第9話
最近は朝御飯をビルの一階で食べている。二階の生活スペースよりも、店のほうが居心地がいい。屋台で買ってきたおかずと、時々マリコさんがお料理に挑戦したモノを食べる。
行ってきます、と言って店のドアを開けて外に出る。すると店の前に車が数台止まっている。開店待ちのお客さんの車だ。マリコさんファンクラブ御一同様、といった感じ。相変わらず会員数は増えていない。古参会員がお互いに示し合わせて、他人を容易に入会させないようにしている。
「お迎えポイントっつうモノがあるらしい」
カクマルさんと話していたら、そんな話が出た。
「お迎えポイント?」
「そうだ。お前の店……というか、マリコさんという人の店に行くためには、制限があるんだろう? 年齢とか紹介とか」
カクマルさんが言った。
「ええ。従業員がマリコさん一人ですので、たくさんのお客さんはさばけないですから。最初にそう決めたんです」
僕は言った。
「七十歳以上の年寄りがな、ウチの核エリアでまあ四十人ってところか。その中でも高齢な十人程が、決死隊の中心メンバーだ。中心メンバーは入店資格を貰った。するとその先は、クチコミってことになるよな」
「そうですね」
「マリコさんてえのは、たいそうな美人らしいじゃねえか。しかも年寄りに親切だと。評判はうなぎのぼりだ。だけどなかなか紹介してもらえない。死にかけのジイ様達が喧嘩を始めそうな勢いだよ」
カクマルさんが笑って言った。
「スミマセン……」
とは言ったものの、僕が謝る事でもないような。
「でな? 決死隊がルール化しそうなんだ。危険な任務にどれだけ貢献したかを、ポイントで表す事になった。それがお迎えポイントだ。月毎のポイント上位二名が、店に紹介してもらえるんだと。その結果、今どうなってると思う」
カクマルさんが笑い顔のまま僕を睨みつける。マズイな、それは。
「我先に、自殺を志願するような感じですか」
僕はカクマルさんの目を見て言った。
「さすが冴えてるな。その通りだ。ひとたび現場で事故が起きるだろう? すると死にぞこないのジジイ共が、俺のところへ押し寄せて来る訳だ。命は惜しくないから行かせてくれってな。こうなると義理もクソもねえ。お迎えポイントが欲しいだけだ。下手すると、ワザと事故を起こす奴も出かねない。そこで相談だ。営業妨害をするつもりはないが、一度そのマリコさんと、この事を話し合ってくれねえか。お前のイイ人なんだろう? 頼むよ」
カクマルさんに頭を下げられた。もちろん断ることなんて出来ない。マリコさんに相談しよう。
「まさかそこまで人気になってるとは。制限を設けたのがアダになりました……」
「もしこれが高級クラブなら、大成功だけどな。会員権にプレミアがついてる訳だ。商売の事を考えるなら金持ちを相手にすればいい」
カクマルさんが言った。
「事情が色々とあるんですが、マリコさんは金の為に店をやってるわけじゃないんです。純粋に、お年寄りと過ごす時間が楽しいらしいんです」
僕は小声で言った。
「そうか……そういうたぐいか。ジイさん方が血まなこになるはずだよな……」
カクマルさんがなんとも切ない表情になった。そして、さらに言葉を続けた。
「ウチの年寄りの面倒を見てくれるのは、本当に有り難いよ。みんな結構ヒドイ人生を送ってきてるんだ。金がなければメシも女も無し。家族を持つなんて夢のまた夢だ。これは言い方が悪いけどな、あんまり夢を見せてやるのは良くない。みんな単純でイイヤツなんだ。だが、自分の欲を抑える方法を知らねえ。分かるか、俺の言ってることが」
カクマルさんが真剣な表情をしている。
「分かります。よく分かります。僕は若造ですけど、お年寄りの気持ちも分かるんです。だって、僕自身がマリコさんに夢中になってますから。自分を少し見失っていると思います」
「お前は頭が回る。俺たちとは違う。だから、お前が女に惚れてもそれは資格があるってこった。所帯を持てる器だ。ミギウデ、そのマリコさんって人を大事にしな」
カクマルさんが少し笑って言った。
「僕はみんなと同じです。カクマルさんは僕の目標です」
「馬鹿! 俺が目標? そんな志の低いことでどうする。ここだけの話だがな、俺は女に何度も逃げられてんだ。離婚も三回……いや四回だったか。子供も何人かこしらえたが、女に押し付けてちっとも面倒をみてねえ。孫も生まれてるかもしれん。だけどこの齢で、みっともねえ独りモンだ。酒と薬に溺れた事だってある。分かったか? それが俺の正体だ」
カクマルさんがわざと怖い顔をして言った。
「だけど、カクマルさんにはプライドがあります」
どやされることは覚悟で、僕は言いたかった。
