其の二十八 解夏吹雪く――、うだるような暑さは、しかし曇天模様など露知らず
陽明学園、二年一組、とある昼下がりのワンシーン。
私……、『春風杏々香』の上半身は完全に机の上に突っ伏しており、その姿勢のまま少なくともニ十分は経過していた。
「……まるでゾンビの干物ね」
――そんな私を眺めながら、呆れたような声をこぼしたのは『双葉』で――
「……生きた、人間ですぅ――」
――而して、そう返した当の本人ですら、「自分は今生きているのだろうか」と疑心暗鬼になっていたりする。
「何があったのか……、聞くのが正直怖いのだけれど……、確かめさせて」
喧騒渦巻く教室の中で、私たち二人を包む半球体の空間だけが静寂に包まれている。バリンと、透明なガラスに双葉がひびを入れて――
「――あなた、昨日はちゃんと、想いを伝える事はできたのかしら?」
その声が、机を突っ伏している私の耳に、ハッキリとした輪郭を以て響く。
「…………できなかった」
私は相変わらず、一呼吸開けてからしか返事を返すことができず、顔もあげずに暗闇の世界に声を放り投げていて――
「……だからそんなに落ち込んでいるのかしら?」
「…………そうじゃない」
「違うの? じゃあ何か大きな失敗でもしてしまったのかしら?」
「…………うん」
「……何をしたの?」
「…………それは」
――暗がりでキャッチボールをしていると、どこからボールが飛んでくるかわからない。突如視界に現れる真っ白な球体、私の身体はビクッと震えて……、コロコロと転がるソレらを拾っては、びくびくと震えながら投げ返す。どこに向けるでもなく、山なりに、弧を描くように、えいやっと。
段々、ボールを拾い上げるのも、腕を振り上げるのも、何もかも億劫になっていって――
「――言いたく、ない……」
叱られた子供のように私の声が萎んで、はぁっと漏れ出た双葉のタメ息は呆れかえっていた。
「私は今、とんでもなく情けないんだろうな」という自覚はあった。けど、目さえ瞑ってしまえば、一切のリアルは暗がりに溶け込んでいくのも知っていたし、耳さえ塞いでしまえば、一切の音を遮断できるのも知っていたし――
「――これだけは確認させて、あなた、自分の想いを先輩に伝える気持ち、まだあるのよね?」
――果たして、『如月双葉』のその声が、
私の耳の中で、輪郭を以てして響く。
「…………」
「……どうしたの、何故、黙っているのかしら」
「……もう、このままでも、いいかも――」
――学年も違うわけだし、意図的に会おうとしなければ、会う事もないだろうし、顔を会わせても、何を言っていいのかわかんないし、そもそも、顔を見るだけで、辛いし――
「――そう……」
幾ばくかの静寂を経て、淡々とした声を漏らしたのは『双葉』で――、彼女は食べかけのお弁当箱にパタリとフタをして、ガタンッとおもむろに席を立つ。
「――えっ、双葉……、どこ行くの?」
「さぁ、中庭か、屋上か……、とりあえずココ以外のどこかで、一人で昼食を取ることにするわ」
この期に及んで私はようやく顔を上げた。お弁当箱を片手に、私のことを見下ろす双葉の顔は、いつも通り能面のような無表情なんだけど――
「――今のあなたを見ていると、せっかくの食事がまずくなるもの、じゃあね……」
その声は、ロボット音声のように抑揚がなくて、私との一切のコミュニケーションを、強い意思で拒否しているように聞こえた。
「……えっ、ちょ、ちょっと――」
私は、何度同じ過ちを繰り返すのだろうか。
当たり前のコトが、どんなに大切かって。絶対にないがしろにしちゃいけないって、何度も気づかされていたはずなのに――
線の細い長い髪がフワッと揺らぎ、双葉はスタスタと教室の外へと消えていった。
喧騒渦巻く教室のど真ん中、バカみたいに、呆けたように立ちすくんでいるのは『私』で――
「も、モモカ、ちゃん……」
――私を呼ぶ声に目を向けると、小動物のように愛らしい河合さんが、オロオロと落ち着きない様子でこちらを見やっている。
「ご、ゴメンッ……、大丈夫、だからッ――」
