第13話

 タイ旅行。予算は三百万ドル円。スラムの旅行社へ行って手続きを進める。資金に余裕があるので、安全の為のオプションを、たくさん付ける事が出来た。貯金も切り崩さないで済んだ。

 百万ドル円出して、二人分の偽造タグを作ってもらう。出国審査で通用する、精密な偽造タグだ。スラムにはそれを作れる設備が無いという事で、わざわざ僕らは地方都市の大学病院へ行く事になった。

 首筋に印刷する僕の擬似タグだと、地方都市には入れない。それほど性能が良くない。僕とマリコさんは病院へ行って、ドクターに少し高級なタグを入れてもらった。もちろんそれも偽造タグ。国際偽造タグを作るために、国内偽造タグを入れたわけだ。馬鹿らしいなあ。

 地方都市へは車で向かう。だいたい三百キロの距離だから、日帰りで行ける。

「帰りに温泉旅館に泊まりたい」

 行きの車の中で、マリコさんが唐突に発案した。

「もうすぐ海外旅行に行くんですから。目立った行動は避けましょうよ。タイにも温泉があるそうですよ。あちらで行くというのはどうですか」

「帰りに温泉に行きます」

 マリコさんが宣言した。……宣言されました。


 地方都市の大学病院。予想以上に綺麗で、ちっともアンダーグラウンドじゃない。こんな素晴らしい所で、偽造タグなんて作って大丈夫なのか。受付の機械に旅行社で受け取った紹介状を入れる。すると、自動的に検査の案内が出てきた。僕とマリコさんの二人分。

 人が介在していない。全部機械がやってくれて、タグが自動的に発行される。これは便利だと楽観視していたら、最後に医者の面接があるらしい。そうだよなあ。やっぱり人のチェックは入るよな……。

 少し順番待ちをして、僕とマリコさんが診察室に呼ばれた。僕はかなり緊張している。病院が苦手なはずのマリコさんは、何故か堂々としている。

 ノックをして、中に入るとメカメカしい女医さんだ。スラムのドクターに負けず劣らず、最先端パーツむき出し。医者の世界ではこういうのが流行りなのか。女性なのにカッコいい。子供は怖がりそうだけど。

「えーと、サイゾウさんの方は問題なし。申告データとほとんど誤差も無し。両腕のアタッチメントは、一流メーカーの事務用に変えておいてね。やり方は分かる? って愚問か。あなた、パーツの専門家よね。見れば分かるわ」

 先生が笑って言った。赤い眼球。これもかなり特殊なパーツだ。たぶん、電子顕微鏡用。医者というよりも研究者か。頭が良さそう。

「出国する時に、パーツに関して質問される可能性はありますか」

 僕は訊いた。

「すごく運が悪ければね。でもまあ、まず聞かないでしょう。聞かれたとしてもそうね……肺のパーツが、ちょっとだけマニアックかな? サイゾウさん」

 先生が言った。

「空気が悪いところに住んでますので。使い込んでます」

 僕は少し笑って言った。

「都市部でも、肺を改造している人は少なくないから。まあ大丈夫だと思うわ。問題は彼女よ。マリコさん」

 先生がモニターを見詰める。

「体にパーツが入っていない。都市部ではあり得ない」

 マリコさんが淡々として言った。

「その通り。幼児ならともかく、二十歳でパーツ無しっていうのは通らないわ。よっぽどの事情がないと。スラムとか地方には、わずかに残ってるけどね、生身の人。宗教上の理由っていうのも、ちょっと目立つわよ。偽造タグを使うのならリスクが大きすぎる。精密にチェックされたらバレるわよ。どうしたって偽造ですからね」

 先生がため息をついて言った。スラムの旅行社では何も言われてない。まさか騙された? でも旅行社の面々も、生身の人間に偽造タグを作った経験なんて無いだろうからな。マズイな。

「生まれつき遺伝子に異常があって、パーツを体に入れることが出来ないんです。通常の検査では異常無しと出ますが、精密検査の結果があります。検査の証明書もあります」

 マリコさんが言った。僕は驚いてマリコさんの顔を見る。

「それはあなたのアイディア? それとも本当に、遺伝子に異常があるの? 私は証明書を出せないわよ。分野が違うし、権限も無いから」

 先生が困った顔をした。

「先生、ちょっとコンピュータをお借りしてもいいですか? ご迷惑は決しておかけしません。ログも残しません」

 マリコさんが言った。先生がマリコさんの顔をじっと見て、どうぞという感じで席をはずした。マリコさんが席に座って、素晴らしい速さで手を動かし始めた。外部のデータベースにアクセスしているようだ。

「私もこの商売長いけど、貴方達はなかなか面白いわね。若くて頭も良さそうだし、ミステリアスな魅力がある。彼氏もかなり変わってるけれど、このお嬢さんが相当素敵ね。美人だし。しかも生身」

