其の三十三 初恋上等――、タイトルに巨乳という字が入ってるラブコメなんて、およそ〇〇なのは明らかだったわけで


 視界の端から端まで広がる青空は相変わらず果てが無くて、まっ平な灰色の地面は相変わらず無表情で――


 全てが始まったこの場所……、『学校の屋上』で、ポツンと佇む私と先輩の距離はおよそ二メートル。先輩はポリポリと頬を掻きながら明後日の方向に目をやっていて、かく言う私もギュっと身を縮こませながらジッと地面を見つめている。


「あの――」

「なぁ――」

 視線が交錯し、二人の声が重なり――


「……あっ、先輩から、先にどうぞ」

「……い、いや…、春風から言ってくれ」

 ――先輩は再び明後日の方向に目を向け、私の視線が灰色の地面にポツンと落ちた。



「…………」

「…………」



 ――果たして、『どうしよう』。


 ……やるべきことはわかっている。自分の気持ちを、想いを、伝える――、先輩に告白する。たった、それだけ。


 ――たったそれだけのことなのに、どうやって話しを切り出せばいいのかが全くわからない。――いきなり好きっていうのも違うし、とはいえこのタイミングで世間話するのも変だし……、あ、っていうか、私、この前のコトを、きちんと――


 

「せ、先輩! こ、この前は――」

「お、一昨日の夏祭りのことだが――」

 視線が交錯し、二人の声が重なり――




「――すまなかった」

 私の瞳をまっすぐに見つめながら、その続きを繋いだのは『先輩』だった。




「えっ……?」

「お前に、ひどいことを言ってしまったと思ってな。その、謝りたかった……」


 弱々しい声で、しかしハッキリとした輪郭を以て――、たどたどしく声を紡ぐ先輩は、なんだか『らしくない』。

 ――でもその姿は、ひとかけらの勇気を、一心に振り絞っているようにも見えて――


「……そ、そんなっ!? 先輩のことを裏切るようなことをしたの、私なので、私の方こそ、もう一度きちんと謝りたくて――」

「――でも、悪意があったわけではないのだろう?」


 ――慌ててまくし立てる私の声を、そんな言葉が優しく包む。


「さっき保健室にお前が駆け込んで来た時、僕のために泣いてくれただろう? 他人事なのに、まるで自分のことのように、僕のことを心配してくれていて――」


 先ほどの醜態が脳内にフラッシュバックし、私の顔がゆでだこのように赤みを帯びる。でも、そんな私を笑うこともなく、先輩の顔はハッとなるくらい真剣で――


「――今思えば、お前はいつも不器用でまっすぐだった。……そんなお前が、人の気持ちを踏みにじるようなこと、するわけがないと……、少し考えればわかることなのにな。だから、スマン――」

「先輩……」


 思わず声を漏らした私の心臓が、ゴトリと揺らぐ。

 とうに限界を迎えていたと思っていた恋のバロメーターは、メモリのマックス地点をさらに振り切ろうとしていて――

 


 ――言おう、今なら、言える……

 私の口から、自然と声がこぼれる。


「先輩、私――」



 灰色の地面を踏みしめて、私は一歩、先輩へと近づいた。



 ――而して、私の歩みに呼応するかのように、先輩が一歩後ろに引いて――


「な、なんだ?」




 ――果たして、『あれっ?』。

 恍惚な表情で眼前の想い人を見つめる私とは対照的――、先輩の声はうわづり、なぜかその頬はひきつっている。


「……あ、いえ……、先輩、私――」

 ――再び、私は一歩、先輩へと近づいて、


「ど、どうした?」

 ――再び、先輩が一歩後ろへと下がる。




 ――果たして、『なにこれ?』

 恋のバロメーターが限界点に達していた私の脳内、急速に頭が冷えていく感覚があって、グルグルと嫌なイメージが駆け巡り――



「――なんで、ですか?」


 私の口から、恐ろしく低いトーンの声が漏れ出た。



「な、何がだ?」

「先輩は、なんでそうやって、いつも私から距離をとろうとするんですか?」

 ――こんなことを、聞きたいわけじゃないのに……

「い、いや、それはだな……」

「……さっき言った言葉は嘘で、やっぱり私のことを避けてるんですか?」

「――ッ!? それは誤解だッ! その、この件に関しては、理由があって――」


 ――私は、先輩に『告白』したいだけなのに……ッ!



