第8話

 核廃棄物処理場の決死隊は十名。先日はその内三名にお越しいただいたのだが、残りの七人からメンテナンスのお申込みがあった。そうなると思っていたのだ。恐らくカタメさん達が、他のメンバーに話したのだろう。マリコさんの事を。全員をもてなしたいと僕も思っていたわけで、嬉しくないことは無い。しかし僕のメンテナンスはあくまでも名目だ。目的が別の所にあるのはハッキリとしている。

 マリコさんが着々と準備を進め、店の中を改造して行った。僕と一緒にスラムのマーケットへ出かけて、質の良い中古のソファーや絨毯を手に入れた。大人数が来ても良いように、お茶のセットや業務用のコーヒーメーカーも買った。

 お店の利用は基本的に無料。飲み物やお茶菓子には少しお金を払ってもらう。この店は完全予約制である。利用者には年齢制限がある。七十歳以上限定。一見さんはお断り。利用者の紹介のみによって、お客様は入店資格を得る。特例や付き添いの方に関してはこの限りではない。

 ルールはすべてマリコさんが考えた。予想以上にしっかりしている。利益はあまり見込めないだろう。でも僕もこのシステムならば安心だ。客が老人だから危険も少ない。フランケンもいるし。

「まさかこんなお店になるとは」

 僕は店内を見回して言った。紳士クラブという感じ。

「雑貨店の感じが、全く無くなっちゃったわね……」

 マリコさんが申し訳なさそうな顔をする。

「いいですよそれは。調度品を中古で揃えたのが逆に良かったですね。店の雰囲気がすごく落ち着いてる」

「サイゾウのおかげよ。買い物に長々と付きあわせたわね」

 マリコさんが微笑んだ。開店準備の為に通算三日間。一日あたり三、四時間は市場に通った。もちろん僕は荷物係。車で市場と家を何往復もした。準備していて楽しかった。何しろマリコさんのセンスがいいのだ。きっとお客さんも気にいってくれるだろう。

「会員制というのはベストですよ。都市部にはこういうクラブみたいなものがあるんですか?」

「それがね、あまり無いのよ。みんな、病院か老人ホームに詰め込まれちゃうから。本当はね、お年寄りは自分の家が一番好きなの。自分が住む家の近くに、こういうサロンがあることが理想的ね」

 老人の心を知るマリコさん。相変わらず謎が多い。

「たぶん相当忙しくなりますよ。大丈夫かな」

「がってん任せとけ!」

 勢い良くマリコさんが言った。

 

 僕の予想は当たった。予約は常に埋まっている。地雷原のベテラン職人ばっかり。開店直後からマリコさんは大忙しだ。クチコミでお客が、爆発的に増える事を僕は心配していたが、それは杞憂だった。お年寄り達はなかなか他人にこの場所を紹介しない。自分の出番を確保する為らしい。ウチの店はまるで、地雷原の保養施設のようになってしまった。

 店の売上を心配してか、ベテランズが定期的にパーツのメンテナンスを申し込んでくれる。週に一回メンテナンスデーを設けることにした。それで、僕も店で活躍する事となった。全然儲からない。でも、老人の使い込まれた体を調整するのはとても楽しい。人のパーツに歴史有り。知識として僕も得るところが大きい。

 

 お年寄りが座るソファーの横に、小型のモニターが据え付けてある。モニターにはお客様の情報が表示されている。パーツの構成や体調のデータはもちろん、趣味とか朝御飯に何を食べたかとか。僕とマリコさんはその情報を元にして、メンテナンスやマッサージを行う。話題のキッカケを見つけるのにも一役買っている。お客のデータはフランケンが持ってきてくれるのだが、情報のチョイスが微妙にズレていて面白い。カタメさんが昨日の夜、親友と殴り合いの喧嘩をした情報まで載っている。フランケン、素敵に気が利かない。

 

 それにしても、マリコさんのマッサージには恐れ入る。一人ひとり体に入れているパーツも部位も違う。それを見極めてやるんだから、大変な作業だ。感心しながらマリコさんを見ていたら、僕はある事に気がついた。モニターを見ているマリコさんの目が妙に険しい。画面をキツく睨みつけている。マッサージの途中に、モニターの位置を頻繁に直したりしている。

