第14話
建物が凄い古い。重要文化財に指定されそう。ボロボロなんだけど、隅々まで人の手が入っている。木の廊下は磨かれすぎてツヤツヤ。家財道具は使い込まれて角が丸くなっている。時間をかけないと出せない味だ。地雷原で働いているベテランズの顔を、僕は思い出した。
ご主人、というより番頭さんという感じである。昭和初期から続いている湯治宿。辺鄙な所なので細々とやっております、と番頭さんがにこやかに言った。こんなに素敵な感じなのに人気がない。申し訳ないけど、確かに流行とはかけ離れている。交通の便も悪いから、年配のお客さんも呼びにくいだろう。
通された部屋がまた良い。狭い畳の部屋の真ん中に、小さなコタツ。コタツの上にはみかんが五つ。しかもなぜか子猫までいる。完璧だ。失われたはずの物がすべて揃っている。
「そうとう気に入ったわねサイゾウ。目が輝いてるわよ。ハダカの外人を見て、薄ら寒い顔してたのに」
マリコさんが吹き出して笑った。
「だって凄いですよ。これで二食ついて、八千ドル円ですもの。穴場すぎるなあ」
僕は興奮して言った。
「よーく見てみると、やっぱり八千ドル円だとは思うけど。素晴らしさは否定しないわよ。ただ、普通の人だったらガッカリしちゃう要素はあるわよね。客観的に言って」
マリコさんが子猫を撫でながら言った。
「そうですね……。『ひなびた旅館』とか『さびれた旅館』を通り越してる部分があります。でも、本来の温泉宿って、こういう物だったはずですよ」
「ふむふむ、本来の温泉宿。マニア受けで流行らない。サイゾウ君おすすめ。私も嫌いじゃないわよ。ところで、そんな宿を選んだドイツ人達の評価はどうなるの?」
マリコさんが笑って訊いた。
「認めますよ。彼らは目の付け所がいいですね。安くて、日本の情緒をタップリと味わえる。全裸で道を歩いて温泉にも入れる。山間の景色が、また日本ですよね」
僕は窓を開けた。だいぶ暗くなってきて、空気がしっとりと落ち着いている。宿からぼんやりと漏れるオレンジ色の光。温泉の匂いがする。露天風呂の方から湯気が流れて来ているようだ。
「さっそく温泉に入ろうよ。一緒に行くわよ」
振り返ったらもう浴衣を着ている。早く早くと急かされながら、僕は慌ててズボンを脱ぐ。マリコさんに引っ張られるようにして部屋を出た。
「えーと。一緒に入りますかね」
僕はドキドキしながら訊いた。
「あたぼうよ! 一番大きな露天風呂に行くわよ」
意気揚々とマリコさんが言った。それって、今ドイツ人達が入っているはずのお風呂だ。嫌だなあ。二人きりの方がよっぽどいい。というか、二人きりが望ましい。
脱衣所で浴衣を脱ぐ。僕はこっそりマリコさんの方を見た。やっぱりすごい。綺麗。パーツの入っていない体って芸術品だ。初めて見たわけじゃないけど、じっと見つめてしまう。遠巻きに眺めるのがまたいい。
「何泣いているのよ」
マリコさんが笑った。いつの間にか僕は少し泣いていた。
マリコさんがメガネを外した。足元が少し危ない。僕はマリコさんの手を引いて、脱衣所から表の露天風呂へ出る。案の定ドイツの人達がまだはしゃいでいた。入ってきた僕らの方を見て「コンバンワ!」と大声で声をかけられる。浮輪まで持ってきてる……。立ち上がって手を振る西洋美女。モロ出し。伊豆の踊り子かよ。
みんなにこっちに来い来いとジェスチャーをされるので、行かないわけにも行かない。イヤだが! だけど僕のせいで、日本人が非友好的であると思われたくない。
外人達がワイワイ言っている輪に近づいていく。近くまで行ったら、一同がシーンと静かになった。表情が固まっている。視線はすべてマリコさんのハダカへ。一瞬間があって、ビューティフルだとかパーツが無いとか、つなぎ目はどこにあるのかと大騒ぎになった。
「病気のせいでパーツは入れていないのです。心配しないで。うつる病気ではないですから」
と、マリコさんが素敵に微笑んで皆に説明した。英語。なぜか僕もヒアリングできたぞ。
触ってもいい? と金髪美女がマリコさんに言った。いいよ、とマリコさんが答える。いいのかよ。金髪さんがマリコさんの背後に周り、首筋にそっと触った。マリコさんは肩まで温泉に浸かっている。金髪さんがマリコさんのカラダを触って、ゆっくりと確かめて行く。なんだかものすごくエロいんですけど。
「信じられないけど、全部本物みたい。すごく気持ちが良かった」
金髪さんが大胆な発言をする。僕も触ってもいいですか、とガタイのいいドイツ人青年が言って、みんなに一斉にド突かれた。僕も殴ろうかと思った。気持ちは分かるが。
マリコさんがお湯から立ち上がって、体をゆっくりと回転させる。それがなんとも美しい仕草なのだ。エロと芸術のギリギリのラインのような。みんな大盛り上がりである。男性陣は興奮して殴り合ったりしている。なんで殴るんだよ。