「――教えて……」


 私の口から言葉が止まらない、感情が、止まらない。

 眼前の先輩は明らかに困惑している、でも、ここまで来てしまったら――


「……春風……?」


 自分の想いを、溢れそうなエゴを、

 身体の中にとどめておくことなんか、到底できなかった。



「……理由があるなら……、教えてくれるまで、ここから離れませんッ――」


 視界の端から端まで広がる青空が淡くぼやけて、まっ平な灰色の地面がぐにゃりと歪んで――、くしゃくしゃに潰れた顔で、目に一杯の涙を浮かべているのは『私』で――



「――わかった……」


 一筋の滴が水たまりに落ちゆくように、

 先輩の声が、がらんどうの空に響く。



「えっ……?」

「話す……、話すから……、泣くのを、止めろ……」


 ポリポリと頬を掻いている先輩が、罰の悪そうに明後日の方向を見ている。『泣くな』と言われた私の目から、みるみる大粒の涙が溢れ出てきて――


「ホント……、ホントに教えてくれるんですか?」

「ああ……、ただし、条件がある」


 ――出し抜けに、そんなことを言い出したのは『先輩』だった。


「……条件?」

「――聞いた後で、絶対に怒るんじゃないぞ?」

「……? は、はい……」


 涙腺に一時停止をかけた私はきょとんとした顔で先輩を見つめており、彼は覚悟を決めたようなタメ息を吐きだした。「じつはなぁ」とこぼしながら天を仰ぎ見て、ボソボソと、覇気のない先輩の声が、私の耳を迂回していく――




「――中学生くらいまでの僕はな、実は今ほど人嫌いじゃなかった。……信じられないかもしれないが、どちらかというとクラスの中心で、みんなを積極的に遊びに誘うような人間だったんだよ。……で、ある時な、一人のクラスメートの女子が、僕に告白をしてきたんだ。私と、付き合ってくださいって……。僕もその子のことを前から気になっていてな、嬉しくて、舞い上がりそうだった。だから、もちろんOKの返事をしようと思って、恥ずかしがって背を向けている彼女の元に歩み寄って――」


 そこまで言うと、先輩は一度言葉を切った。チラッと私のことを窺い見て、すぐにまた、視線を逸らして――、急に昔話を始めた先輩の意図が掴めず、私はきょとんと目を丸くしたままで――


「――果たして、事実は小説より奇天烈に展開するものだ……、僕の足元にな、バナナの皮があったんだよ」



「……えっ?」

 きょとんと丸くなっていた私の目が、点になる。


「……それでな、僕はバナナの皮に足を滑らせ、盛大に身体のバランスを崩した。思わず大声をあげてな、びっくりした彼女がこっちを振り向いて……」


 ふと、逡巡するように先輩が言葉を止める。地面に目を落として、顔を真っ赤に染め上げて、ボソボソと、覇気のない声で――


「……その、彼女の胸を、思いっきり触ってしまったんだ」




 ――はっ……?



 このひと、

 さっきから、

 いったいなにをいっているんだろう。




「……彼女、中学生の癖に発育がよくてな……、思いっきり、鷲掴みにしてしまったんだ。……い、いや、もちろんすぐに離したんだが、すべては、遅かった……。彼女が悲鳴をあげて、何事かと廊下を歩いていた他の生徒が、先生が、教室になだれこんできて――、彼女、目に涙を浮かべながら叫んだんだ。『冬麻くんが、わたしのおっぱい触った!』って――、僕はもちろん否定した。違う違うと、懸命にな……、ただ、妙な興奮と焦りで、僕は完全に頭に血が昇ってしまって……、違う違うと宣いながら、その場で鼻血を出してぶっ倒れてしまったんだ。……その日から、僕には『乳・揉み太郎』というあだ名が付けられた。――僕に告白してくれた彼女はもちろん、学校中の女子が僕のことを毛虫のように嫌ってしまって、元々仲が良かった男友達も僕のことをからかうようになって――、僕は、人と距離を置く様になった。そして……、その日以来、その……、む、胸が大きい女性が苦手になってな、近づかれるだけで、赤面してしまうんだ、だから――」


 そこまで言うと、先輩は一度言葉を切った。チラッと私のことを窺い見て、相変わらずその顔は真っ赤で……、目が点になっている私の頭によぎったのは、一抹の……、いや、百抹くらいの、『嫌な予感』で――



