で塗り潰された目で、慈は色の無い天井を見ていた。


「智さん。」


部屋に浮かされたように静かに。然りとて響かないわけでなく。彼女は小さく呟いた。


「ごめんね。」



違う。


違う。君は悪くない。



君は悪くないんだ。




なら、誰が悪いんだ?





*



雨。









・・・・ ・ ・-・・ ・--・ -- ・











2018年 12月 25日


*



賑やかな光が街を彩っている。ニュースが言うには、今日は流星群が見られるらしい。


願い事を唱える気力も無い。飯も喉を通らない。何も要らない。


「智さん、ご飯ちゃんと食べないと……」


五月蝿い。五月蝿い。五月蝿い。


「ご飯、冷めちゃうよ」


要らない。黙れ。黙れ。


「ほら、食べて」


五月蝿い。



「五月蝿い!!」



乱雑に組み敷かれ痛みに顔を歪める慈を見る俺はもう、何を考えるにも幼稚で。


分かってる。君は悪くない。君は悪くないんだ。


でも、それなら、


「それなら俺は、誰を恨めばいい……っ」



「ごめん。」


慈の声が耳の奥に響いた。


「ごめんね。」



違う。



そんなの要らない。




そんなの要らない!!




「謝るぐらいなら黙ってろ!!」




何かが切れた音がした。



*



雪。







・・・ --- ・・・








2019年 6月 17日


*



疲れが取れなくて、泥のように眠って。目が覚めたのが昼前だった。休みの日だからと眠り過ぎたか、きっと朝ご飯が冷めている。仕方ない。慈に謝って温めて貰おう。


「すまん、寝てた。おはよう」

「、智、さん」


か細い声で呟く彼女に、俺は何事かと眉を顰めた。


「どうしたの?何かあった?」

「こ、これ、」


そう言って慈が俺に、恐々と差し出したのは、

強く線が浮かんだ検査薬。



「__めぐ、」


声が涙で掻き消されて、最後まで名前を呼べなかった。やっとだ。やっと報われる。慈の苦しみも俺の努力も、やっと報われるんだ。



*



晴。









・-・・ ・・ ・・・- ・ -・・ ・- --・・ --・・ ・-・・ ・・ -・ --・ ・-・・ -・-- --・・-- -- -・-- -・-・ --- -- ・ -










2020年 5月 3日


*



嘘だと言ってくれ。道中何度願っただろう。


慈が事故にあったと。警察から連絡が来た。病院に着いた時には、痛々しい赤のランプがただ残酷に光っていた。


何故慈なんだ。何故彗なんだ。


何故俺たちなんだ。


なぁ、もしも居るのなら、応えてくれ、神様。

何故俺たちじゃなきゃいけないんだ。


勝手に開く扉から出てきた医者は、色の悪い顔をして、俺に語りかけた。


「最善は尽くしましたが……正直、助かるかどうかは。申し訳ありません」


先生は悪くありません。ありがとうございます。

その言葉は出なかった。黙ってこくりと頷く事しか出来なかった。


頭では分かっている。この人は決して悪くない。この人はやれる全てをやってくれたんだ。悪いのは事故を起こしたバイクだ。この人は悪くない。


でも、そんな理性は。掻き混ぜられてぐしゃぐしゃの脳の中で、カラカラと音を鳴らすだけだった。



*



晴。







--- ・・・・


-- -・--


--・ --- ・・・ ・・・・








2020年 5月 5日


*



気の所為だと思った。もう、心の中で半分諦めていたのかもしれない。


それは突然だった。ずっと手を握っていたから、手の温度が分からなくなってきた頃だった。


「_____、」


手に何かが当たった気がした。それはまるで落ちる雨粒のような一瞬で、あぁ、それを確認する気にも、なれてはいなかった。


「______……」


でも。また何かが当たった。今度は揺らぐ水面のようなひと時で。


気の所為じゃ、ない?


「、めぐみ、」


また当たった。そこで気づいた。

当たったんじゃない。指が叩いたんだ。俺の手の甲を、微かに、確実に。


「慈、?」


呼び掛けに答えるように、俺の手に弱い衝撃が移る。夢じゃない。慈が俺に伝えようとしている。生きていると。


「慈、っめぐみ!慈!!」


祈るように握る手に力が入る。俺は此処に居る。慈。慈。



錦糸のような睫毛が震えた。


「_______……、さ、とる、さ……」




嗚呼。


神様は応えてくれた。



*



雨。




・・・ --- ・・・











彗、おはよう!お父さんだよ。











・・・ --- ・・・





2020年 5月 20日


*



「……よ、ただいま。体大丈夫?」

「おかえりなさい。お仕事お疲れ様」


すっかり元気だよ、と優しく微笑む慈に、仕事で溜まった疲れが消えるのを感じながら。俺は傍らの椅子に腰掛けた。


明日退院出来るらしい。予測より回復速度が早かったと医者が驚いていた。慈は嬉しそうに笑って、「智さんと彗のおかげかな」と何かを思い出すように目を閉じる。


その姿が、あまりにも綺麗で。


「……慈」

「ん、なーに?」


俺の声に、必ず振り向いてくれる。

彼女の、柔く、甘いその唇に、そっと口付けを。



「ありがとう。」



俺と出逢ってくれて、ありがとう。


慈は驚いたように頬を赤らめて、笑みで応えた。



「こちらこそ。」



*



晴。




2020年 12月 25日


*






外でははらはらと白い結晶が踊っている。

今日の夕飯はいつも以上に豪華だ。


暖かな我が家。傍らで笑う、彗と、慈。






あれから、半年程が経って。


俺たちは、以前では考えられない程、幸せな生活を送っていて。


心から幸せで。



でも。



なぜだか、彼女に。


慈に、まだ。



「愛している」と、誓えない。






*



雪。













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