其の三十一 夏風ヒラリ――、水陸両用の戦車は、而して抱き寄せてみると驚くほど柔らかい


『フハハハハハハッ! 聖騎士レイラよッ!! お前が守りたかったバナーナ王国はすでに我が暗黒猿軍団の手に堕ちたッ! 大人しく降伏し、聖剣トコナッツ・ソードをこちらに渡すがよいッ!』

『くっ……、世界のバナナを全て喰らいつくさんとする野望を持つお前らに……、誰が白旗など振るものかッ! この世界の人々は……、愛は……、バナナは……、私が、命を投げうってでも守って見せるッ!』

『ぐおおっ……、その光は……、ま、まさかお前に、まだそんな力が――』

『喰らえッ!! トロピカル・スプラ~~シュッ――』



「…………」

「…………」

「…………」



 ――ハッ。



「……いけないけない、またボーッとして見逃してしまっていたわ。今日は聖騎士レイラのハイライトシーンを集めて、MAD動画を作るつもりなのに……」


 ――カチカチッ……


『フハハハハハハッ! 聖騎士レイラよッ!! お前が守りたかったバナーナ王国はすでに――』



「…………」



 ――えっ、双葉……、どこ行くの?



「…………」



 ――ごめん、ね……




 木造二階建ての一軒家、アニメのポスターやらフィギュアやら……、妄想の世界に埋め尽くされた『私』の部屋で、私……、『如月双葉』が、誰でもない誰かに向かって許しを乞う。




 ――コンコンッ


「――えっ?」


 ふいにノックの音が聞こえて――、でもその音が部屋のドアを叩かれたものではないことは、音の方向ですぐにわかった。


「外……、窓になにかぶつかったのかしら? でも、今日は別に風が強いわけでもないし――」


 誰に向けるでもなく独り言を漏らした理由は……、そうしていないと恐怖に耐えられなかったからだ。チラッと時計に目を向けると、時刻は0時過ぎ――、こんな夜更けに二階の窓をノックする輩は、『あわてんぼうのサンタクロース』か『変態』が相場と決まっている。


 ――コンコンッ


「……気のせいでは、無さそうね――」


 ぎゅっと身を縮こませた私は、恐る恐る音の出どころへと近づく。カーテンを少しだけ開けて、細い目をさらに平らにしながら、そーーっと外の様子を確認し――




「――はっ?」


 次の瞬間、マヌケな声と共に、神秘のヴェールを無作法に引き開けた。


 透明なガラスの向こう側――、立ちそびえる樹木の幹にまたがるは、『制服姿の女子高生』。唐突な私の登場にびっくりしたのか、ひとくくりのポニーテールを揺らしながら、びくっとその肩を震わせた。



 ――ガチャッ、ガラガラ……


「――や、やぁ、こんばんわ――」


 ヘラヘラとだらしない笑顔を浮かべるは、『あわてんぼうのサンタクロース』でも、『変態』でもなく――



「……モモカ?」

 ――『よく見知っている巨乳』が、人間離れした木登りに勢を出していたわけで。




「……あなたは本当にハルカゼモモカなのかしら、それとも、彼女の身体に乗り移った暗黒猿軍団の化身かしら」


 眼前の状況を未だに受け入れられない私は、自分自身の頬を自分自身の指でギュウッと少しだけつまむ。痛い。――ってことは、これは夢でも妄想でもないのね……。


「……ほ、本物だよ! 勝手に人をアニメの敵キャラにしないで!」


 なるほど、目の前の彼女は確実に杏々香だし、これはリアルな世界の出来事らしい。

 ……ってことは――


「――単刀直入に聞くわ。あなた、人んちの庭の木の上で、一体何をしているの?」

「い、いや……、スマホで何度も連絡したのに返事ないし、家のチャイム鳴らしても誰もでないし……」

「……あら、一体――」


 ポリポリと罰の悪そうに頭を掻いているのは『杏々香』で――、首を斜め四十五度に傾けている私の頭上、新品の豆電球がピコーンっと光った。


「……なるほど、家のチャイムはちょうど壊れているし、私のスマホは電池が切れていたわ。……事実は小説より奇なり。運命の悪戯が複雑に絡み合うと、うら若き女子高生を木登りに駆り立てるのね……、っていうか――」