 夕食の席で僕は言った。

「マリコさん、もしかして眼が悪いですか? 矯正してない?」

「うん。目は悪いわね。かなりの近眼です」

 マリコさんが言った。

「ということは、スラムに来てから、ずっとぼんやりした世界を見てたんですか? まいったな……僕の顔も良く見えてないでしょう」

「そんな事ない。ほら、近くで見ることも多いもの。サイゾウの顔。面白い顔」

 そう言ってマリコさんが、僕のおでこに自分の額をくっつけてきた。僕はカッと顔が熱くなる。

「ぼんやり見えてたから、スラムの街も美しく見えてたんですよ。汚い部分が丁度良くボカされて」

 おでこを引き剥がして僕は言った。マリコさんが笑う。

「家出するときにコンタクトレンズも置いてきたの。何で足がつくか分からないでしょう?」

「確かに。コンタクトに認証データを入れているケースも有りますからね。でも、コンタクトとはまた珍しいなあ。普通は手術するかパーツを入れますよね。スラムではお金が無くて、メガネをかけている人もいますけど」

「あっ、それいいな。私メガネ欲しい。メガネ買いたい。サイゾウ、メガネ買って」

 マリコさんが急に盛り上がる。

「分かりました。じゃあ夕食を食べ終わったら買いに行きますか。でも、コンタクトも手に入りますよ」

「メガネ!」

 都会の人にメガネか……。これまた奇妙な取り合わせだ。

 夕食を終えて、僕はマリコさんを連れて夜の街に出る。目的地は近所なので車は使わない。二人連れで明るい道を歩けば、それほど危険でも無い。僕は知り合いの医者の所に行くことにした。メガネは露天商でも手に入る。だけど、マリコさんの買い物をそんな所で済ますわけには行かない。多少金はかかるが、それなりに良いメガネを買いたい。

 時間外だけど医者が受け付けてくれた。医療系ゴミを扱っている関係で、仕事でもいくらか付き合いのある人だ。

「お久しぶりですドクター。時間外にスミマセン。よろしくお願いします」

 出迎えてくれた女医さんに向って、僕は挨拶をする。見た目は三十歳くらい。実際は八十を越えているという噂だ。パーツ化率はかなり高い。名前はドクター。これもまあ、かなり安易な名前だ。スラムにはまともな医者が少ないので、この名前で支障が無い。

「サイゾウ君の頼みは断らないわよ。しかもあなたの彼女さんなんでしょう? 興味が湧くわよね」

 ドクターが笑った。この人は敢えてメカニカルな外見になっているので、けっこう不気味だ。口が裂けてもそんな事言えないけど。趣味がグロテスクだと思う。医者向きな性質なのかもしれないけど。

「今日はこの人のメガネを作って欲しいんです。近眼です」

 僕はマリコさんを紹介して言った。

「よ、よろしくお願いします」

 ドクターの外見にびっくりしたのか、マリコさんが少し怖気付いている。無理も無い。ここまでパーツをむき出しにしている人も少ない。しかも高級な改造パーツばっかり。怪しさ満点だ。

「あら可愛い人。サイゾウ君いい子を見つけたわね。妬けるわ〜」

 腕組みをして、ドクターがマリコさんの全身を観察している。見過ぎ。マリコさん怖がってますけど。

「この人は見た目がロボみたいですけど、腕もロボ並に正確だから安心してください。スラムでは一番のお医者さんです」

 マリコさんの背中に手を置いて、僕は言った。

「言ってくれるわね。まあ事実だからしょうが無いか。我ながら、あまりいい趣味ではないと思ってるの。その日の気分でパーツを取り替えたりしているから、この方が都合がいいのよ」

 ドクターが機械の目をキロキロさせて、マリコさんに微笑みかけた。マリコさんがぎこちなく笑顔を返す。どうぞこちらへ、と言ってドクターが、マリコさんを診察ベッドの上に誘導した。

