其の二十七 光が咲いて――、疑問符は人の足かせとなり、リアルは物陰に鳴りを潜める
「ここは……」
夏祭りの会場、街の小さな神社の境内……、の、すぐ裏手の野山。鬱蒼とした木々の群れに立ち入る人なんて基本的にはおらず、肝試しのスポットとして有名なくらいだ。緩やかな傾斜の獣道をよいしょよいしょと登り始めて約十分、鬱蒼とした木々が急に開けて、私の視界に広がったのはまっ平な夜空だった。
「……は、春風……、今、何時だ……」
ゼェゼェと肩で息をしている先輩が絶え絶えに台詞をこぼし――、実際、普段運動をしていない先輩の体力は男子高校生のソレとは思えず、私の肩を借りながらなんとかここまでたどり着いた次第だった。
「えっと……、もう、始まりますね、今八時ちょうどです」
「……よし、いいか、春風……、あそこ、空のちょうどあのあたりを、よーく見ていろよ……」
膝に手を当てて身体を九の字に曲げていた先輩がググッとその身を起こし、額に脂汗を浮かべながらピシっと人差し指を水平線に立てる。――対照的、涼し気な表情の私は言われるがまま、先輩が指さす方向に視線を移し――
「は、はい……、あの、一体何が――」
――ドォーーンッ……
その声が、七色の光によってかき消される。
――ドォーーンッ……
「わぁ……」
思わず、感嘆の声を漏らしたのは『私』で――、視界の端から端へ、数多の閃光が夏の夜空を塗りつぶす。耳をつんざくような炸裂音は、でもなぜか包み込まれるように優しくて、散っては消えゆく光の花が藍色のキャンパスに咲き乱れた。ひゅるりと舞い上がる粒子の種がパっと広がるたび、私たち二人の姿を、眩く照らす。
「……綺麗、だな」
ボーッと、無表情で夜空を見上げる先輩が、ポツンと声をこぼしたので――
「……綺麗、ですね」
私は、特に何を考えるワケでもなく、そう返した。
「――ここはね……」
遠くで響く花火の音に紛れて、ぼそりと呟いたのは『先輩』で――、私たちは夜空で視線を交錯させたまま、先輩の淡々としたトーンの声が二人きりの空間に流れる。
「子供のころ、あや芽と一緒に見つけた秘密の場所なんだ、花火も、夏祭りの喧騒も、街の景色も――、すべてを一望できる……、誰も知らない、僕たちだけの特等席だ」
「……いいんですか? ……その、御子柴先輩との思い出の場所に……、私なんか連れてきちゃって……」
「『思い出の場所』だなんて……、そんな大それたもんじゃないさ。第一、最初にココを発見したのは僕だ。あや芽がとやかく言う権利はどこにもない」
フッと、こぼれるように先輩が笑い、私は夜空に視線を向けたまま――
「そう、ですか……。ありがとう……、ございます――」
枯れてしまいそうなその声を、精いっぱいに振り絞る。
「――いや、僕のほうこそ、ありがとう」
「……えっ?」
――フッ、と隣りに目を向けると、七色の閃光が先輩の横顔をを淡く照らしている。
夏の夜空に目を向けながら、淡々としたトーンで先輩が言葉を繋ぎ始めて――
「……春風、お前と出会う前までの僕はね、たぶん音楽に、囚われてしまっていたんだ。『クロユリ』の世界観に圧倒され、いつか超えて見せると奮起し、いい音楽とは、人を感動させる音楽とは何か、それだけが頭を支配して――、その結果、本質を見失い、あさっての方向ばかり見ていることに、僕は気づいていなかった」
――ドォーーンッ……
「……花火、綺麗だな……、こんなにも、綺麗だったっけか――」
――ドォーーンッ……
「――音楽とは、感情を音に乗せて表現することだ。……僕はそう解釈している。花火が綺麗だったり、射的に夢中になったり、大切な人と手を繋いで歩いたり――、そうした、なんでもないありふれた日常で感じる心の機微を……、音に乗せて、人に伝えるのが音楽だ。音楽のこと『だけ』を考えていても、いい音を奏でられるわけがない。毎日の小さな感動に目を向けないヤツが、人を感動させられるわけがない。僕は、そんな当たり前のことを忘れてしまっていた。そして、それを思い出させてくれたのは――」
七色の閃光が私たち二人を淡く照らして、
柔らかく笑った先輩が、ふいに私の顔を見た。
「お前だよ、春風……、だから、ありがとう、だ……」
夏の夜風がフワッと舞って、一瞬だけ世界が止まった気がして――
――先輩、……好き、です――
でもその声は、私の心の中だけに響いて、
決して先輩の耳に届くことはなかった。
「――あ、先輩、あの……」
永遠とも思える時間が流れ――、いや実際には数分しか経ってないんだけど……、ようやく声を返すことができた私は、でも、もごもごと口をごもらせるのが精いっぱいだ。
「――お前は、不思議なヤツだな。ずかずかと人の懐に入り込んできて、壁の向こう側にいた僕を無理やり引っ張り出して、強引にいろんなところへと連れ回して……」
鬼気迫る私の態度を華麗にスルーするのは『先輩』で――、現代を生きる『かぶき者』は、『夏の花火』を『二人きりで見ている』という、およそ鉄板としか思えない青春シチュエーションにも関わらず、ロマンティックの『ロ』の字も感じていないようだった。
「えっ? あ、ご、ごめんなさい……」
「――いや、いいんだよ。狭い世界で生きていた僕は、広い世界を見る必要があるからな。――それにしても、何故こうも僕の周りには変人ばかり集まるのだろうか、お前といい、あや芽といい、先ほどの茶髪の男といい――」
――どの口が言うかっ!?