お返しにと言って、金髪さんが艶めかしく踊り始めた。マリコさんの時とは違って、これはほぼ純粋なショーだ。超エロい。鼻血が出そう。僕に近づいて来ないでください。両腕両足、たぶん胴体も。金髪さんの体のパーツは見てハッキリと分かる。むしろ魅せるような作りにしてあると思われる。伝統的に体にタトゥーを入れるような文化があるので、西洋人はパーツを装飾的に取り付けることが多い。センスがいい。パーツの曲線が、金髪さんの色気に凄みを加えている。コレは有りだ。
ちょっと場が落ち着いて、温泉の中で雑談が始まった。なぜか男女別になってしまった。男が金髪さんの真似をして踊り出す。モロ出し。やめてくれ、と思ったのだが、使っているパーツが興味深い。
「これは深海か、宇宙仕様ではないですか?」
と僕は拙い英語で訊いた。ドイツ人たちが驚く。よく分かったな、と言われる。僕は海外のパーツカタログも取り寄せて熟読している。型番を当てて見せたら、喜んだドイツ人に殴られそうになった。まあ陽気な人達です……。
外人さんたちはドイツとスイスの人で、海底開発の研究をしている学生さん達だった。割とエリートのようだ。長い休みをとって、日本に遊びに来たのだという。金持ちはいいなあ。ここの温泉はドイツでは結構有名らしく、知り合いに紹介してもらったらしい。日本の真髄が分かるという触れ込み。確かに間違っていない。なかなかいいセンスしてるじゃないか。
パーツ用語なら英語でも分かる。身振り手振りも交えて、案外会話が通じてしまう。通じている気になっているだけかもしれないけど。
温泉の温度が低い。まるで温水プールだ。のぼせる事もなく、延々と話し続けてしまった。女性陣が先に引き上げて、頃合いを見て男性陣もようやく風呂から上がる。
部屋に戻ると、マリコさんがコタツに座ってテレビを見ていた。向い合って僕もコタツに座る。長湯のせいで喉が乾いている。ミカンを食べよう。皮をむいたら、マリコさんに中身を取られた。しょうが無いのでもう一度ミカンをむく。すると、またしてもマリコさんに奪われる。僕はマリコさんの顔を見る。マリコさんは、テレビの野球を見ながらミカンを食べている。
「お刺身はないですけど、川魚を出してくれるそうですよ。別料金で。それと、お酒の種類がたくさんあるんですって。マリコさん、飲みますか」
「夕食は八時。食堂に全員集合。朝まで飲むんだって」
マリコさんが僕を見て目で笑った。
「あの人達のペースに合わせたら、きっとひどい目にあいますよ。野暮だけど薬を飲んでおこう」
僕はカバンからピルケースを取り出した。肝臓をパーツにすれば、アルコールも飲み放題だが。それこそ野暮だ。
「サイゾウ、無理はしてないよね? けっこう楽しそうに外人さんとお話してたし」
マリコさんが少し心配そうに言った。
「僕は臆病なんです。でも、コトが始まってしまえば案外楽しめるタイプみたいです。マリコさんが背中を押してくれて感謝してます。でも、ドイツ人みたいにフレンドリーにはなれませんよ。なりたくもないし」
僕は笑った。
「そうよね。誰にでもフレンドリーなサイゾウなんて想像できない。気持ち悪い」
マリコさんが言った。
「あの、サイゾウ、嫌じゃなかった? その……自分の彼女が、他の人にハダカを見せたりして」
マリコさんが急に顔を赤くさせて言った。急だな。
「まあ特別ですね。日本の美をお見せしたわけですし。外人さんには良いおみやげになったでしょう。今回だけは許します」
僕は偉そうに言った。
「ありがとうございます。では私にも薬をください。飲めない人だけど、今日は飲みたい気分なの」
マリコさんが明るく笑って言った。
宴会。超ハイテンション。意外だったのは、ドイツ人達が胃と肝臓をパーツにしていないことだった。酒の味は内臓で味わうものだと、彼らは言い放った。妙に親近感が湧く。午後十時に第一部終了。それぞれが、一旦部屋に戻り少し休憩をする。お互いの部屋を行き来したり、温泉に入りたい人は勝手に行ったり。僕はドイツ人の部屋で、カイテルさんというメガネ女子と、パーツの話を延々としている。
カイテルさんはお金持ちの出身だが、スラムや貧民街の文化に興味があるらしい。僕がスラム出身だと知って、絶好の機会だと思ったようだ。雰囲気が少しだけマリコさんに似ている。政治とか組織の構造とか聞かれても、僕には分かりませぬ。中古パーツとかゴミ捨て場の話なら、なんとか出来ますが。僕はもう酔っているので面倒くさい。誰か助けてください。絶好調のカイテルさんは、コンピュータを取り出してメモを取り出す始末。
真夜中頃から宴会の第二部が開始した。小さな部屋に八人ぐらい入って、ぎゅうぎゅう詰めになって飲んでいる。何しろ奴らは体がデカイ。マリコさんが押し潰されたりしないか心配になる。外人は、伝統的にデカイパーツを好む。まあ、そういうお仕事だからという事もあるのだろうけど。