「じゃあ、ちょっと見せてもらうわね。メガネを作るだけだけど、一応全部チェックするのが決まりだから」

 そう言ってドクターが、マリコさんの体をスキャンし始めた。

「……。え? 嘘。あら、まあスゴイ」

 モニターに映ったマリコさんのデータを見て、ドクターが驚きの声を上げた。

「僕も初めは驚きました。マリコさん、パーツ化率が一%未満なんですよ。百%生身かもしれない。事情は話せないですけど、そういう事なんです」

 僕は言った。事情は僕も知らないわけだが。

「美しい! 美しいわねぇ。マリコさんおいくつ? ハタチ? 大人の体で、全身生身だなんて……欠損無しで完璧じゃない。私も久しぶりに見たわ。たぶん十年ぶりぐらい。いや、もっとかな」

 ドクターがため息をついて言った。

「ドクター、メガネメガネ」

 僕は言った。

「あ、そうね。ゴメンナサイ。あんまり綺麗な体だから、見惚れてしまったわ。近視の矯正をするのよね。コンタクトじゃなくてメガネ?」

 ドクターが不思議そうに言った。

「メガネ、つけてみたかったんです。割と可愛いと思って」

 マリコさんが緊張した声で言った。

「そうお? まああなたなら、メガネでもきっと似合うでしょうね。矯正の手術は必要ないのね? 眼球のパーツも必要ないと」

 ドクターが、モニターの画面に触りながら言った。

「このカラダにメスを入れる勇気がありますか。ドクター」

 僕は訊いてみた。

「そうね、悪趣味な私でもそれは出来ないわ。でもスラムで暮らすのに、この体はなんとも心もとないわね。普段マスクとかはしてるの? 皮膚の汚染も心配よ。今のところは大丈夫みたいだけど」

 ドクターが言った。

「一応薬だけで対処してます。あとは外出をなるべく控えるようにして。色々と事情がありまして」

 僕は説明する。

「お姫様は籠の鳥ってわけか。そうよね、これは色々と事情があるんでしょうね。いいものを見せてもらったわ。メガネは任せておいて頂戴。二十分くらいで成型するから。デザインにご希望はある? お姫様」

 ドクターが愛おしげに、マリコさんの顔を見て訊いた。

「ドクターにお任せします。可愛いのにしてください」

 まだ緊張している。マリコさんが小声で答えた。

「任せて。バッチリのを作るから。魂込めるわよ」

 ドクターが指の関節をキリキリ言わせて答えた。それを見て、マリコさんがまた怯えた表情になる。僕はちょっと笑ってしまった。


 病院の待合室でメガネの出来上がりを待つ。ここの病院は一応総合病院で、施設もかなり充実している。まあ、都会の病院とは比較にならないと思うけど。自動販売機でコーヒーを買ってきて、マリコさんに手渡す。

「緊張してますね。確かにスラムの病院なんて、信用できないとは思いますけど、安心してください。ここはお金持ちの人も利用してます。あくまでもスラムの金持ちですけどね」

 僕は言った。

「ううん違うの、心配はしてない。病院が少し苦手なだけ。メガネ屋さんに行くんだと思ってたから、ちょっと意表をつかれました」

 マリコさんがため息をつく。

「病院が苦手だったんですね……スミマセン。でもマリコさんは、医療の勉強をしてたんですよね。それで病院が苦手というのは……?」

「うん、えーとね。私は長い間入院していた事もあったの。だからね、体のチェックとか、お医者さんと話すことにも慣れてる。だけどね、あのね」

 話しながらマリコさんが、ポロッと涙をこぼした。

「無理に話さなくていいですよ! 無理に話さないでください。マリコさんは自由になるために、スラムに来たんだから。辛い思い出は、思い出さなくていいんです。もちろん話したくなったら僕は聞きます」

 慌てて僕は言った。

「ありがとうサイゾウ」

 ほっぺたの涙を手でぬぐって、マリコさんが微笑んだ。やはり事情があるのだ。だけどそれは、僕が気にする事では無い。

「僕はただ、マリコさんに楽しんでもらいたいと思っています。それだけです。本当はもっと、色々考えなければならないのかもしれない。現実的な心配事は尽きません。そもそも僕は、すごく心配性なんです」

 考えながら僕は話す。

「サイゾウ心配性ね。それは悪いことじゃないよ?」

 マリコさんが言った。

「そうですね。だけど、マリコさんがいつも言ってるじゃないですか。今を楽しみたいって。今を生きないで、いつ生きるのかと。僕も最近、意識してそう思えるようになりました。ちょっと危うい感じもするんだけど。リスク計算をしてる時点で、僕はもうダメな感じですけどね」