喉まで出かかったその台詞を、喉の奥底に再度呑み込む。
――って、ツッコんでる場合じゃない……、は、早く、言わなきゃ……、ちゃんと、『告白』、しなきゃ――
「……さて、慣れない人混みやら、久方ぶりの山登りやら――、僕は本格的に疲れてきた。この花火が終わったら、今日は大人しく帰るとしよう。いやはや、今宵はぐっすりと眠ることができそうだよ」
――果たして、『やばいっ!』。
先輩は今日のイベントを終わらせにかかっていて、試合が既にロスタイムに突入しているという事実が私の眼前につきつけられる。花火の時間が終わってしまえば、二人きりのチャンスがいつやってくるかもわからない。焦った私はとにかく会話を繋ごうと必死で――
「……で、でも先輩の家のエアコン、壊れてるんですよね? ぐ、ぐっすり快眠ってわけにはいかないんじゃないですか?」
『とんでもない失言』をしてしまったことに、
バカな私は気づくことができない。
七色の閃光が私たち二人を淡く照らして、
無色透明の真顔に直った先輩が、ふいに私の顔を見た。
「……春風、何故お前がそのことを、知っているんだ?」
「えっ……?」
最初は、先輩の質問の意味がわからず、ただただアホ面を晒している私だったが――
「あっ――」
ことの重大さに気づいて、その顔がみるみる内に青ざめる。
「家のエアコンが壊れたことは……、僕が個人的に開設している『クロユリ』のファンサイト、『カトレア』にしか書き込んでいない。それに、僕は『カトレア』では実名を晒していない……」
淡々と、自分自身にも説明するように、言葉を吐き出す先輩の顔は相変わらず無表情で――
「どういう、ことだ? 春風」
――その顔は、怒りを押し殺してるようにも、失望に打ち震えているようにも見えた。
「あ……、あの……、その――」
声の出し方が思い出せない。
先輩の顔を直視することができない。
――先輩が私を見る目つきが、何か汚いモノを見ているような気がして――
「……春風、質問を変えようか、お前、下の名前……、『モモカ』って言ったよな……、なんて漢字で書くんだ?」
「……えっ?」
ふと、先輩がそんな質問をしてきて――
「……な、なんで、そんなこと聞くんですか――」
全てを察した私は、この期に及んでヘラヘラと真実をごまかそうとする。
「――なんでも、クソもだ……、答えろ、春風……ッ!」
声を荒げた先輩の剣幕に私の肩がビクッと震え、ほとんど半泣きの私が虚ろな声で言葉を繋ぐ。
「……アンズの『杏』に、色々の『々』、カオリの『香』、です……」
「……お前、『杏』か?」
答えたく、なかった。
――でも、答えないってことは、『そうです』って言っているようなもので――
「……そう、だったんだな――」
それまで無表情だった先輩の顔が、フッと空気が漏れ出るように、しぼむ。
その表情が視界に入った私の心臓が、ズキッと痛んで――
「ご、ごめん、なさい……、ごめんなさい、ごめんなさい――」
その場にいるのが耐えられなくなった私は、
壊れたラジカセみたいに、
その台詞を繰り返すことしかできない。
「ごめんなさいッ、ごめんなさいッ、ごめんなさいッ、ごめんなさ――」
「――もう、いい」
恐ろしく冷たく、尖ったナイフみたいな先輩の声が、私の喉仏に突き立てられる。
「――お前は、裏では『杏』として僕の心に探りを入れて、表では『春風』として僕に歩み寄って……、何がしたいんだ? ……僕の心の葛藤を覗き見して、笑っていたのか?」
「――ッ! ち、違いますッ! そんなこと……、ただ、私は先輩の――」
「『そんなこと』……、あるだろう?」
無色透明な顔の先輩が、貫くように、射抜く様に、真っすぐと私の顔を見る。
――全てに失望して、全てを投げ捨てたような、空っぽな目つきで――
――もう、ダメかな……。
ふと、思った。
――もう何を言っても、私の声は――
先輩にきっと、届かない。
くるっと後ろを振り向いた先輩が、力ない足取りで私から離れていく。私は、その背中を目で追う事しかできなくて――
「――すまない、今日は一人にさせてくれないか。そして……、明日から屋上にも、来ないで欲しい」
――ドォーーンッ……
打ち上げ花火はいよいよクライマックスらしく、艶やかな閃光が夏の夜空を彩る。
七色の光に照らされる先輩の背中が徐々に小さくなっていき――
気づいた時には、私は誰もいない裏山で独り、茫然とただ立ちすくんでいた。
――どう、しよう……
真っ白な私の頭の中、無機質な五文字のテキストがぐるぐると巡り――
――どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしようッ――
増殖の止まない疑問符が、頭の中を真っ黒に埋め尽くす。
現実を直視するのを脳が明確に拒否していて、私は何も考えることができない。
――挙句の果てに、涙を流す方法すら、思い出すことができなくなった。
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