「そ、その――、最初に会った時から、お前の胸が……、気になって、しまって――」



――得てして、『予感』は『悪い』ほど、『的中』してしまうものである。




「――先輩……」



 心の声を失った私の口から、



「なんですか、そのくだらない話は」



 機械音声みたいな声がこぼれた。




「……えっ?」


 ――思わずマヌケな声を上げたのは『先輩』で――、……いやいや、私にはその『意外そうな顔』の意味が全くわからない。恋のバロメーターはとっくに限界点を振り切っており、代わりに私の胸の中からフツフツ込み上がってきたのは、マグマのような『怒り』で――


「――バナナの皮……? 乳・揉み太郎……? そんな……、そんなくだらない過去の……、理由の、ために……、私は眠れないほど悩んで……、先輩に嫌われてるんじゃないかって、一人で焦って――」

「お、オイ、くだらないって……、僕はこれでも、あの日以来ずっと悩んでいて――」


 先輩はおたおたと慌てた声で弁明を試みているようだが……、――果たして、そんな声が私の耳に届く『わけがない』。ふるふると身体が震えて、呼応するかのようにその声も震えていて――


「……私は、私は……、なにも、望んで巨乳になったわけじゃないのに……、それが、そんな理由で、好きな人と、い、一緒に……、なれないなんて……ッ!」



 ――ぷつんっ



 頭の中で、

 私の中の、

 何かがキれた。



 ――顔を上げた私はキッと先輩を睨みつけて、ズカズカと無遠慮に歩み寄る。


「ま、待て春風ッ! 約束が違うじゃないか! 僕の話を聞いても決して怒らないと――、お、オイ、それ以上近づ――」


 ――「構うものか」と近づく私に、後ずさりしていた先輩はいよいよ情けなく地面に尻もちをついた。「逃がすものか」と私は、先輩に覆いかぶさるように両手を地面について――


「――ヒッ……!」



 ――果たして、『馬乗り』。


 女の子みたいな悲鳴を漏らす先輩と、そんな先輩にまたがっている私との顔面の距離は、鼻先三十センチメートル……、顔を真っ赤にして慌てている先輩と、顔を真っ赤にしてギロリと先輩を睨みつけている私の視線が、交錯して――


「……巨乳なんて、巨乳なんて……ッ」


 ボロボロと溢れる涙と共に、

 恋のバロメーターが、

 派手な音を立ててぶっ壊れた。



「……巨乳なんて……、私と付き合って克服すればいいじゃないですか!?」




 ――果たして、『なにこの告白』。


 ハァハァと肩で息をしている私の身体はブルブル震えており、鼻先三十センチメートル先で顔を真っ赤にしている先輩がポカンと大口を開けている。


「……お、お前、自分が今何を言っているのかわかっているのか……?」

「――わかんないですよッ! もう全部、何にもわかんないです! ……どうせ、私の頭なんて、筋肉とおっぱいでしかできてないんだから……、ロマンチックで胸がときめいちゃうような告白なんて、できるわけないじゃないですかっ!」


 溢れる感情が、もはや恋慕なのか、怒りなのか、情動なのか、興奮なのか……、自分でも判断することができない。私の中のあらゆる『気持ち』が、三日三晩煮込まれた鍋のようにドロドロ溶けだして、ボロボロと溢れる涙と共に、私の口からは言葉が止まらない。



「……全部、先輩のせい――」

 ――震える声が、夏の湿った風に漂い、


「……えっ?」

 ゆらりと揺らいで、先輩の耳に届く。



「――私は、それでも……ッ、そんなくだらないことに、ずっとずっと悩んでいるようなバカな先輩でも……ッ、好きで好きで好きで好きで――、もう先輩のことしか考えられないし、ずっと一緒に居たいし、いますぐにでも抱き着きたいし……ッ!」


 ――思わず、地面に倒れ込んでいる先輩の胸に顔をうずめた。溢れる涙と鼻水が、汗だくになっている先輩のワイシャツに混ざり合って――



「……だから……、だから……ッ!」


 私は、大好きなその人の胸の中で、


「――先輩の気持ち、聞かせて、欲しいッ……」


 等身大の想いを、剥き出しのエゴを、

 かすれ切った声で、叫んだ。




「――春風」


 幾ばくかの静寂が流れて、ふいに私の名前を呼んだのは先輩で――


「……『クロユリ』を二人で観に行った日の夜……、音楽を諦めそうになった僕を、カッコ悪いって、叱ってくれたな。僕のサックスを、好きだと言ってくれたな」


 夏風がフワッとそよいだかと思うと、火照った私の皮膚にまとわりつく。


「……あの日から、決めていたんだ。僕は、自分のためではなく、……その、大切な人のために、音楽を奏でようと」



「……えっ?」


 ――思わず顔を上げて、くしゃくしゃになった顔面をあけっぴろげな青空に晒したのは『私』で――、眼前の先輩は相変わらず真っ赤な顔をしていたけれど、でも真剣な表情で私の目を見つめていた。