 僕は苦笑した。

「私、リスクの象徴みたいでしょう。出どころ不明で、事情も明かさずに。楽しみたいって言っているだけで、サイゾウにすべてをお任せしているし。でも心配性のサイゾウが、それを引き受けてくれているのが不思議ね? 私も毎日が楽しい。どうして引き受けてくれてるの?」

 マリコさんの笑顔が眩しいくらいに美しい。それが理由です。

「言わなきゃダメですか……」

「言ってよ。言いなさい! 私それを聞きたい。そうしたら許してあげます。私を病院に連れてきたことを」

 ゲ、まだ許されてなかったのかよ。

「引き受けるっていうのはアレですけど、僕がマリコさんに惚れてるからですよ。マリコさんのことが、好きだからです……」

 言ってしまった。言わされてしまった。マリコさんは目をキラキラさせて満足気である。その瞬間、背後から大きな声がした。

「感動よ! わたし今、両目とも作業用パーツだから涙が出せないの。だけど心の中で号泣しているわよ。青春ね。これが青春なのよね?」

「いつからそこにいたんですか! ドクター」

 僕は顔が熱くなる。恥ずかしすぎる。

「『今を楽しむ』っていう所からよ。本当にそうよね。私も忘れていた。若いって素晴らしいわ。サイゾウ君、マリコさんを大切にしなさい! リスク計算ばかりしてないで」

 何故か僕が、ドクターに説教をされている。それ、今僕が言ってたセリフじゃないですか。

「ところでメガネは」

 すかさず僕は訊いた。

「ああ御免なさい。ちゃんと出来たわよ。ホラ、つけてあげる」

 そう言ってドクターが、マリコさんの鼻にメガネをそっと載せた。薄桃色の縁が付いた、小さなメガネだ。

「耳にかけるタイプの方が断然安いけど、鼻に載せる方がスマートでしょ? ほら見てサイゾウ君、美人は何をつけても美人ね」

 ドクターのテンションが高い。メカメカしい外見をしているし、もっと冷静というか、むしろ冷徹な人だと僕は思っていたのだが。しかしドクターの言うとおり、マリコさんが改めて美しい。

「似あってますよ、ホントに」

「鏡をどうぞ」

 ドクターが、レトロな手鏡をマリコさんに手渡した。この鏡は私物だろうか。良いアンティークだ。ドクターのセンスは分からんなあ。

「素敵。とても気に入りました」

 マリコさんが微笑んで言った。

 

 メガネ代をドクターがかなりまけてくれた。この人は基本的に、金にはウルサイはずなのだが。医療費のカタに、患者の体からパーツをもぎ取ったという伝説がある。仕事で僕と薬の取引をする時も、駆け引きに抜け目がない。そのドクターが、値引きを自分から申し出てきた。怪しい。

「どういう風の吹きまわしですか」

 僕は訊いた。

「青春割引よ」

 ドクターが切ないような表情で言った。僕はまた顔が熱くなる。なんだよ、青春割引って。


「世界が美しく見える」

 病院からの帰り道、マリコさんが言った。屋台を覗いたりしながら、僕らは家に向かって歩いている。

「細かい所まで見えるようになったでしょう。道端に落ちてるゴミとか、得体のしれないモノまで。それでも美しいと言えますか?」

 スラムは常に薄汚れている。

「汚い物が美しいわけではないの。佇まいが美しいのよ。視力は関係が無いと思ってたけど……。メガネを作ってもらって、街が一層鮮やかに感じられる。私のこの気持ち、分かってもらえる?」

 マリコさんが指で、メガネの縁をそっと触る。

「僕はスラムが好きですよ。だけど、美しいと思ったことはなかったです。でもまあ、マリコさんに言われてみると、そういう解釈もアリかなって思います。広い意味ではスラムも美しい。佇まいが美しい」

 僕は笑った。

「サイゾウ……今の気持ちを忘れないで。絶対によ?」

 マリコさんが目をうるませて言った。僕は頷く。

 道端で、そっとキスをした。メガネの縁が頬に当たって冷たい。僕は忘れない。

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