21: record 施設別館


 宇多川うたがわほたるは、かつて姉が着ていた女学院のセーラー服に袖を通した。本日は職員会議の名目で臨時休暇となり、形だけの自宅学習を切り上げて変装用のメガネを掛ける。今からシティ内の児童施設を回り、あさひとショッピングモールで見送った放置子の姉弟きょうだいを捜すつもりだ。

 飛田ひだにこれ以上の犯行をさせてはいけない。少しでも証拠を集めなければ。

 下準備として、遺品疑惑のあるペンと同じものを購入しておいた。ファンシーなデザインで、あまり流通していない海外製品のようだ。

 児童施設には、課題のための見学を申し込む予定でいる。事前に調べたところ、市民にひらかれた場所であるべきとの方針で、学生の来訪やボランティアなども広く受け入れているようだ。本当は旭にも来てほしかったが、姉弟に顔を憶えられている可能性が高いので慎重になった方がいいと判断した。

 歩きながら、メモ用のノートに可愛いペンを挟んで切なくなる。あの姉弟が死んだ子どもたちと交流していたとしたら、犯人や当時の状況について何か教えてくれるかもしれない。憶測にすぎないけれど、ふたりは仲間の誘いを断ってボートに乗らなかったのではないか。害が及ばないよう身の安全に配慮するので、叶うなら直接話を聞きたい。


 遠い順に訪ねた2件の施設は小規模で、ほとんどの子どもたちが夕食までの時間を談話室か園庭で過ごしていると説明があったが、姉弟は見当たらなかった。

 希望を持って最後の訪問先へ。ショッピングモールから最も近く、当時の収容人数に問題がなければそこで暮らしているはずだ。顔見知りに遭遇する危険が高いため、移動の際も目立たないよう後に回し、日が落ちるのを待っていた。

 想像より自然の多い区域にあるらしく、鬱蒼とした緑の間をバスで進む。

 歩道に降り立つと、夜の色になりかけた風が素肌に沁みた。

 バス停から坂を上り、門の側にいた大人に施設の見学を申し出る。それに気づいた、中等科の制服を着た男子学生がこちらへ来て、代わりに案内を引き受けてくれた。

 通路の半ばで「セーラー素敵ですね。名門の女学院じゃないですか」と笑顔を向けられ、姉のですと言うわけにもいかず、せめてもの償いとして品のある立ち振る舞いを心がけた。

 ときおり質問を挟みつつ食事室や居住エリアを巡った後、別館へ移る。

 最初に足を運んだ図書室で古い書架を眺めていたが、隅で絵本を読んでいる女の子への既視感に息を呑んだ。それと重なるように廊下から泣き叫ぶ幼児の声が響き、同行してくれていた中等科生が「ちょっとすみません」と言い置いて場を離れた。

 視線を戻したとき、同じ方を見ていたらしい元放置子の少女と目が合った。以前と比べ、髪も服もよい状態になっていて安堵する。

「こんにちは」と幼気いたいけな挨拶。ショッピングモールで会話をしたことは憶えていないようだ。弟は外で遊んでいるのだろうか。

「この施設を探険してるの。こんにちは」

 明るく応えると、彼女は表紙をこちらに寄せて今読んでいる絵本を紹介してくれた。

 ふたりで話ができる僅かなチャンスだ。メモを取るふりをしてあのペンを手に持つ。

 すると驚いたように円らな瞳を開き、「そのペン、まりなちゃんからもらったの?」と問いかけてきた。

 嫌な予感がする。「まりなちゃんって」

「しんじゃった。おぼれて」交友関係を調べた警察が彼女に被害者の名前を教えたのか。

 やはり溺死は不運な事故ではなく、飛田の殺人遊戯だと確信する。命を奪うつもりで子どもたちに近づき、遺品としてペンを持ち去った。それを自分に渡そうとしていた理由は、単純に反応を確かめたかったからではないか。動揺すれば、飛田の犯行を疑っている。冷静であれば何も気づいていないという判断。悪趣味なからかいかもしれないけれど。

「ボートが沈んだのは、誰かが……」

 沈黙の後、困った表情が返ってくる。犯人についてはわからないらしい。

 当然の回答だ。飛田が素性に触れた相手を生かしておくはずがない。

 疑惑のペンが、まりなちゃんという少女のものだったことが知れただけでも前進だ。

「ありがとう。元気でね」

 あのとき旭が助けようとした子が無事に暮らせていて本当によかった。ちょうど案内役の中等科生が戻ってきたので図書室を離れ、関わった人々に感謝を述べて帰路に就く。

 外は木立が眠り、無感情な景色だ。

「また来るね! それじゃあ、今日はこれで」

 脳が処理するより早く、刃物で切りつけられるような衝撃が走って戦慄する。驚愕しながら声の方を振り返ると、施設の前で子どもたちに囲まれている飛田の姿を捉えた。片腕に抱えたバスケットボール。真新しいスポーツウェア。

 溌溂とした挨拶に見送られ、飛田が皆に手を振り返す。

「どうしてここに……?」それより、急いで隠れなければ捕まってしまう。咄嗟に歩道の縁のガードを越えて草叢に入り、大樹の裏に回り込んで身を潜めた。

 飛田はボランティアの一環で子どもたちと遊んでいたのだろうか。それとも、情報の断片を握っているかもしれない姉弟の行方が気にかかり、児童施設にまで狩猟域を拡げているのか。とにかく敷地内で出くわさなかったことに感謝したい。

 零度の汗を拭い、樹の陰から様子を窺う。飛田は自然な足取りでバスに乗った。

 それを見届けてからフォンの画面を点け、旭といつもの公園で会う約束をした。

 短い『大丈夫か?』が重く耳に残っている。幾度となく裏切られ、絆を諦めた成熟の空洞と、崩れそうな情感の滲む声。どれほど強く惹かれても、たとえ襟の隙間に触れられるくらい側にいても、彼が手の平で覆っている傷口から灰色の断面を覗いてはいけない。

 ひとりきりのせいか次第に緊張が和らぎ、もしも自分が公園に現れなかったら、と意味のない空想を始めて可笑しくなる。

 今夜この街がすべての明かりを失くしても、彼は目の覚めるような美しい絵を描きながら暗闇の中で待っていてくれるだろう。

 ときどき忘れてしまうけれど、自分たちは常軌から零れ落ちた命だ。



                               record:21 end.

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