 ――唐突に、頭上の豆電球が光を失い、代わりにクエスチョンマークがタップダンスを披露する。


「――あなた、こんな時間にうちに来て、どうやって帰るの? そろそろ終電の時間だと思うのだけど……」

「あ、ここまで自転車で来たから、ご心配なく……」



 ――果たして、『正気かしら?』。

 細い目つきを最大級に丸くした私が、一呼吸遅れて返事を返す。


「……え、私とあなたの家……、駅三つは離れているわよね……?」

「ハハッ……、まぁ夜で人通り少ないし、全速力で漕いだら三十分くらいだったよ」



 ――果たして、『失念していたわ』。

 ……眼前の少女は、まごうことなくうら若き女子高生だが……、同時に、筋肉おっぱい魔人でもあったのだ。彼女が駆ければたゆんだ乳は残像と化し、やろうと思えば車一つくらい平気で持ち上げられるだろう。


「……あなた、水陸両用の巨乳だったのね……、将来敵に回らないことを強く願うわ――」

「――それはどうツッコめばいいのよ……、っていうか、双葉――」


 杏々香は妖精のように木の幹に腰を掛けており、夏風が舞うたびに紺のスカートがヒラリと翻る。口をもごもごと動かしながら何かを言い淀んでいる彼女は幼子の如く……、


 おなかが空いていることを伝えたいのか、

 買って欲しいオモチャがあるのか、

 怖い夢を見て眠れないのか、


 あるいは――


「……えっと、えっと……、今日は、情けないこと言っちゃって……、ゴメンね、ここまで応援してくれていたのに……、あと――」


 ふいに、まっすぐな瞳で杏々香が私を見つめ、私たちの視線が夏の夜空に交錯する。


「――昼は弱気なこと言っちゃったけど、やっぱり私、先輩にちゃんと気持ち伝えることにしたから……、もう、逃げないよっ――」



 ――この子は……。


 本当に、どこまでもまっすぐで、呆れかえるくらいに純粋で……。

 あまりにも綺麗なその瞳に、誇張無く私は吸い込まれそうになってしまって――



「……それだけ、言いたくて。じゃあ、おやすみ――」

「――待って、待ちなさい」


 ハッとなった私は、舞台から降りようとした彼女を慌てて呼び止める。


「……確認させて。あなた、本当にそれを言うためだけに、駅三つ離れた私の家まで、わざわざ全速力で自転車を漕いでやってきたの?」

「……え、そうだよ」

「……明日、学校で言えばいいじゃない」

「……まぁ、そうなんだけど、なんか、今日のことは、今日の内に決着つけたくて。双葉と気まずいまま寝るのも、なんかヤだったし――」


 はにかむように杏々香が笑って、エヘヘと拙い声を漏らして、緩い夏風が吹いたと思ったら、紺のスカートがひらりと翻って――



「……モモカ」

「――えっ、ど、どうしたの……?」


 ――気が付けば、私は窓の外に身体を伸ばして、木の幹にちょこんと腰を掛ける妖精をぎゅっと抱きしめていた。汗のにおいがフンワリと私の鼻をくすぐり、私の身体の中に、彼女の鼓動が流れ込んでくる。


「――いえ、あなたがあまりにも子供みたいなこと言うもんだから、ふいに抱きしめたくなったの」

「……なによ、それ……」


 ぎょっと強張らせていた彼女の身体から力が抜けるのを感じて、杏々香もまた私の肩に手を回した。リンリンと、夏の夜虫が遠慮がちに唄を歌い、この場所には私たち二人しか存在していない。

 どうしようもなくまっすぐで、どうしようもなく不器用で、どうしようもなく巨乳で――、とてもじゃないけど、目を離すことのできない親友のことが、愛おしくて愛おしくて、離したくなくて――


「――私の方こそ、ごめんなさい……、どんな結果が待ち受けようとも、あなたの傍に寄り添っていたい……、なんて言いながら、突き放すようなことしちゃって――」

「……いいよ、その方が双葉らしいし、嬉しかったよ」


 ふいに笑った彼女の声が、以前よりなんだか大人びて聞こえる。


「……モモカ」

「……なに?」


 ――自分の気持ちを、くだらない冗談で紛らわすことしかできない私は――


「……胸がでかすぎて、腰に手を回すのが大変なのだけど」

「……双葉の手が短すぎるのっ」


 でも、こんなささいなやり取りが、

 何よりも代えがたい私の大切な時間だった。

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