第6話

「スラムに来たらね、お料理にも挑戦しようと思ってたの。それでお昼ごはんを何度か作ってみたのよ。でもダメだった。屋台の料理に全然敵わない。作る気が失せてしまった」

 マリコさんが悔しそうな顔をした。テーブルの上にはいつものようにたくさんの屋台料理。マリコさんが買い物をしてきて下さる。今のところ問題は無い。近所の人には、僕が女の子と暮らしていることが、バレバレになってしまったけれど。ちょっとした噂になっている。マリコさんが綺麗過ぎて、僕に釣り合わないということらしい。そうだよな、僕もそう思うよ。

「サイゾウ、ちゃんと話を聞いてるの?」

 いつの間にかマリコさんが、怒りの表情になっている。マズイ。

「マリコさん、ほんとにスラムに慣れてきましたね。最初はすごく心配してたんですけど。雰囲気が都会人じゃ無くなってますよ。まるで地元の人みたい」

 僕は言った。

「ホントに? 嬉しい。サイゾウがそう言ってくれるなら、もう私は本物ね。スラムの人になってきた?」

 一瞬で嬉しそうな顔に変わる。

「問題があるとしたら、マリコさんがちょっと綺麗過ぎる所ですね。スラムでも美人の子は、たいていお金持ちの彼氏と暮らしてます。一方僕は、貧乏なゴミ拾いですからね」

 僕は笑った。

「私のこと綺麗だと思う?」

 マリコさんが顔を赤くして、小声で言った。僕はびっくりする。もちろん僕は、口説くつもりで綺麗と言ったわけでは無い。

「綺麗ですよ。毎日、ため息が出るほど。でもそれ以上にマリコさんの性格というか、性質が素敵だと思います。だって普通じゃないんだもん。綺麗な人が汚いガラクタを見詰めて、嬉しそうにしてる姿ってちょっと無いですよ。美しいと思います」

 言ってしまった。

「じゃあ告白しちゃえば? 好きですって……」

 マリコさんが目を伏せて言った。

「好きですよ。たぶん出会った瞬間から好きでした。最近はますます好きです。身の程知らずと自分に言い聞かせています。でも好きです」

 好き好き言い過ぎた。

「私も。私もサイゾウのこと、気に入ってる」

「気に入ってる?」

 ずっこけそうになってしまった。やべえ、オレ勘違いしたんだな。あくまで召使だった。

「違う違う! 私も……好きよ、サイゾウの事」

 消え入りそうな声でマリコさんが言った。僕は鼻血が出そうだ。

「あの……それじゃあ、僕と付き合ってくださるのでしょうか。まさか恋人になってくださる?」

 声を出さずにマリコさんが、ウンウンと頷いた。

 それで僕らは、付き合うことになってしまった。大丈夫か。


 僕は狂喜乱舞しなければならない。だけど心は落ち着いたまま。むしろ以前より心が静かになっている気がする。付き合う前から一緒に暮らしていたからだろうか。生活はほとんど変わっていない。

 目が覚めて、同じベッドにマリコさんが寝ている。マリコさんの寝顔は相変わらず美しい。僕の彼女になったからと言ってそれは変わらない。当たり前だ。僕は女の子と付き合ったことはある。だけどあまり長続きしなかった。恋人が出来ると舞い上がってしまうからだ。好きな人を大切にしようと思う。その興奮が空回りして、次第に苦しくなっていく。十八歳の誕生日に前の彼女とお別れをした。気持ちが乱れに乱れ、僕がギブアップしてしまった。

 マリコさんは僕の手に負えない。付き合ったとしても彼女は僕の物にはならない。最初からハッキリしている。だからテンションに変化が無いのだと思う。マリコさんを抱いても、言い方が悪いけど「抱かせてもらった」というような感覚がある。それが奇妙に心地良い。マリコさんは僕よりも圧倒的にウワテだ。何に付けても。それで僕は必要以上に興奮しない。

 とてもいい関係かもしれない。マリコさんは僕にとって、最高の女の子なんじゃないか?

「マリコさん、七時ですけど」

 僕はマリコさんの肩を軽く揺すぶる。午前七時に起こすようにと、前の晩に命令されている。マリコさんの寝息が止まった。

「サイゾウが昨日、素敵なお土産を持ってきてくれたじゃない? アルミニウムの削り出し部品。大きなリング状の」

 うつ伏せに寝てる。目をつむったままこちらを向いて、マリコさんが言った。

「ガラクタですけどね」

 僕は笑って言った。マリコさんがなんとなく喜びそうだな、と思って拾ってきたのだ。

「私はとても嬉しかった。それでお酒をたくさん飲んだわね」

 マリコさんが何故かすねたような口調で言う。

「飲みましたね」

「そのあと二人は、深く愛し合いました」

「……」

「私はね、サイゾウにお弁当を作ってあげようと思ったの。次の日にもこの幸せが継続されるように。お弁当を開けた時に、サイゾウが私のことを思い出したらいいなって思ったのよ」

「有難うございます」

「でもね、調子にのってお酒を飲み過ぎた。私は今、頭がすごく痛い。だからお弁当を作りたくない。でもね、私の愛は全く変わらないのよ。それをサイゾウには分かって欲しい」

 マリコさんが眉間にシワを寄せて言った。

「分かりました。有難うございます」

「その答え、皮肉じゃないわね?」

 マリコさんが枕にパンチをする。

「僕がマリコさんに皮肉を言うわけ無いじゃないですか。えーと、そろそろ仕事に行こうと思います」

「いってらっしゃい……」

 マリコさんが眠りの世界に戻って行った。僕はお弁当を作ってもらえなかった。だけどなぜか、とても満たされた気持ちになる。

 深呼吸して車のハンドルを握る。決して高ぶっているわけじゃない。しみじみと嬉しい。BGM無しで車を快調に飛ばす。マリコさんの寝顔を思い出しながら。

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