あかねの話 4

 結果的に、メイドカフェで雇ってもらうことはできなかった。住所がない子は雇えない、と言われてしまったのだ。

 住所が決まっていないことがこんなにも不利に働くとは、あかねは考えても見なかった。

やはり水っぽい商売しかないのだろうか。そうなればもう自分には死しかない、と彼女は本気で思った。

 落胆しきって店を出て、先ほど同様に宛てもなく歩き始めた。

 店を出る直前、ずっと接客を担当してくれたメイドがやってきて頑張ってねと小声で呟きながら、あかねの手に何か握らせた。

 それは数字が記された紙片だった。きっと、電話番号だろう。しかしあかねはその紙片をずっと握ったまま、中を見ようとしなかった。

 メイドはあかねから何か暗い空気を感じ取ったのかもしれない。困ったり悩んだりしたら電話してほしいという意味を込めて紙片を握らせたのだろう。

 その中身を見たらもう自身の弱さが止まらなくなる気がして、あかねは恐かった。本当に立ち直れなくなったときのために取っておこうと思った。きっとすぐには解読できないけれど、時間をかければ認識できるはずた。

 すっかりくしゃくしゃになってしまった小さな優しさを、あかねは丁寧に上着のポケットにしまった。

 辺りが暗くなってきた。

 どこで眠ろうか、とあかねはここに来てようやく考え始めた。公園があったので入って、足を休ませるためにベンチに座った。

 本当にこれからどうしよう。定住できるようなところがあるだろうか。もしなかったら、やっぱり死ぬしかないのか……。楽しくもないことを延々と考えて、あかねは今さらになって東京なんて来るんじゃなかったと思った。

 東京に出たら、なんて。そんなのは自己中心的な希望で表面だけをごてごてに固められた、すかすかの張りぼてだった。

 あぁ、もう死んでしまおうかと考えたとき、

「あかねちゃん?」

 聞き覚えのある声が聞こえた。

「あかねちゃん、だよね?何してるのこんなところで…。やっぱり泊まるところがあるなんて嘘だったんだ……」

 佐久間さん、とあかねは呼んだ。ごめんなさい、と続けた。私何も決まってなくて、行くところなんてなくて…と彼女はぼろぼろと涙を溢しながら言った。

 佐久間はあかねを抱き締めて、うん、うんとただ頷いた。

 佐久間は落ち着きを取り戻したあかねの手を取って、帰ろうと言った。

やっぱり自分は帰るべきなんだ、とあかねは感じた。

 来た道を戻って駅に向かおうとすると、ぐいと手を引っ張られた。

「私の家、こっち」

 佐久間はあかねの手をしっかり握ってそう言った。「帰ろう」の意味をあかねはようやく理解した。そして隣を歩く佐久間に何と言って良いかわからないほど感謝した。

 佐久間は帰路を辿る間ずっとあかねの手を握り続けていた。強く、強く。それはどんな言葉よりもあかねを安心させた。

 

 あかねは佐久間の家でアクセサリーの製作や刺繍を行う内職を始めた。面接や登録、納品の全てを佐久間が請け負ってくれた。あかねはただただ型通りに品物を製作した。

佐久間は何とも思っていなかったが、あかねは事ある毎に居たたまれない気持ちになった。

 あかねが沈んでいるのを見ると、佐久間は大丈夫だよと言ってその手を自身の両手で包んだ。

 佐久間がいれば生きていけるとあかねは信じた。


 ある晩、佐久間は帰ってこなかった。

 残業などこれまで一度もなく、ほぼ定刻に帰宅した佐久間だったが、この日はとうとう帰らなかった。

 あかねは待った。何か急用が入ったのかもしれない。そう思った。無心で刺繍を続けた。納品日なのに佐久間さんが帰ってこなかったら、私くびになっちゃうのかなぁといささかのん気なことを考えていた。

 佐久間は帰らなかった。

 あかねはそれでも佐久間を信じていた。何も言わずにいなくなるようなことはしない人だと固く信じた。

 佐久間を見なくなって二日。あかねは衝撃の事実を知った。地域のニュース番組で、佐久間の死が報道された。死因は致死性不整脈で…とキャスターは淡々と言葉を紡いだ。

 あかねは目の前が真っ暗になるのと同時に転がっていたカッターナイフを手に取った。


 

 これがあかねが幽霊になるまでの全て。

そして彼女が手首を切って遅ればせながら佐久間の後を追ったのが、今私が住んでいるこの部屋だ。

 あかねにはきっと、佐久間との日々の残像があちこちに見えていることだろう。

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