一方僕は、またもカイテルさんに捕まってしまった。宴会場から引き離されて、二人っきりで勉強合宿だ。シンドイ。だけどまあ、僕も海外のパーツ事情には興味がある。カイテルさんは深海探索に加えて、宇宙開発の知識も豊富だ。深海と宇宙では条件が近い。パーツも使い回せる。そういった高性能パーツが、土木作業用として闇で流れている場合もあるらしい。これは良いことを聞いた。
僕がトイレに行くために部屋を出たら、宴会場のドンチャン騒ぎが地響きのように聞こえて来た。番頭さんに叱られないか心配になる。他の客がいなくてよかった。しかし僕もそろそろ飲みたいぞ。
カイテルさんは脳のパーツにも興味があるご様子。脳移植は裏の世界では事例があるみたいですね、と僕が口を滑らせたら、眼の色を変えて興奮していた。僕と趣味が近いのかも。
まさか人権保護とかの人じゃないだろうな、と僕は一応警戒する。ハッキリと聞いてみた。するとカイテルさんは妖しくウフフと笑い、
「そんな事は決してありません」
と言った。ここまで全部英語。なんで僕は意味が分かってるんだよ。
「私は純粋に人の体に興味があります。さきほども言いましたけれど、海底開発に携わっているのは、パーツのデータが欲しいからなのです。カラダとパーツの可能性を探りたい。ただそれだけ。どうか信じてクダサイ」
カイテルさんの青白い目でじっと見つめられる。この目は、ネット用のバイザーと接続が出来るタイプだ。ゴツイ西洋人の中で、ただ一人ほっそりとしたカラダ。至る所に繊細なパーツを使っている。綺麗な人だけど、ちょっと怖くなってきた。
「マリコはとても素敵ですね。あなたの彼女に相応しい。でもサイゾウは、パーツの女にも興味がありますね? 私のパーツは最先端のモノです。最高に感触が良いです」
僕の浴衣の内側に、カイテルさんの冷たいパーツの指が滑り込んで来た。おわ! 僕はビックリして仰け反る。急だな! お待ちください! という感じで押し戻そうとするが、物凄く力が強い。さすが欧州仕様。馬力が全然違う。僕は両腕だけがパーツだし、全く歯がたたない。カイテルさんが僕の上に馬乗りになって顔を近づけてくる。キャー。おでことか鼻にキスされながら僕が考えていたことは、この細い体でどうしてこんな重量になっているのかという事だ。外国の人は、パーツの軽量化にホント無頓着だ。そこにビジネスチャンスがあるかもしれない。ただ、重さに価値を感じている人もいるだろう。僻地で作業するには、堅牢性を高める必要もある。軽量化とはトレードオフだしな……。カイテルさんが僕の浴衣を引き剥がしにかかる。
「サイゾウが浮気してる!」
ガラっと戸が開いて、金髪さんが部屋に入ってきた。最悪だ。その声を聞いて、わーっと酔っ払い達が集まって来てしまう。カイテルさんが、素早く僕の上から体を外した。居住まいを正して、何事も無かったようにコンピュータに眼を向ける。凄い速い。
僕は横になったまま天井を見つめている。ほっと息をなでおろした。危なかった。浮気浮気と言われながら、今度はこちらの部屋で宴会が始まってしまう。凄いノリ。時計を見ると午前三時。ほんとに朝まで飲む気のようだ。最後の方で、マリコさんが部屋に入ってきた。大人しげなドイツ青年と一緒に。大人しげと言っても、体はかなりゴツイけど。細身のカイテルさんであの出力だったということは、他の人達はもう破壊王だろう。よく力をセーブできるよな。
「浮気してたんだって?」
マリコさんが笑って僕に訊いた。
「あまりに寂しくて、つい」
ふざけて僕は言った。
「殺します」
笑顔で日本語。目が笑ってない。やばい。
日本語は分からないはずだが、他のドイツ人達がマリコさんを必死でなだめる。カイテルが無理にやったのよ、と金髪さんも言ってくれる。気に入った男には手が早いからな、とドイツ男が言って、カイテルさんに思いっきりぶん殴られた。ゴワンと鈍い金属音。その流れで、プロレスのような事が始まりそうになる。
「ちょっと待った! この建物は古い木造建築なんです! 貴方達が暴れたら、文化財が損なわれてしまいます」
僕は必死になって言った。それでようやく、それではまあゆっくり飲むか、という流れに戻った。ヤレヤレ。この人達はロボットの体を純粋に楽しんでいる。その感覚は少しだけ羨ましい。
その後、カイテルさんが一時間ぐらいかけてマリコさんと酒を酌み交わしていた。マリコさんに真剣に謝ってくれた。それで、ようやく僕の恋人に笑顔が戻ってきた。フア〜助かった。殺される所だった。マリコさんの場合、冗談じゃ済まない感じがする。マジで。
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