 よく言われます、と僕は笑って答えた。

 コンピュータから何か出てきた。先生がそれをつまみ上げる。

「遺伝子異常。免疫不全の為、汎用パーツ使用不可。推定寿命三十歳? 五ヶ月以内に冷凍睡眠予定……。これ本当? 証明書は確かに本物だけど、内容がちょっと信じられないわね」

 先生が呆然として言った。僕も呆然とする。なんてこったい。

「この証明書で、国外に出られそうですか?」

 マリコさんが小さく笑って先生に訊いた。

「ええ、大丈夫よ。病気による渡航制限はされて無いし。むしろ免罪符になって、チェックが甘くなるかもしれないわね。タグの方は任せておいて。興味は尽きないけど、細かい質問はよしておくね。私は何も見てないし、聞いてない。だけど、ショックを受けてる彼には、ちゃんと説明をしてあげなさい。かわいそうよ」

 お大事に、と先生が言って、僕らは椅子から立ち上がった。診察室を出て、そのまま病院の玄関へ向かう。タグは数日後に、スラムへ届けられるとの事。

 

 車に乗って僕はナビの画面に触った。

「温泉、行きましょうかね……」

 僕は言った。

「和風の旅館で露天風呂がいいな。焼いた川魚と、海のお刺身と、キノコも食べたい。熱燗でほわっとなったところで、二人で一緒にお風呂に入るの。冷たい月を眺めます」

 ふんわりと笑ってマリコさんが言った。悲壮感が全く無い。僕に説明もしてくれない。だけどいいんだ。最初から、そういうコンセプトだったじゃないか。

「カップルで露天風呂って、死ぬほど恥ずかしい事だと僕は思ってたんですよ」

 車を出発させて、ミラーに映った病院が遠くなっていく。

「恋する二人に恥は無し」

 マリコさんが節をつけて言った。

「その通りですね」

 僕は笑った。


 ナビのデータで温泉宿を絞り込んでいく。良さそうな旅館が余り無い。つまり、安くて評判の良い宿。

「候補は三つあります。さびれてて、密かに人気があるボロい温泉旅館。次に、そこそこ新しい大衆向けのフランチャイズの旅館。評判もそこそこで、ゲームコーナーが充実してます。最後に、ちょっと遠い山の中で、隠れ里的なセレブの宿。露天風呂からは滝が見える。一泊三万ドル円」

 僕はマリコさんの顔を見た。

「ボロい温泉旅館」

 マリコさんが即答した。僕も賛成だ。

「ボロいヤツは、海外からの旅行者に人気って書いてあるな。これ、どういうことだろう。宿泊料が八千ドル円なので、料理は期待できないですよ」

「いいのよ。さびれた温泉っていうのがいいじゃない。お刺身は無理でも、キノコは食べられると思う。キノコをたくさん食べよう」

 マリコさんが言った。ワガママというわけではないのだ。要求はハッキリと言うけど、僕の回答に誠意があれば、気持よく妥協してくれる。毎回センスが試されている感じがして気が抜けない。

 ナビの指示通りに走って、一時間ほどで山道に入った。谷間に小さな川が流れている。川の流れに沿って、細い道が山の奥の方へ伸びている。夕焼け。マリコさんが車の窓を開けた。草木の匂いが車の中に広がる。

「スラム育ちでも、山とか川が恋しくなる?」

 マリコさんが僕に訊いた。

「そうですね。時々無性に山が見たくなります。キャンプとかをするほど、アウトドア派ではないですけど」

「私も山が好きだな。なんだか安心するもの。田舎の夜がまたいいのよ。夜の闇が、ジワジワと体に沁み込んでくる感じで」

「山を見てたら心が落ち着いてきました。バンコクに一回行くより、温泉に十回行ったほうが楽しかったりして」

 僕は笑った。

「ダメよサイゾウ。温泉は一回で、バンコクも一回。その一回に集中しないと。二度と無いのよ、今回の温泉は」

 マリコさんがキワドイ発言をする。僕はなんて答えたらいいんだ。

 そろそろ温泉宿が見えるはず、と思っていたら、全裸の白人カップルが現れた。一瞬目を疑う。しかしすぐに理由が分かった。露天風呂がすぐそばにある。かなり広くて、まるでプールみたい。白人達が温泉に浸かって、楽しそうにはしゃいでいる。色々とまる見え。

「堂々としたもんですね……」

 僕は駐車場に向かって車をすすめる。

「たぶんドイツ語だわ。ひなびた日本の温泉で、あんなに無邪気に遊んでるドイツ人。面白そう。あの人達とお話ししたいな。出来たら、一緒にお酒も飲みたい」

 マリコさんが目を輝かせる。マジですか。僕は知らない人とはあまり話したくないなあ。しかもドイツ人かよ。僕は英語もドイツ語も、もちろん話せない。

 本来なら今日はゆっくりと、マリコさんと二人きりの夜。思い出の夜になるはずだったのに!

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