epilogue

「私は。普通に、生きてきました」


 車の助手席。眠る女性。


「普通の生活。普通の仕事。普通の日常。ぜんふぜんぶ、普通でした」


「これでもそこそこ偉くて、能力もあって。そのせいで内偵なんかやらされてて。人を疑って、追い詰めて、逮捕して」


「そういう、日々でした。心がないほうが、仕事が楽だったんです」


「あなたの作った、あの、真っ直ぐで曲がってる、あの作品」


「あれを見て。どこがどうとは、よく分からないんですけど。震えました。心はないので、心が震えたわけじゃないと思うんですけど、とにかく」


「生きていることを、その事実を、感じました」


「ありがとうございました。あの作品に出逢えただけでも、私の人生に、価値はあった。ああいう、凄いものを作るあなたこそが、本当に、普通なんだ」


「普通じゃないのは、私のほうだ。それに、気付きました。ありがとう。最後に出会えて、良かった」


 助手席の女性。


 運転席のひとの胸に、手を当てる。


「起きてたんですか」


「しんじゃだめ」


「なんの話ですか。私は普通に」


「しんじゃいけない。心が、身体に、血を送り続けるかぎり。しんじゃ、だめ」


「しにませんよ」


「ごめんなさい。わたし。また寝ぼけて変なことを。忘れてください」


 離れる、手。


「しにたくなることは、あるんですか?」


「あります。人に会えない。人の集まるところに、混ざれない。それだけで、しにたくなります。わらってください」


「あはは」


「普通に生きるのを夢にしても、その夢は、ぜったいに、かなわないんです」


「あなたは、しあわせですよ」


「しあわせ?」


「複数人が集まると、差ができて、上下が生まれて、関係ができて。どんどん、息苦しく、なっていきます。仕事柄、そういうのばかりを、みてきたので」


「つらかったですか?」


「心がないので、つらいとは思いません。あなたは、複数人が集まるところに行かなかった。あなたの普通は、きっと、すばらしく、暖かいものです。大事にするといい」


「しぬん、ですか?」


「ええ」


「わたしも」


「あなたはだめだ」


「どうして」


「だめだ」


「わたしも。もう。つかれたの。つかれました。生きてきた。ここまで。生きてきたの。もう、充分です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る