――全く大丈夫そうじゃないトーンでそう返して――、じわりと涙を浮かべた私は逃げ出すように教室を飛び出し、真っ白い廊下を猛ダッシュする。
その後私は、鐘の音が鳴り終わるまで個室トイレに閉じこもり、
涙が乾くのを、何も考えずに、ただじっと待っていた。
※
どんなに気持ちが落ち込んでいようが、どんなに心が浮かれていようが、カンカン照りの太陽は私たちの肌をジリジリと照らすし、突然の大雨に私たちは抗うことができない。
だだっぴろい河川敷の直路は地平線の向こうまで続いており、同じ制服を身に纏う高校生の姿が点々と散らばっている。いつもと同じ道なのに、少し時間帯が違うだけで違う景色に見えるのがちょっとだけ不思議だった。
――放課後の訪れ、開けっぴろげなコンクリの地面を、私は一人歩いている。――部活に参加する気になれず、もちろん、屋上を訪れる勇気なんてなくて――
「……はぁっ」
耐え切れなくなった私が、短い息を漏らす。陰鬱の混ざった二酸化炭素が湿った空気に混ざり合い、すぐ近くを歩く同じ女子高生二人組の雑談が妙に耳に障った。
――一人で帰ることなんて、別に珍しいことじゃないのに、なんで今日はこんなに寂しく感じるんだろう……
思わず二度目のタメ息が漏れそうな私の耳に、「モモカ」と私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がして――
――えっ?
ふと横に目を向けると、癖の強い茶色の髪がフワッと揺らいで、鼻先三十センチメートルくらいの距離に、見慣れた顔があって――
「――うわぁっ!?」
ギョッと身体をのけぞらせながら、大声をあげたのは『私』で――、同じく、ギョッと身体をのけぞらせながら、またがっている自転車から転げ落ちそうになったのは『向日葵』だった。
「……お、オイ、でかい声出すんじゃねーよ、俺が変態みたいじゃねーか……」
「……ヒ、ヒマリッ!? ……アンタ、なんでこんなところにいるのよ、部活は?」
「――いや、その台詞、そっくりそのまま返すよ、部活行こうと思ったんだけど、教室の窓から、校門に向かうお前の姿が見えたもんだから、気になって……」
体勢を戻した向日葵が自転車にまたがりながら、明後日の方向を身ながらポリポリと頬を掻く。パチパチパチと三回瞬きを繰り返して、目を丸くした私は向日葵の顔をジッと見つめて――
「……それで、自転車で追いかけてきたの?」
「そう、だよ。だって――」
フッと向日葵がこちらに目を向けて、私たちの視線が交錯する。だだっ広い河川敷の直路、時間が止まってしまったみたいに私たち二人はその場に突っ立っていて、口をつぐんだ向日葵の前髪が夏風になびく。
「……私のコトは、気にしないでいいよ。向日葵は学校戻って部活行きなよ。ちょっと体調悪いだけ、だから――」
「……フーン」
フッと視線を逸らしたのは『私』で――、向日葵が私の言葉を真に受けているとは到底思えなかった。でも、私のコトをよく知る幼馴染は、それ以上私の『嘘』を追及しようとはせず――
「じゃあ、俺もサボろうっと」
――そんなことを言うもんだから、私の目が再び丸くなる。
「……えっ?」
自転車から降りた向日葵が、二輪のタイヤを押しやりながらだだっ広い河川敷を歩き始める。ゆるりゆるりと、のんびり流れる時間を楽しむように。
「な、なんでアンタまで休むのよ。いいから学校に戻って――」
「――なぁ、ちょっとここで、待っててよ」
くるっと振り返って、向日葵がニカリと白い歯を見せた。イタズラを思いついた少年のように笑って、彼が指さした先は傾斜の緩い川沿いの野っ原で――
「えっ」と私が声を漏らした時には、向日葵はガチャンッと自転車のスタンドを止め始めており、「いいからいいから」と掌をはたつかせながら、そそくさどこかへ行ってしまった。
「……なんなのよ、もう――」
……でも、奴の登場にホッとしてしまったのも事実で――
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