幽霊はあかいしあかね

 「何で急にあなたが見えるようになったのかな……」

 幽霊と、ローテーブルを挟んで座った。今、その曖昧な存在が座っている場所に、他人が座ったことなんて一度もなかった。

 不思議な気持ちだった。

「……。多分、なんだけど。お姉さんが確実に、明確に死に触れたからじゃないかなって、思います」

 ふうん。そんなもんなのかなぁ。じゃあ、今までは「死に触れた」ことがなかったということか。何となく、それは残念だなぁと感じた。あんなにも「死」を願っていたのに、その一欠片さえも理解できていなかったということだ。その一欠片とも、通ずることができなかったということだ。

 「死」は、私を認識していなかったんだ。

 私は「死」に気づかれてさえいなかったんだ。

「お姉さん!」

 慌てて顔を上げる。会話をしているのに考え事なんて、失礼だっただろうか。

「私はあかいしあかねっていうの。だから、あかねって読んでください」

 幽霊、否、あかねは明るい声で名乗った。

「そんな暗い顔、しないでください」

 え、そんなに暗い顔してたかな、と口が自然に動いていた。

「まぁっくらでしたよ。もうブラックホールみたいに。吸い込まれちゃいそうでした」

 あ、でもお姉さんになら吸収されてもいいです。なんて言って、あかねは笑った。

 本当に、私なんかのことが好きなの?

 ……その問いは訊けない。

「そうだ。お姉さん、名前は?」

園木柘柚そのぎつゆず

 いい名前だね、とあかねは言った。

 あれ、でも何であかねは私の名前を知らなかったのだろう。「全部見てた」ならば、知っていても不思議ではない筈だ。逆に知らない方が不思議なくらい……。

「字が読めないの」

 不意に、あかねは言った。この子はひょっとして人の心が読めるんじゃないだろうか。幽霊だし。

「それに、書けない」

 死んだからこうなったわけではなくて、とあかねは続けた。生前も、ほとんど読めず書けずだったらしい。その症状が、死んでから更に悪化したと言うのだ。そして、耳慣れない単語が、その口から飛び出てきた。

 ディスレクシア。

読み書きする際に困難が伴う学習障害であると、あかねは教えてくれた。

 もちろん全く読めない、また書けないというわけではなく、時間と労力を割けば決して不可能なことではないらしい。

 しかし死んでからというもの、文字だとおぼしきものはみな、へんてこりんな線の集合体にしか見えなくなってしまったという。

いくら時間をかけて読もうとしても、書こうとしても、生前のようにはいかなかった。

「柘柚さんの名前、知りたくても、知ることができなかった。電話に出るとき下の名前も言ってよって何度も思った。今わかって、ほんとに嬉しい」

 あかねは本当に嬉しそうに、表情だけで大きく笑った。その目元にちらりと浮かんでいるものを見て、この子は何て純粋なんだろうと思った。

 こんなにきれいな子が私を好きなんて……疑いたくなってしまうけれど、疑いようのない事実だと実感した。

 相棒は今度こそ、完全に消失した。

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