「プライドか……お前いいこと言うなあ。やっぱりお前は俺らとは違うよ。上に行ける人間だ。頼むからな、俺が目標なんて金輪際言ってくれるなよ」
僕の顔を見ずにカクマルさんが言った。そしてタバコを地面に落とし、分厚い作業靴で踏み消した。マリコさんによろしくな、とカクマルさんが背中で言って、核エリアの方へ戻って行った。僕はその背中をじっと見つめている。
「夢がないと人は生きていけないのよ」
マリコさんがうつむいて言った。
「そうですね」
「楽しい思いをしないでただ生きていて、それじゃあ、つまらないじゃないの」
「そうです。つまらないです」
「わたしはね……ただ、みんなと楽しみたかっただけなの」
マリコさんの声が小さくなる。
「よく分かります」
「私のせいで……。今回の事のせいで、サイゾウは仲間の信頼を失ってしまった?」
心配そうな表情でマリコさんが言う。
「そんな事は無いです。みんな分かってます、マリコさんの気持ち。少なくとも僕は良く分かってるし、さっきお話しした、リーダーのカクマルさんも分かってくれてます。みんなでお祭りを楽しんだんです。でも、お祭りには終わりが必ずあります。残念ですけれど」
丁寧に言葉を選んで僕は言った。でもちょっと言い過ぎたか。
「お祭りが終わる」
マリコさんが白い顔をしてつぶやいた。
「お年寄りたちの目が輝いていました。素晴らしい経験だったはずです。マリコさんは間違ってない。がっかりしないでください。人に夢を与えることは簡単に出来ることじゃない。スラムのような場所なら尚更の事です。また他の機会を狙いましょうよ」
僕にあるまじきポジティブな言葉が出てしまった。我ながらどうかしている。
「僕はまだ夢を見ていますけどね。マリコさんのせいで」
僕は笑った。
「サイゾウの夢はどんな夢?」
「具体的なものは何も。でもマリコさんと一緒にいて、いろいろと欲が出てきました。もっと楽しみたいと思ってしまいます。こういう考え方は非常に危険です。スラムでは、命取りになりかねない」
僕は困った顔をしてみせる。
「命取り……。サイゾウは死んだらダメよ。あなたはスラムの希望の星ですもの。私がそれを台無しにするわけには行かないわ。だから私の言う事をよく聞きなさい」
僕は頷く。
「あえて具体的な夢を決めましょう。小さな夢でいいの。それを叶えるために、二人で地道に頑張るの。そうしたら、少しは地に足がつくと思わない?」
マリコさんがようやく微笑んでくれた。
「具体的な夢ですか、そうだなあ……」
僕は腕組みをして考える。夢が無い。今の状態がまるで夢だから。目覚めるのが恐ろしい。
「長い旅行をしてみたいって、サイゾウ言ってたわよね」
「確かに言いましたけど、それは無理ですよ。スラムのタグじゃ移動できる範囲が限られてますし。なによりも、お金が全然足りない」
「馬鹿! 最初から諦めてたら、どんな夢だって実現できないのよ! どうやったら可能になるのか、それを考えなさい」
馬鹿と言ったマリコさんが、一瞬カクマルさんと重なった。大切な人に連続で叱られている。
「……。取引先の業者から、招待を受けたことがあるんです。遠い所だけどいつかは遊びに来いって。招待を受けたと言っても、自力で行かなければならないんですが。それで、少しだけ心が動いたことがあります」
僕は言った。
「いいじゃない。あるじゃない。それでどこなの? 旅の目的地は」
「アジア最大のスラム街がある、タイのバンコクです。闇貿易の中心地だし、僕の仕事とも関わりが深い場所です。ただ、日本の中でさえ自由に動けない身分なのに、外国ですからね。難易度は高いです。出国さえできれば、あとはかなり自由に動けるはずですが。いくらかコネもありますし。いや、やっぱりムリかな……」
僕は天井を見つめて考えを巡らせる。かなりキビシイ。
「決定! 二人でバンコクに行くわよ。今の今から、その夢に向かって頑張ろう! いいわね?」
マリコさんが余裕の笑顔で言った。いつもながら、もう後戻り出来ない感じになっている。確かにやり甲斐はある。けどなあ。
「地に足をつけて、小さな夢を実現するって。マリコさんは今さっき、そうおっしゃいましたよね?」
僕は不安になって言った。この不安はもう恐怖に近い。
「夢は大きい方がいいのよ。夢に向かって今を大切に生きる!」
マリコさんがノリノリだと、僕はとても不安になる。結果的にバランスが取れているじゃないか。メチャクチャ地に足がついた感じがする。夢に向かってガンバロウ……。
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