「――お前だよ。僕に大事なことを思い出させてくれた、春風のために、音楽を続けようと、本気で思ったんだ」



「先……、輩ッ――」



 ――『涙が枯れ果てる』なんて言葉は、きっとウソだろう。

 再びボロボロと泣き出した私は、でもしっかりと先輩の顔を見ていたくて――


「……お前に、ちゃんと自分の気持ちを伝えたい……、だけど、今の僕じゃダメなんだ。過去のトラウマを未だに引きずっているような、情けない僕じゃ、ダメなんだ……」


 静かな声で、でも一音一音大切に紡がれるような先輩の声が、しっかりと私の耳に響く。


「……だから、一つ提案がある」

 ――そして、先輩がそんなことを言う。


「なん……、ですか?」



「――お前のその胸を、今この場で揉ませてくれないか?」







「…………はっ?」



 ――取り急ぎ、溢れる涙には一時停止をかけて、私は握りこぶしに力を込めることにした。



「――ち、違う! そんな目で見るな! ……誤解だ、聞いてくれ!」

「――先輩が、わかりやすいタイプの変態だということはよくわかりましたが、何をどう説明したら誤解が解けると思うんですか、その発言」


 ――あたふたと、甲高い声をまくし立てているのは『先輩』で――、私は握った右掌から力を緩める方法がわからない。


「……い、いやな。僕は、このトラウマを、赤面症を――、本気で直したいんだ。過去の自分に打ち勝って、等身大の僕として、お前と、向き合いたいんだ……ッ!」

「――それは、わかるんですが、なんで私の胸を揉む結論になるんですか?」

「あ、いや……、虎穴に入らずんば戦は出来ぬと言うではないか。……荒療治ながら、苦手意識のある胸にあえて触れることによって、その、自分を、乗り越えられる気がして……」

「……先輩、自分が今何を言ってるか、わかってますか? ちなみに以前指摘し忘れましたが、虎児を得ず、です」

「……わかっているつもりだ、ぼ、僕は……、本気だ――」


 ふいに、全身からフッと力が抜けて、顔を真っ赤にしながらわけのわからないことを言っている先輩を眺めていると、


 なんか、ヤケになってきて――



「先輩……、本気……、なんですね――」



 おもむろに彼の左手を掴んだ私は、その弱々しく白い手をそっと動かし……、

 先輩の体温が、私の胸に伝う。




「――なッ!?」

「いい、ですよ……」


 恥ずかしさで顔面が爆発しそうになるのをこらえながら――、でも目の前の先輩の顔は赤くなりすぎてもっと大変なことになっていた。ゆでだこのソレをはるかに凌駕しており、もはや例えるべき比喩表現が見当たらない。


「いいのか……」

「……それで、先輩が自分に打ち勝てると言うなら、過去のトラウマを、乗り越えられると言うなら――」


 フワッと夏風がそよいで、私は思わずギュっと目を瞑って――


「いくぞ……」


「は、はい……」


「……ほ、ホントにいくぞ……?」


「……っていうか、この状況がすでにかなり恥ずかしいので、は、早くしてください……ッ」




「……う、うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「――~~~~~~~~~~~ッッ!」


 先輩の絶叫と、

 私の声なき悲鳴が、

 無限の青空に、響き渡る。




 ――むにゅっ。







 ――果ての無い青空を染めゆくは、『紅蓮』。


 突如現れた深紅が私の視界を奪い、

 先輩の白い手がレッド・オーシャンの海に沈む。



 ……要約すると、

 盛大に吹き出した先輩の『鼻血』が、

 私の顔面にぶっかかった。







 ――果たして、『閉幕』。


 タイトルに『巨乳』という字が入ってるラブコメなんて、およそ碌なオチにならないことは、火を見るよりも、水をかぶるよりも明らかだったわけで――


 拙いエピローグを以てして、真の幕引きを迎えたいと思う。

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